1-5
遠征から帰ったエッジに隊の皆はエッジの休暇を進言した。エッジは体力的に余裕があったので翌日からでも仕事に取り掛かりたかったが止められた。
自宅のベッドで朝日を浴びながら、昨日の衛兵庁舎でのやり取りを思い出す。ユイを宿屋に案内する前の事だ。
庁舎に戻り明日からの方針を皆に話したところ反対された。
「いけません、せめて一日だけでも休暇を取ってください。」
普段温厚なカイルがしかめっ面で言い寄る。ルーカスも同調する。
「そうですよ。遠征の時だって休みなしで、魔物の群だってほとんど隊長がやったじゃないですか。働きすぎなんですよ隊長は。」
オースが続く。
「隊長最近休んでなかったじゃないですか。明日一日は休みましょうよ。」
「いやいや、休憩は適度にもらってたし魔物も大した数相手にしてないよ。僕は元気だって。」
エッジはそう言って大丈夫だと言い張ったが聞いてもらえなかった。
この三人含め隊員のほとんどはエッジを尊敬し心配していた。20などという若すぎる隊長である以上なめられたり、反発されたりしそうなものだが、エッジの人となりがそうはさせなかった。隊員に元気よく話しかけ、この街を少しでも良くしようと懸命に働くエッジの姿が人を引き付けたのだ。
「とにかく明日はユイさんを誘って街を案内がてらデートにでも行ってきてください。」
ルーカスが言った。
「む、何故それを。」
「知れてないとでも思ったのですか?」
そう言ったのはケルシーという探索魔法の使い手だ。衛兵団の数少ない女性で、先の魔の樹海での捜索で探索魔法をつかって報告していたのは彼女だった。
「あれだけ彼女に近づいたりそわそわしていたら誰でも気付くでしょう。すでに街にも噂が広がってますよ。」
ケルシーは小馬鹿にしたように言った。
(な、なに!?)
「団として彼女の目的や正体は気になりますが、とりあえず明日は彼女とゆっくりしてきてはどうです?これは団の総意です。」
そっけない態度だが、なんだかんだケルシーもエッジのことを思っていた。
「わかったよー。」
不満げにエッジは答えた。
そんな昨日の出来事を回想し終えた頃にはユイのいる宿に着いていた。
アメリアとウォレスは昼の営業に向けて仕込みなどの準備をしていた。夜は夜で忙しいが昼は飯屋としてもやっている。客はそこそこ来るので朝から仕込む必要がある。アメリアが厨房から声をかける
「ユイちゃんならまだ部屋だよ。一番奥の部屋ね。お着換え中だから覗いちゃやーよ。」
(オバハン臭いなオイ。)
実際に言ったら怖いのでもちろん言わない。
「はいよ。」
エッジは返事をしユイの部屋に向かった。ノックをしてドア越しに尋ねる
「ユイ?迎えに来たけど?」
衣すれの音と共にすぐに返事があった。
「待ってて。」
ドアの向こう側でユイが着替えているのがわかる。本当に部屋の壁が薄いらしい。これでは小さな生活音でさえ聞こえてしまう。エッジが煩悩に苛まれる。
(下で待っていようか………。)
数十秒程でドアが開く。
「ん。」
白いローブは相変わらずだったが中の服装は違った。昨日までは長そで長ズボンの質素な旅装だったが、今はクリーム色のブラウスに臙脂色のプリーツスカートという街娘の服装で大分女の子らしさが出ていた。飾りが少なくこれもまた質素な印象を受けるが旅装とのギャップでかなり印象が変わる。フードはかぶっておらず彼女の綺麗な銀髪に素朴な格好がよく似合っていた。
ローブのせいで全身がよく見えないのがエッジとしては残念だった。というよりはローブがこの美少女の格好を台無しにしていた。スカート以外が白っぽいのでやや変な印象を受ける。
「ちょっと変だけどローブははずしたくないから。」
ユイはエッジの思考を読んだように言った。
生地の良さや控えめに付いたフリルからお金持ちの商家の娘といった感じだ。ユイは着替えを持っていないはずだから、この服はおそらくアメリアの若い頃のものだろう。
ユイはしばらくエッジを見つめていたが、やがてそっぽを向いてしまう。
(もしかして何か言うべきだったか?)
エッジは慌てて感想の言葉を探す。
「えーと、えーとー………か…かわいいと思うよ!」
探してきた言葉はどれも口にする前に抜け落ちて言えなかった。結局口にできたのは普段から思ってることだった。
「そう。」
返ってきたのはいつも通りのそっけない言葉と無表情だった。さすがにこれだけではまずいと思ってエッジは付け足した。
「そのリボンとかよく似合ってると思う。」
ユイのブラウスには襟のまわりに黒い紐がまかれていて首元でリボンが結んであった。よくある飾りだった。
「………そう。」
ユイはどうでもいいといった風にフードを被った。エッジには一瞬ユイの無表情が崩れたように見えた。しかし、他に特にこれといった反応もみられなかったので、これでよかったのか何もわからなかった。
(顔が見えても考えてる事が分かりづらいな………。)
気を取り直して案内をする場所を決める。
「どこか案内してほしいところはある?」
「服屋と生活用品店。あとはこの街の様子がそれとなく見られればそれでいい。」
「了解したよ。」
エッジはそう言ってユイと一緒に宿を出た。
このカルメアという都市は北東に山をかまえ、そこから扇状に建物が広がっている。そして外周には大きい外壁が建てられ、その根元にはアミ草が植えてある。北東は山、西は魔の樹海、南側は自国の都市なので他国からの侵略の心配は薄いが、魔の樹海からの魔物の存在があった。魔物の襲撃を想定してこの外壁は堅牢なものになっている。
カルメアの入り口は南の大きな門ただ一つだ。よって街の西側の城壁近くに位置するアメリアの店は入り口から遠いところにある。この辺りは街に来た傭兵や冒険者相手の商売が多い。酒場を兼ねた宿屋に武具屋、娼館などもあって俗っぽい地区だ。基本的に夜に賑わう店ばかりな上に最近は傭兵の数も少ないので朝は静かだ。
ここから少し東に向かうとこの街の住民向けに家具屋や調理器具店などの店が立ち並ぶようになる。基本的に頻繁に買い替える必要のない店が並ぶのでここも静かだ。こんな風に人通りが少ないのもユイにアメリアの宿屋を紹介した理由の一つだった。
今日はこの辺りの店に用はない。北東にこの街の住民の住宅街があるので東や北に行くと食材や生活用品を扱う店が立ち並ぶようになる。服屋や生活用品店は東側にあった。なら中央広場を経由して東側に行けばユイの希望にも沿うだろう。この街で一番人が集まる中央広場はこの街の現状を見るにはちょうどいい場所のはずだ。エッジは中央広場に向けて西の大通りを歩く。
途中街の住民たちに声をかけられた。
最初は家具屋のおじいさん。
「やぁエッジ君、おはよう。」
「おはよう!」
「昨日帰ってきたばかりなのに元気だね。」
「昨日はぐっすり寝たから今日はすこぶる元気だよ!」
エッジは明るく元気にかえす。
続いて鍛冶屋の店主の息子さん。
「おはようございます、エッジさん。早速今日からお仕事ですか?」
「おはよう。いやー、そうしようと思ったんだけど皆に『休め』って怒られちゃってさ。今日は非番だよ。」
と冗談交じりに昨日のことを話した。
調理器具屋のおばちゃんも通りがかって声をかけられた。
「おはよう。おやその子が遠征先で引っ掛けてきたっていう子かい?」
「あはは、違うってば向こうで知り合ってちょっと仲良くなっただけだよ。」
ユイに興味をひかれたおばさんの質問は笑って誤魔化した。
その後も何人かに声をかけられた。
人目を嫌うユイに悪いと思い、どうにかして大通りから人通りの少ない小さな路地に入り、そこを通って東側の店にたどり着いた。知り合いの店主たちにも声をかけられつつ、なんとか買い物を済ませた頃にはすでに日が傾きつつあった。ユイの買い物は存外長く、荷物持ちを進言したエッジは少し疲れていた。
今、エッジ達は小さな路地にいる。人通りが少ない夕刻なら中央広場に行ってもいいだろう。そんなことを考えているエッジにユイが声をかけてきた。
「あなた、人気者なのね。」
彼女から声をかけるのはこれが初めてだった。エッジは素直にうれしく思い、こたえる。
「まぁねー。ここに来た頃は人望がなかった上に嫌われてたからね。住民によく挨拶してたよ。今じゃ向こうから声をかけてくれるけどね。」
エッジがこの街に赴任してきた頃、住民からの衛兵団の評判は悪く、隊長であるエッジも歓迎されなかった。街全体の不景気で住民は他人に冷たくなりつつあったのだ。だが、それでも衰退の一途をたどるこの街の冷遇で、腐ってしまうつもりなどなかった。この街を良くし、そして守りたい、その一心で働いてきた。
住民と親睦を深めたのは信頼を得るため。その信頼を得るためエッジは自分を抑えてきた。本来ここまで明るく元気な人間ではないのだ。自分の本心は明朗快活な仮面の下にひた隠しにしてきたという自負があった。
だからこそユイの口にした言葉にエッジは動揺した。
「疲れないの?」
「どうして?」
咄嗟に聞き返してしまう。質問したのはユイなのに。自分の本心がバレてしまっているのではないかと思ったのだ。
「こんなにも明るくて社交的な人間でないことぐらいわかるわ。村にいた時だって一人で休んでたり静かに考え事してる時が多かった。無理をしていると考えるのは当然よ。」
「……よくみてるね。」
ユイは黙ってしまった。エッジは素直に驚いていた。自分の本性など同時期にカルメアに赴任した同期ぐらいしか知りえないのだ。それがたかが一週間程度の付き合いでバレてしまった。本当によくみているとエッジは思った。
日が暮れ建物の影で暗くなっている静かな道をエッジは進む。
「う~んまぁ………疲れるかな。」
迷った結果やはり本心を告げた。エッジたちは角を曲がり、先ほどより更に小さい路地を歩いていく。道は入り組んでいて、くねくねしていて迷路のようだ。
ユイは黙ってエッジの後をついてきていた。
「本当はこうやって静かに道を歩きたい時もあるし、いろんな人と話すのも疲れる。街の人たちの声がうるさく感じて逃げ出したいと思ったこともあったな。」
ユイに自分の心中を吐露する。仮面のしたに隠してきた思いは喋りだすと案外つらつらと出てきた。ずっと隠してきた思いがユイの前でならさらけ出せる気がした。
「でもね疲れる事ばかりじゃないんだよ。」
エッジたちの進む先に明るい大通りが見える。そこに出れば中央広場はすぐそこだ。エッジは続ける。
「最初は刺々しかった人たちがさ、毎日挨拶しているとね、皆少しずつ優しくなっていったんだ。それだけで確信できたんだ。僕はこれからもこの街でやっていけそうだなって。この街にはまた活気がもどるだろうなって。」
衰退の未来しか見えないこの街に簡単に活気がもどるはずもなかった。それでもエッジはこの街を見限らなかった。
「なんで?」
珍しくユイの言葉には感情がこもっていた。何かをこらえるような感じだった。
「この街は冷たいけどそれが全てじゃないってわかったから。ちゃんと人に優しくなれる街だってわかったら、ちょっと頑張ってやろうって気になってさ。我ながら単純だよねー。」
エッジは大通りに出て明るく笑った。薄暗い小路地に居るユイに振り返る。
「わからない。」
ユイのその言葉には刺があった。受け入れがたい考え方だと思い嫌悪感が表情に出る。その感情は言葉とフードから僅かに除かせた表情を伝ってエッジに届いた。エッジにはどうしてそんなに嫌悪感を感じるのかわからなかった。
だから感情的だった自分の言葉を思い返して少し論理的に自分の思いを伝える。考えをまとめながらゆっくりと語る。
「この街がさ………どこ見渡しても冷たい場所だったら、それはもうお仕舞いだよ。どうやったって僕のやる気は出ない。当たり前だよね、こんなくたびれた街で住民の態度までも悪かったらやってられないよ。この街に初めて来た日と赴任初日は僕もそう思ってたし、実際冷たくされて失望した。……………潰れろって思ったよ。」
1ヶ月ほど前の自分の気持ちを思い出す。訳あって当時のエッジはささくれていた。そこに冷たい態度の住民とくれば殺意さえ抱いてしまうほどだった。
「衛兵団の仕事に意義が感じられない、ここに僕の守るべきものなんてない、そう思ってた。でも初日の引き継ぎを終えた帰り道で見つけたんだ、僕の守るべきもの。」
赴任初日からエッジは必要最低限の仕事だけをして生きていくつもりだった。だが帰り道夕刻の中央広場を通りがかったエッジは足を止めて眺めた。そこにエッジの守るべきものがあった。
エッジは夕日が照らす大通りを走り出す。中央広場に着いて再びユイに振り返る。
「ほら見てよ、これがこの街の現状だよ。」
中央広場はこの街の中で一番多くの人が集まり数多くの露店が立ち並ぶ場所だった。この街が建てられた頃は鉱石を買い付けに来た商人たちが様々な商品を持ち込んできて、露店は大いに賑わっていたという。
今、夕方という時刻のせいもあるが中央広場はその広さに対して人が少なく、人が集まっているのは見受けられるが賑わっているとは言えなかった。夕日で赤みがかった街並みは哀愁を加速させていた。
「なかなか寂れてるわね。」
ユイが率直な感想をもらす。
「僕もそう思う。カルメア一帯は一つの『荒れ地』だって思うよ。」
土地は痩せていて、ところどころ岩肌が顔をのぞかせている。鉱山資源は枯渇し、街の人々は不景気な顔をしている。おまけに西からは魔物の脅威があった。この領地は荒れ地と言う他なかった。
エッジたちの目の前を家に帰っていく途中の子供たちが走っていく。仕事帰りの人々はこれから飲みにいこうという感じの人もいれば、家族の待つ家に帰る人もいた。
「それでも、こんな荒れ地の中の街にも人々の営みは確かにあるんだよ。昼間は子供が元気に遊んでいて、夕方になったらお母さんが夕飯の用意をしてくれて、夜は家族で夕食をとったり、親父は酒場で仕事仲間とバカ騒ぎ。仕事帰りに初めてここを通った僕は心底安心できたよ。冷たいだけの街じゃなくて良かったって………守る理由ができて良かったって、腹の底からそう思えたんだ。」
この小さな営みこそがエッジ・アルマスがこの街を守りたいと思う理由のすべてだった。
赴任初日のあの日エッジが見たのは泥だらけになって帰って来た子供を叱りつつも迎える親の姿だった。母親は目をつり上げつつ優しく泥を拭いて、ちょうど仕事から帰って来た父親はそれを見て豪快に笑っていた。冷たい街にも確かに存在する暖かさだった。たとえ職務に対する重責や自分を抑えた生き方に疲れても、この風景を思うと元気が出てくる。
「特別な理由なんて何もないけど、疲れても頑張れる理由はちゃんとここにあるよ。」
エッジの生き方に対してユイはもはや何も言わなかった。
(何か言いたい事があったんだろうけど………いつか話してくれるかな?)
沈み行く夕日に向かってエッジは歩いていく。ユイはそんなエッジの背中をしばらく見つめていた。