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今、目の前でユイが踊っている。
大勢の目の前で、ステージの上で、藍色を基調にした衣装をまとい踊っている。ここはアメリアの酒場だ。要は酒場に来た客の見世物として踊りを披露していた。踊り子にしては露出が少ない衣装で飾りもやや地味だ。特に顔の周りはベールやスカーフで覆われていて口元と髪はあまり見えないようになっていた。それでもなお時折ベールの下から見える綺麗な銀髪、灯りに照らされてうっすらと見える細い腕のライン、スリットからわずかにのぞかせる白い太腿はエッジを、というより観客を引き付けるのに十分な魅力があった。皆ステージ上の踊り子に魅了されている。
「なんで?」
「これがあの子の今のお仕事だよ。」
思わずもれたエッジの問いに答えたのはアメリアだった。ユイの踊りを前に呆然としていたエッジは、隣に立つアメリアに気づかなかった。久々にユイに会いに行こうと酒場に来てみれば、ユイが踊っていたのだ。いきなりの事でエッジはついつい見入ってしまう。
「いつからやってたの?」
「あの子がここに来て3日後くらいからかしらね。」
(そんな前から………)
知らなかった、とエッジは肩を落とした。そんなに前からやっていたのならもっと見に来ていたのに。
「言ってよ!」
「なんであんたにそんな事わざわざ報告せにゃならんのさ。それにあんた、ここ最近ずっと忙しかったそうじゃないかい。」
この街でエッジの噂はすぐに流れてくる。魔物の討伐と素材取引の件で街の各地を奔走していたエッジは確かに忙しかった。休日は丸1日休眠と家事全般に使い果たしていたので、酒場にも寄れない程だった。
それでも無理をしてでも行きたかったエッジは、抑えきれない悔恨と共に駄々をこねるように言った。
「そうだけど、そうだけど………そうだけどさぁ!あれ?」
ここであることに気づく。監視させていた者からの報告書にはそんな情報は無かった。どんな些細な事でも報告するように言ってあるのに。
エッジには思い当たる節があった。
「ダリルか。」
エッジが読む前の報告書の管理をしている彼なら、簡単にその報告書を握りつぶせる。理由は簡単、忙しいエッジをしっかり休ませるためだ。きっと無理をしてでも酒場に行こうとするエッジの行動が読めていたのだろう。心配性な彼のやりそうな事だった。とはいえちゃんとした理由があっても納得できるわけもなく。
「チクショー!!」
エッジは地団太を踏み、そんな彼を視界の端にとらえながらユイは踊り続けた。
踊り終えたユイが自室に戻ろうとしていたので急いで声をかけようとした。だがここで思いとどまる。
さすがに今日は人が多いからマズいかも。
明日が祝日で給料日とあって今日は酒場も満席近い状態だった。こんな状態で話しかければ当然目を引くだろう。それは彼女も嫌がるだろう。
せっかく会えると思ったのに………
かれこれ1カ月近く会っていない。最近ようやく休みらしい休みが取れたのでユイにあってから酒場で一杯やろうかと思っていたのに。気落ちしたが、酒場の繁盛はつまり街の活気の証だと無理やり自分を元気づけた。
気を取り直して酒を頼む。ここの客は外から来た傭兵が多い。つまり、『衛兵団長』の事を知っている者が少ないのだ。僕はそんな人たちに紛れて酒を飲むのが好きだった。ここでなら素の自分で人と話せる。時には彼らのアホな話を聞きながら一人でチビチビと蒸留酒を飲み、時には彼らに絡まれながら共に馬鹿みたいにエールをあおっては訳の分からん歌を熱唱した。ここ一カ月はずっと『衛兵団長』として職務をまっとうしてきたのだ。今日くらいは景気よくパーッと酒を飲んではめを外しても、誰も怒らないだろう。僕を『衛兵団長』として見ないこの酒場が心底好きだ。だから今日もその事を理解してくれているアメリアとウォレスに感謝を捧げながら一杯目で乾いたのどを潤した。
気が付くと酒場のテーブルには誰もいなかった。しばらく眠ってしまっていたらしい、飲みすぎたようで少し頭が痛い。
「んんー頭痛いー。」
言葉のすべてを濁音にしてうなる。今の自分の声が羊のようで少し笑った。
「どうぞ。」
テーブルに寝そべる僕の上から声がして視界の外から水が下りてくる。特に何も考えずに素直に受け取る。
「ん、ありがとう。」
水に口をつけて意識がはっきりして気づく。
「え?ユイ?」
上から降ってきた声の主はユイだった。盛大にむせた。少し落ち着きを取り戻して尋ねる。
「な、な、なんで!?」
「店じまいだから出てって。」
軽い店の手伝いを始めた事は聞いていた。だから彼女が僕に目もくれずそそくさ他のテーブルの片づけをし始めても驚かないし泣かない。むしろ相変わらずの淡白な態度に懐かしさすら感じてしまう事に心の中で少し笑った。まだちょっとの付き合いなのにおかしな話だ。すこしの名残惜しさを感じつつも席を立とうとすると声がかけられた。
「会いに来てくれたんでしょ。」
その言葉には素直に驚いた。
「気づいてたの……」
「あなたがわかりやすいだけよ。」
そうかもしれない。
「だから来てくれたの?」
「見ればわかるでしょ。店の手伝いをしてるの。酔っ払いを追い出すのも手伝いの内よ。」
それでも声をかけてくれたことが嬉しかった。酔った勢いで少し甘えてしまおうか。いやでも忙しそうだし酒が入った状態で絡んでもウザがられるかも。そんなこんなで悩んでいるとアメリアが僕の向かい側の席にレモネードをおいていった。ユイの為のものだろう。
「ウォレスから。今日もお疲れさんって。」
僕がユイと話したがっている事を察してくれた夫妻が気を利かせてくれたようだ。向こうでウォレスが変な顔をしていた。たぶん笑っているんだろうウォレスとアメリアに心の中で感謝した。すこし間をおいてユイが礼を言って座った。
「これを飲み終わるまでよ。」
レモネードを飲み終わるまで話に付き合ってくれるらしい。感激のあまり調子に乗ってしまう。
「んー、おかわり!!」
なんだこの鬱陶しい酔っ払い客は。
「帰るわよ。」
ユイが本気で席を立とうとしてたので
「スミマセンデシター。」
間髪入れず謝って許してもらった。
正面にユイが座っている。今は他に客もおらずラフな格好だった。そんな格好も新鮮で見とれているとユイが切り出した。
「そんなに黙って見つめられると気持ち悪い。」
「ストレートかよ!」
あんまりにも歯に衣着せぬ物言いにそんな感想が口に出てしまう。さすがに傷ついたが、確かに無言で見つめるのは気持ち悪いと思いなおして謝っておく。
「ご、ごめんなさい………」
とりあえず気を取り直して、近況から聞いていこう。
「えーとそれでね。この街の生活にはもう慣れた?」
「そうね慣れたといえば慣れたかしら。買い出しを頼まれる店と普段使う店の場所くらいは覚えたし、ひいきにしてる店の人には顔を覚えられたわ。」
「そっか。」
頷いたがどれも報告書でおよそ聞いていたので、だいたいわかっていた。改めてストーカーまがいの自分の知りように少し罪悪感を感じてしまうが、仕事なので仕方がない。
「店の手伝いをしてるんだね。」
「ちょうど良い働き口なの。宿代とその日の食事代だけ賄えればそれでいいわ。」
ユイは淡々と報告するように答えていた。ろくに愛想笑いすらしないが、きっとそれが楽なのだろう。
話題を変えようとさっきの踊りを思い出した。
「今日の踊り、すごい良かったよ!!」
こちらは大興奮である。
「そう。」
あちらは無関心のようだ。気にせず聞きたかったことを聞いてみる。
「でも、君が自分で踊り子を申し出たっていうのは意外だったよ。なんで?」
アメリア曰く自分で申し出たとのこと。どうして素性を明かしたがらない彼女が、目立つマネをしているのか知りたかった。
「………アメリアさんに聞いたのね。仮にもお世話になってるお店だから、繁盛したらいいなと思っただけよ。」
「ふーん。」
他にも理由があると見た。あれだけ素性を隠したがる彼女がそれだけの理由で踊り子になるとは思えない。
だから問い詰めた。
「で、他には?」
するとユイは少しうつむき僕から視線をそらしてこう言った。
「…………踊り子の衣装が気に入ったからよ。」
初めて見せた女性らしい一面に心の中で微笑んだ。この街に来てからずっと張り詰めていたようだったから少し安心した。
「何を笑っているの。」
心の笑みは漏れていたらしい。先程と違って正面から僕を見据えるユイは角度を変えれば、ほんの少しむくれているようにも見える。大人っぽくて静かな彼女には珍しい表情だ。ただの無表情に見えていた顔が彼女を知るほどに様々な表情を見せる。この事実がたまらなく嬉しくて愛おしかった。このまま黙っているとユイが口をきいてくれなくなりそうなので、しっかりこたえる。
「うん、とっても綺麗だった。すごく似合ってたよ。」
「そう。」
このあいだの服の感想と同じく大したほめ言葉も出せなかったが、酔っているので勘弁してほしい。
「踊りはどうやっておぼえたの?」
「………ここに来た頃通りすがりの踊り子さんが教えてくれたわ。」
(ここ?カルメアの事なら変だな。カルメアに来て3日目で始めたのにこんなに上手く踊れるわけない。)
机に肘をついて前かがみだった状態から背もたれに背を預けてだらりとして考える。不意にユイが問いかけてきた。
「君は私と喋ってて楽しい?」
急なその問いにそして、彼女から話しかけてきたということにまたしても驚いた。自分から何かを話すようには見えないので今日の彼女の態度は意外に感じた。何かあったのだろうか?そんな風に考えずにはいられない。とりあえず聞かれたことに答えよう。
「すごく楽しいよ。」
今日の嬉しさを乗せて発した声はやけに穏やかだった。もっと興奮気味に言ってしまうと自分でも思っていたのに。何故だろう?
「そう。」
ユイがいつも通り短くこたえた。しかし、今の彼女は何か考え込んでいるようだ。やはり何かあったのだろう、そう思って体を背もたれから起こしながら聞いてみる。
「どうしたのさ。何かあった?」
するとユイは一度僕を見て目をそらしてしまった。その表情はやはりいつもの無表情で感情はくみ取れない。ただ思い悩んでいるということだけはわかる。そんなユイをじっと眺めてふと目を離した瞬間に彼女は口を開いた。
「どうしてそんなに楽しいの?私はいつも素っ気ないのに。」
その質問には簡単に答えられる。でも出会って数回の人に言ってしまっていいものか。そうは思ったが彼女もおそらくわかっていて聞いたのだろうと腹をくくった。
「そんなことないよ。好きな人の会話は楽しいものだよ。」
理由などコレしかなかった。だからどんなに素っ気なくても楽しい。彼女もそれくらいわかってるはずだ。というかこれだけ周りにバレバレで街の人に噂されてるのだから、気づかない方がおかしい。
「それは『親愛』?それとも………」
「ひと目惚れだったよ。」
「そう。」
ユイが短い返答の後に押し黙る。勢いでここまで言ってしまったが非常に気まずい。最近慣れてきた彼女の沈黙がいっそう苦しいものに感じられる。沈黙に喘ぎ苦しむ僕をよそに彼女はまた考え込んでいた。自分の考えをまとめ僕に伝えるために思い悩んでいた。そんな彼女を見て少し嬉しいと思うと同時に悲しかった。
なぜならユイの表情から恋慕のかけらも感じられないからだ。いくら無表情な彼女でも人から感情を受け取れば僅かにでも表情が変わるはずなのだ。それが全く感じられない事が悲しかった。
「私に好意を向けてくれた君の為に今伝えられる範囲で私の思いを伝えるわ。
私は…………君のこと………いえ考え方が嫌いよ。」
なのに彼女は真摯にも己の思いを口にした。僕の為に思い悩んだ言葉なら普通に嫌いだとか言ってくれればいいのに。どうして『考え方』だなんて。
「どういうこと?」
「私は君の考え方が嫌いなの。魔法に感情が乗るってことを言ってくれた日、この街に対する思いを伝えてくれた日、私は少し君を嫌いになったの。君の考え方を憎んでると言ってもいいわ。理由は言えないけれどそう思ったの。」
僕は自分の考え方が気に入っていた。魔法の事もこの街に対する思いの事もどちらも僕が関わってきた大事な人達からもらったものだから。
それだけに単に嫌いだといわれるよりもショックだった。僕も少しユイを嫌いになったかもしれない。彼女は続ける。
「けれどあの日、自分の考え方を思いを語る君を見て思った。あぁこの人は自分の思いに誇りを持っているんだなぁって。それが素敵な事に思えたの。」
今日何度目の驚きだろうか。彼女はやんわりと微笑みながら話していた。どうして。
「どうしてそんなこと言うのさ。」
己が苦しさが口から出てしまう。今の僕の表情はさぞ歪んでいることだろう。こんな顔ユイに見せたいわけじゃないのに。僕は大事な部分を否定しつつも肯定されたことに困惑していた。そして同時に苦しかった。自分の好きな人がただ単に好きでいられなくなってしまうことが。少し言いよどみつつもユイはこたえる。
「ごめんなさい、傷つけたいわけじゃないの。ただ私は…………いろいろと問題のある人間で………これから君を沢山傷つける事になると思うから………私の傍は危険だから。」
「だから自分に近づかない方がいいって?」
「ええ。」
そう言ったユイの表情はほんの少し悲しげに見えた。
わかっている。傷つけたくてこんな事を言ったわけじゃ無いって事ぐらい。ユイも今の僕と同じなんだ。程度の違いはあれど相手の事が好きでも嫌いなところは嫌い。そういうことなんだろう。それに彼女は複雑な事情を持つ人間だ。その事情の中にはきっと人を傷つけてしまうような事もあるのだろう。だがそれがユイを避ける理由にはならない。僕はユイの事が好なんだ。困惑からも苦しみからも立ち直った。立ち直りが早いのが僕の長所でもあるんだ。だから今日も彼女に一歩近づこう。
「じゃあさ、部分的にすんごい気に入らない所があるけれど僕自体はそこそこ好きって事?」
ユイが僅かに驚く。それとほぼ同時に反論した。
「そこそこ好きなんて言ってないわ。」
そんな食ってかからんでも。
「ぶーぶー」
茶化して不満の声を上げる。さっきまでの気まずい空気を取っ払いたくてやったけど、酔っ払いがこういうことやると少し鬱陶しいかもしれない。
「でも、そうね。」
ユイはそう言っていたずらっぽい笑みを浮かべてからこう言った。
「”お気に入りに登録”ぐらいはしてあるわ。」
独特の言い回しをもって僕に対する思いを告げるユイを見てこう思った。僕はなんて単純なんだろうと。初めて見せた表情もお気に入りという言葉でさえも僕にとっては素直に嬉しいものなんだ。茶化して大成功だ。
「だったらこれからも会いに来るよ。」
これからもっとユイの事を知っていこう。
「まだ話せてない事が沢山あるわ。」
お互い分かり合えなかったり嫌いなとこもあるかもしれない。
「君は複雑なんだね。」
君は難解である。
「君は少し単純すぎるわ。」
心外である。
「なら単純な人らしく明日から毎日あしげく通わせてもらうとしようかな。」
そんな露骨に嫌そうな顔せんでも。
「ちゃんと仕事が忙しくない時に来なさい。」
でも相変わらず優しい。
気付けばユイのレモネードは空だった。外に出てみればひんやりとした空気が肌を刺した。辺りはすっかり真っ暗で住民は完全に寝静まり街灯でさえも消えている。きっと明日は昼まで寝こけてしまうだろう。店の出口まで見送りに来てくれたユイがゆらゆらと手を振っている。今日はまだ知らないユイの事をいっぱい知れた。明日はきっと今日よりも知る事ができるだろう。今はもっと彼女の事を知っていかなければいけない。なにせ自分が惚れた相手は樹海にいた上に素性を明かさない訳アリの女性だ。これから彼女を取り巻く様々な困難に出会うだろう。だけど当然諦めない。自分がこんなにも心を動かされた人は初めてなのだから。




