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カルメアに帰還しユイを案内した翌日、エッジを待っていたのは事務的な仕事だった。報告書の管理や運営費などのシステムはエッジが来る以前からかなりおざなりで、衛兵団の書類仕事もそんなにないのだが、さすがに一週間もあけていたのでかなり溜まっていた。
「まぁ、これくらいは溜まってるよね……。」
エッジは衛兵庁舎の自分の執務室で独り言をいった。衛兵団は総員59名だが書類仕事はほとんどエッジがやっていた。ほかの団員には備品整理や鍛錬、街の見回りをやってもらっている。
「独り言を言っても始まらん、とっととやるぞ。」
エッジから向かって斜め左から声がする。そこには額に深い皺を刻んで書類を読む青年がいた。がっしりとした体つきに精悍な顔つき、表情はいつも堅く、はたから見れば怒っているようにも見えるが話せば笑うし喜びもする。彼はダリルというエッジの補佐官だ。カルメアに来る前からのエッジの同期で二人一緒にここに赴任した。付き合いも長く隊員の中で一番信頼をおいている。
エッジが出ている間の書類仕事はダリルがやってくれていた。それでも書類が溜まっているのはやはり、エッジ自身が目を通さないといけないものばかりなのだ。
「これでもかなり厳選してまとめたんだ。後は知らん。」
冷たく突き放すような言い方だが、実際ダリルがまとめていなければ書類は倍に膨れ上がっていただろう。なにせここに来る書類はなかなか要領を得ない内容のものばかりで、かなり適当だ。
この街の領主は昨今の鉱物産業の衰退に伴い保守的かつ怠慢になりつつあった。特に現領主は酷く、すべてを各団体の裁量に任せて放置している。エッジが出す書類も読んでいるのか怪しい。報告書や運営費がおざなりなのもそのせいだ。
領主が碌に経費を管理しないせいでこの街の税金の流れは不透明な状態だ。どこかで横領されていてもおかしくはない。おかげで衛兵団の運営はカツカツで、その上街の治安自体はかなり良好なので衛兵団の仕事も少なく、住民たちからは給料泥棒だと思われがちだ。
しかし、エッジが来てからはその傾向も改善されつつあった。領主がやらない報告書や運営費の管理をエッジがやりだすようになってしまったからだ。最初は街の城壁の管理を行っていた大工協会の書類を衛兵団として請け負っただけだったのが、それをきっかけにどんどん増え、今では様々な方面からの管理を任されている。衛兵団とまったく関係ない報告書の処理をするのもざらだった。おかげで税金の流れがある程度透明化し、各方面からも信頼を受けるようになった。エッジの人柄から街の住民からも信頼をよせられ、衛兵団のイメージは次第に良好になってきている。
エッジは書類仕事に手をつけ始める。溜まった書類に手を付けたいところだが、まずはイシュー村の件について報告書をまとめないといけない。報告書など領主はみないだろうが、何かしらの記録を残しておくことは大切だ。
まずはイシュー村の現状についてだ。あの村は現在安全な状態だが近頃の魔物の動きを考えると、またいつ被害が出るかわからない。また、村にある魔よけの草である『アミ草』が枯れていたことも被害がでた要因だった。この辺りは魔物がよく出没するので村でのアミ草の栽培は必須だった。それがどういうわけかイシュー村のアミ草はほとんど枯れていた。アミ草を村に送るとともに原因の解明が必要だった。
書類をまとめダリルに渡す
「イシュー村にアミ草届ける手配を、それからこの報告書と一緒に魔法士協会と薬師協会にイシュー村の調査依頼をお願い。経費は全部僕んとこからとっといて。」
「ああ、わかった。」
現在衛兵団に運営以外のことにまわせる経費は無い。備品の管理や人件費、先日のような遠征費でいっぱいいっぱいだった。よって、それ以外のことに費用がかかる場合エッジが自腹を切る羽目になるのだ。
先の遠征の件についてはまだある。樹海に迷い込んだ子供たちの事だ。樹海から村まで大人の足でおよそ1時間だ。子供だけでもたどり着けないということは無いが、親からは厳重注意されている。いたずら半分で行く可能性はあるが、魔物の襲撃でピリピリしていた村人は子供たちに村から決して出ないように言いつけ、常に見ていた。それがどういう訳かいつの間にかいなくなっていたという。
子供たちの方はというと、全員口をそろえて「いつの間にか樹海にいた。」というのだ。嘘をついているそぶりも無くどうやら本当にそうらしい。そうなるとやはり誰かこの事件を仕組んだ犯人がいるはずなのだ。
その犯人を考えた時に真っ先に思い浮かぶ容疑者がいる。樹海で子供たちと一緒にいたユイだ。
ただそれだと不可解な事だらけだ。
一つは動機だ。いったい何が目的でここまで手の込んだ事をしたのか皆目見当がつかないのだ。今回、彼女は誘拐し金を要求する訳でも、惨殺するわけでもなく、ただただ攫っただけなのだ。
もう一つ犯行人数だ。この事件はまず、一切村人に気づかれることなく子供たちがいる家に侵入し誘拐する必要がある。それも4人もだ。そこからさらに子供を連れて樹海まで到達する必要がある訳だが、これはどう考えても複数人による犯行だ。手際の良さを見ても最低4人は必要だ。ユイ単独では不可能だし、仮に協力者がいたとしたら、その者たちも僕らが子供たちを見つけた場所の近くにいて、獣型の魔物に襲われたはずだ。もちろんそのような痕跡は無かったし、見落とす訳もない。
ユイの協力者は子供を樹海に連れていくとすぐにそこから離脱し、樹海を出た。ならば魔物に襲われる事も無いだろうが、それだとやはり何故ユイだけあの場に居たのかがわからない。
ではユイが犯人でないとすればあんな場所にいた理由は何なのか。あの樹海は決して人の住める場所ではない。どこから来たのかも、何故来たのかも、全くわからない。事情聴取をしても「言えない。」の一点張りだった。
ここまでわからない事だらけとなるともうお手上げだった。村人達は彼女を怪しく思っていたが衛兵団が事情を説明し犯人である可能性が低いことを伝えた。それでも納得できない様子だったが、子供たちがユイに懐いていたので、それ以上は何も言わなかった。
さて、そこで困ったのがユイの処遇だ。犯人である可能性は薄いが、ユイがあの場に居たことから事件と無関係は言い切れず衛兵団からも疑いの目は向けられている。村人たちの疑念もある為、このまま逃がす訳にもいかなかった。だからといって大した証拠も無く捕縛することもできない。そこでとりあえずは街に来てもらうということを提案した。カルメアの街は出入り口が南門一つのみだ。街を囲う外壁は高く一旦街に入ってしまえば簡単には出られない。
だからユイがエッジの提案をのみ、街に来てくれた時は心底安心した。エッジ個人としては当然彼女を犯人だとは思いたくないのだ。彼女の人となりを見ても子供を手にかけるようには見えないし、凶悪な人間にあそこまで子供たちが懐くとも思えなかった。
今後しばらくは彼女の動向を衛兵団で監視することになるだろう。今日はとりあえず探索魔法が優秀だということでケルシーに監視をお願いしている。監視相手が女性ということもあってなるべく監視員も女性を選びたいが衛兵団の女性は少ない。エッジの個人的な感情からも意中の女性を他の男に監視させるのは仕事とはいえ抵抗があった。
「この街の素行の良い傭兵団に女性限定で監視と尾行の仕事を依頼しておいて。報酬はずむからって。」
「おい、報酬ってまさか………」
「うん、僕の給料からとっといて。」
ユイの事に関しては私情も混じっているのだ。自分の給料から取るのに抵抗は無い。
イシュー村での遠征と事件についての報告書をあらかた書き終えると、わざとらしくダリルがため息をついた。
「お前、毎回そんなに出して本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だって。前にも言ったでしょ?僕には皆みたいに養う家族もいなければ君みたいに恋人もいない。金を使う相手は自分だけ。週に一回酒飲んでちょっと贅沢できれば何の文句もないよ。それにユイの件には私情入ってるし。」
仮にも独身の衛兵団隊長なので豪遊しなければかなり貯蓄ができる。その上騎士団に居た頃の貯蓄もある。今のエッジにはそれなりに蓄えがあり、余裕があった。
それを聞いたダリルがまたしてもため息交じりに言う。
「お前も恋人の一人でもつくれ、んでとっとと結婚して家庭ができりゃ金も必要になるだろ。今のお前、仕事だけに生きてるって感じだ。あんまり良くない。」
「そんなこと言ってもねぇ。僕にはやることあるし、街の人達とも仲良くなって仕事もやりがいを感じてる。僕の生活は充実してるんだから無理に恋人なんてつくんなくてもいいんだよ。」
ダリルは仕事に身を入れすぎているこの友人を心配していた。やけを起こしているのではないかと。この街に赴任するきっかけとなった出来事を未だに引きずっているのではないかと。
「ダリル。」
ふと友人にまっすぐ見つめられる。何でもないような雑談の途中で真面目な顔をされてダリルは少し戸惑った。つい机の上にあった書類を手にして視線をそらそうとしてしまう。誤魔化し気味に整理しようと手に取った書類は今しがた自分がまとめたものだった。
「僕は大丈夫だ。こんな事しか言えないけど……。」
エッジはダリルのくもり模様の表情を見て困ったような顔をした。
「本当に君は心配性だなぁ。」
「ほっとけ。」
なんだか心配していたダリルが心配されているような気がしてくる。ダリルは昔からエッジの困り顔に弱かった。この顔をされると自分は何故か言うことを聞こうと思ってしまうのだ。
ふとここでエッジは話題を戻した。
「恋人っていったらそうだ。僕好きな人ができたよ!」
なんだその5歳児のような報告は。あまりにもお天気な発言にダリルは先ほどまでの考えが全て吹き飛んでしまった。
「知っとるわ!まぁまたよりによってあの女に惚れるとは何事だ。」
この広いようで狭い街において、今や人気者になりつつあったエッジの『好きな人』の噂は遠征から帰還したその日のうちに広まっていた。遠征先から帰ってきた団員が庁舎に着くや否や、真っ先にその噂を広めていたのを覚えている。
「何でなだろうねー?」
「オイ。」
エッジの素っ頓狂な返事にダリルは椅子の上で器用にずっこけた。何か文句を言おうと口を開きかけて止まった。
「本当に………どうしてだろうねー。」
自問ともとれる発音でその言葉を呟いたエッジの表情は、ダリルが今まで見たことのないものだった。
嬉しさと困惑と疑問がいっしょくたにされた様なその表情は、今まで感じたことの無い感情の現れなのだろうが、エッジがそのことに気づく様子はない。
前途多難な恋を前になんとも微妙な表情を見せる友人を見て、少し不安に思うダリル。
しかし、ようやく仕事以外の事に時間を費やす兆候が見られた事には心底安堵した。あのまま生涯を仕事と共に終えそうだったエッジを救ったのが、ひと目惚れから始まる恋であることには驚いたが、この恋がエッジにとって良きものになるよう切に願うダリルであった。




