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マチス傭兵団の来訪から3日が経った。マチス達は早速昨日から魔物討伐を開始し、魔物素材も納品されている。魔物素材の取引を申し出た商会は大忙しだ。何せ国内での取引が禁止されているのだ、輸送には細心の注意を払わなければならないし、当然今は国外にいる客が主体だ。どれほどの利益が見込めるのか、そもそもちゃんと買い手がつくのか、この未知の商売を成功させて儲けるために彼らは今、商会の人員総出で事にあたっていた。
エッジはというとこれまた大忙しだった。何せマチス達が予想以上に効率よく素材を納品してくるため、取引の仲介をしているエッジも急いで取引書類をまとめる必要があった。いずれは自分に代わり商会と傭兵団との仲介をしてくれる機関が必要になるだろう。そんな事を大まかに考えつつ書類仕事を続け、ようやく一段落ついた。そこでダリルが声をかけてきた。
「お疲れさん。休憩したいところ悪いが、中央から重要書類だ。さっき届いた。」
「僕に?」
エッジは首を傾げた。領主ではなく何故自分に、そう思いながらその重要書類とやらが入った封筒を受け取る。受け取った封筒はその薄さの割に重量があり端に装飾が施してある。そしてそんな高価な封筒の閉じ口には中央からの物とわかる封蝋がしてあった。
エッジは封蝋を切り中から書類を取り出し内容をたしかめた。大仰な文章で書かれた内容は要約するとこんなものだった。
・『勇者』の一人である『氷茨の聖女』が中央より行方をくらませた。
・その聖女の行き先がカルメア領であるらしいとの情報が入った。
・捜索をしたいが聖女が行方をくらませたことは公にしたくない。
・この知らせはカルメア領主に知らせてはならない。
・近日『光輝の勇者』が直接捜索しに来るので可能な限り協力するように。
・うまく協力できた時にはエッジの中央帰還を援助するかもしれない。
この世界には『勇者』という人たちが存在する。一般人の数千倍の魔力を保有しており、とんでもない戦闘能力を持つ。人々は『勇者』達にあらゆる脅威から守ってもらっている。魔王に対抗できうる唯一の存在で大掛かりな魔物の退治はほとんど『勇者』達に任せているというのがこの世界の現状だ。更に『勇者』にはそれぞれの得意とするものにちなんで称号が与えられる。『氷茨の聖女』はその内の一つだ。
聖女の名はサシャ・アルビオール。その『氷茨の聖女』の由来になった話はいくつかある。その名の通り氷魔法と回復魔法を得意とし高等な光魔法や補助魔法を扱うが、その性格は冷酷で常に無表情である。人間嫌いでケガ人を見捨てることがある。その憎悪から時折異常に気性が荒くなり、山を崩し村を壊滅させたこともある。などなどどれも否定的な話ばかりで人々からの支持も低いが、その実態を知る者はほとんどおらず姿を見たことのある者は誰もいない。本当に実在する人物なのかという声も上がるほどだ。
そんな聖女がカルメア領に逃げたようなので捜査に内密に協力して欲しいというのが今回の話だ。手紙の送り主は『中央議会』の者だ。この『中央議会』はこのグラ連合という国をまとめる機関でこの国の『勇者』達の補佐もしている。補佐といわれているが実際は『勇者』の資金援助やその他の要望にこたえる事によって自分たちで飼いならそうとしているのだ。圧倒的な戦闘能力を持つ『勇者』達を誰一人として他国に逃がしてはならない。故に今回のように聖女が逃げ出したとあっては議会が非難されてしまう。
エッジは何となく自分に手紙をよこした理由を理解した。『勇者』は取り戻したいが国民に知られないように内密に捜索したい。しかし、仮にも地方領主であるペールにこの件を任せるとどんな要求をされるか分からない。そこで中央から左遷された元騎士であるエッジに白羽の矢がたったのだ。エッジならば中央に戻すという少ない報酬で協力が得られる、そう考えたのだろう。逆に言えば『氷茨の聖女』など必死に探す必要は無いという『議会』の意向が見て取れる。
エッジとしては議会の考え方や方針は気に入らないが、『氷茨の聖女』の放っておくわけにはいかない。
(とりあえず捜索には協力しよう。)
そしてエッジ個人として安心していることがあった。ユイの事だ何せ聖女が逃げ出した時期とほとんど同時期にカルメア領に現れたのだ。しかも『エーテルの樹海』という危険で怪しい場所にだ。理由はどうあれこのことが知られれば真っ先に怪しまれるであろう。しかし、ユイと聖女には決定的な違いがあった。容姿、さらにいうなれば髪の色だ。年齢は20歳とユイと一致しそうだが『氷茨の聖女』の由来にもなった聖女の髪色は青みがかった銀髪だ。これはユイと一致しない。ただ、これとは別に一つ引っかかることがあった。
(なんで『勇者』を向かわせた?)
書類には『光輝の勇者』が来ると書いてある。数ある『勇者』の称号の中でも『~勇者』という称号は特別で、これは『勇者』の中でも特に秀でた人に与えられる称号だ。つまりこの『光輝の勇者』が来るということはよっぽどの事態であるはずなのだ。だが『議会』はそれほど『氷茨の聖女』の捜索に必死でない。このかみ合わない行動がエッジには疑問だった。
(『議会』は『氷茨の聖女』を疎ましく思っていてよくないがしろにする。…………けど『勇者』達は『聖女』を大切にしてたりするのかな?)
エッジの中で様々な考えが浮かぶがいまいちまとまらない。
(うーん、わかんない。今考えても無駄かな。)
そうは思いつつもエッジの頭はまだ見ぬ『勇者』達の事で埋め尽くされる。人々の暮らしを魔物から守ってくれる存在。そんな彼らが孤独になりがちであることをエッジはよく知っていた。エッジの育ての親である『灰色の賢者』がそうだったのだ。
エッジには身近に『勇者』がいた。『灰色の賢者』名はウハイ・アルマス。陽気な性格の好々爺で彼は地方の更に山奥の家に住んでおり近隣の村の守護者として生活していた。村人たちはそんな彼を守護者として崇めこそすれ共に暮らすことは無かった。『勇者』達は超人的ゆえに理解されず、恐れられ、孤立してしまう。超人的な力を前に村人たちは魔物が出てくる度にすべてをウハイに任せた。そうしてまたウハイは更に孤立していった。ウハイはその性格から多少は人々と打ち解けていたように思う。しかし、村人とウハイとの会話にはどこか距離感があると子供心にも感じていた。
陽気な割に寂しがりやな彼の者の背中を思い浮かべる。結局最期まで村人たちと打ち解けることはできずに終わってしまった。彼はエッジを前にいつも笑っていたが、どこか寂しそうだとも感じていた。
「爺ちゃんも爺ちゃんみたいな人も村の人もひっくるめて僕が守るよ!」
『勇者』は孤独だと教えてくれたウハイにエッジは胸を張ってそう答えた。そうするとかの賢者は咳がでてむせるまで笑った。彼の孤独を少しでも癒すことはできただろうか、エッジは今でも時々思い返す。
民も勇者も守る。
それがエッジの掲げる理想だった。勇者に守られるようなちっぽけな存在が何を言うか、度々そう言われ馬鹿にされてきた。この理想のせいでここまで左遷されてしまいもした。けれど諦めない。戦うことにおいて『勇者』達と差があってもいい。彼らに守られることがあってもいい。だがすべてを『勇者』に放任していいわけではないのだ。共に戦い、独りにせず、少しでも近くにいる事が彼らを守ることにつながる。エッジはそう信じて疑わなかった。彼らとて独りで戦わされるのは嫌だろうし弱った時、疲れた時は誰かに守られたいだろう。だからエッジは彼らも守るのだ。
エッジは書類を読み終え内容をもう一度整理した。そうして書類を読む間隣で待っていたダリルに告げる。
「ここに『勇者』が来るんだってさ。」
「は?」
ダリルが気の抜けた返事をする。
「『氷茨の聖女』が逃げちゃったから探しに。」
「マジかよ。」
ダリルの表情が驚愕に染まる。
今しがた読んだ書類の内容を伝え、『勇者』一行の宿や食事の手配をしてもらうとダリルは慌ただしく外に出て行った。ダリルが閉めた後のドアをぼんやりと眺めながらまだ見ぬ勇者と聖女に再び思いをはせる。彼女はどうして逃げ出したのだろうか、戦いが嫌になったのだろうか、勇者はどんな思いで探しているのだろうか、会ったことも無い彼らの事が気がかりで仕方ない。
(どんな人であっても俺のやることに変わりは無いか。とりあえず休憩がてら散歩でもしてこよう。書類も大分片づけられたしあともう一踏ん張りだろ。)
凝り固まった体をほぐしながらエッジは執務室を出て行った。