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或る少女の独白

作者: 野崎昭彦

 雨粒が遠慮がちに窓硝子を叩く音が、部屋の中にも響いていた。

 燭台に取り付けられた蝋燭が投げかけるわずかな光が不安げに揺れている。

 雨は嫌いだ。今のような雨の日の夕方など、実に憂鬱ゆううつな気分になる。

 特に今日は数年に一度の素晴らしい晩餐ばんさんだというのに。

 私は窓際の椅子に掛けて本のページをぱらぱらとめくっていたが、ふと廊下を近付いてくる足音に気付いた。

 注意して耳を傾けると、足音の主は二人であるようだ。歩き方の特徴から、一人は私に仕える唯一の使用人であるとわかる。

 ということは恐らく、もう一人が今晩のメインディッシュなのだろう。

 しばらくして、遠慮がちに二度、部屋の扉を叩く音がした。

 ずいぶん遠慮がちなようにも思えたが、他に音を立てる物のない静かな部屋では割合に大きく響いた。


「どうぞ、お入りになって」


 私がそう言うと、扉がゆっくりと開かれた。

 腰の曲がった使用人が連れてきたのは、街であればどこにでもいそうな学生姿の少女。

 せっかくの髪を染色とパーマネントで台無しにしているのは気になるが、それ以外は特に問題なさそうだ。

 ほっそりとした体格も私好みだし、なにより、私を見る怯えた目が素晴らしい。

 使用人は私に軽く頭を下げると、部屋を出て行った。残された少女はその場に立ち尽くしている。


「随分と怯えてらっしゃるのですね。何も不安はありませんよ」


 私は、本をサイドテーブルに置いて立ち上がった。

 顔には笑顔を浮かべ、両手を広げて少女を迎え入れようとする。

 しかし、少女は怯えた目のまま後ずさった。背中が扉についたのだろう、小さな音がした。

 大抵の人間は私を見るとそういう反応をする。そうでない者もたまにはいるが……今は関係ない。

 私はあわてず、ゆっくりと少女に近づいた。

 一歩、一歩と足を進めるたび、少女の目が、顔が、恐怖に歪んでいく。

 少女との距離が一メートル程までになった時、少女は急に振り向いて部屋から飛び出した。

 私の目の前で扉が閉じられ、大きな音を立てる。私は少女を追うべくノブを回したが、扉は開かない。

 耳を澄ますと、荒い息遣いがわずかに聞こえてくる。逃げたわけではなく、体全体で扉を押さえているらしい。

 精一杯の抵抗のつもりなのだろうが、詰めが甘い。

 私は部屋の壁に設えられた姿見に歩み寄ると、鏡面を手で軽く押した。

 すると、鏡面はするすると横にすべり、壁の中に消えてしまった。

 私は枠だけになった姿見を通って隣の部屋に出た。

 元いた部屋と線対称になるように作られた部屋はまるで鏡像のようだ。

 私が廊下に出ると、少女は驚き、床を這いずって逃げようとした。

 それはそうだろう。私が予想外の場所から現れたのだから。

 しかし、それで逃げ切れるはずはない。少女に追いついた私は襟首を掴んで立たせ、元の部屋に引きずり込んだ。


「どうして逃げようとなさったのかしら? きっと何か、悪い勘違いをしているのでしょう?」


 私はそう言いながら、少女の顔を覗き込んだ。目に映り込んだ私の顔は雪のように白く、目と唇だけが紅を注した様に赤い。

 客観的に観れば十分に美しいと評される顔だろう。だが、私はこの顔が嫌いだった。理由は特にない。まやかしに理由はいらないだろう。

 こんな人外の化け物の姿をも映し出すのは人の目くらいなものだ。鏡が真実を映し出すのとは違い、人の目に映るのは虚構。

 だからこそ、私のような魂のない存在すら捉えることができるのだろう。

 嫌悪感を堪えつつしばらく覗いていると、徐々に少女の顔から表情が消えていった。

 焦点の合わない、ぼうっとした目は瞬き一つせず、ただ私の目を見つめ返している。

 私は、少女をそっと抱きしめ、その柔肌に静かに口を寄せた……。

 ***


 雨粒が遠慮がちに窓硝子を叩く音が、部屋の中にも響いていた。

 燭台に取り付けられた蝋燭が投げかけるわずかな光が不安げに揺れている。

 雨は嫌いだ。今のような雨の日の夜中など、実に憂鬱な気分になる。

 私は窓際の椅子に掛けて、読むともなしに本の頁をぱらぱらと捲っていた。

 今宵の晩餐に供された少女は、先ほどまで部屋の床に寝かしておいたが、すでに使用人によって地下墓地へ運ばれている。

 もう二、三日もすれば私の墓を飾る美しい芸術になることだろう。

 そうでなくては、わざわざ傷が目立たないようにした意味がない。


「そうね、蒲公英タンポポというのでは、芸がないかしら?」


 私は誰にともなく尋ねる。少女につけるべき名だ。

 少女はもうヒトではない。ならば、ヒトであった頃の名など意味を成さない。

 戒名、という類のものでもない。それは魂に付けられるものだから。

 あくまで体に付けられるもの、それが私の考えている名だ。

 体、といっても普通の屍体の様に醜く腐食して白骨になるわけではない。

 全身の血液を吸い尽くしたことで活動を止めた体は私の墓で屍蝋人形となり、その美を永遠に留めるのだ。

 そう遠くない将来、私が生きることをやめた時にその眠りを見守ってもらうために。


「それにしても、」


 私は時折思うことがある。


「この呪わしい生が尽きるときは、一体いつになるのかしら?」


 とても永い、停滞した時を使用人と二人で緩慢かんまんに過ごして来た。

 笑ったり、怒ったり、泣いたりすることにもとうに厭きた。

 私は憂鬱な気分のまま、本の頁を捲った。

 姿見に写った無人の部屋で、宙に浮いた本がひとりでに捲れる。

 雨はいつか止み、いずれは夜も明ける。だが、私の滅びはまだ、訪れないのだ。

 それだけがただ、憂鬱だった。

この作品、かなりジャンルに悩んでいます。

ゴシックな感じを目指したものの、ホラーではないし、なんだか中途半端……

吸血鬼ものって、難しいですね。

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