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日が昇る頃、ロズウェルはジャケットにスカーフ、乗馬用のズボンにサイドバックを身に付け、側に立っている執事長ベルエムから剣を受け取った。
「ベルエム、留守を頼む」
「畏まりました、旦那様」
にこやかに微笑んだベルエムは流れる様な礼をした。
歳を重ねた白髪は後ろへ撫で付けられ、芯の通った姿勢で立つ彼は御歳65才。この小さな屋敷で最もロズウェルに長く使え、最もロズウェルの若かりし頃の妻には言えないアレやコレを知っている人物である。
「マリー様には勉強とマナーレッスンをしていただくよう手配してあります」
「ああ、今日は大人しくさせておけ。間違っても森に行かせるな。森には何がいるか分からんからな」
「マリー様が知らなかったにしても、ご無事で何よりでした」
「違和感を感じたら直ぐ報告する様に教えてきたはずだがな……。あの、リディしかない頭は誰に似たのか」
「旦那様でしょう」
「………私はもう少し考えていたぞ」
「規則破りや女性問題のことでしたかな?ほっほ、確かに」
「……………。」
懐かしそうに笑うベルエムに対してロズウェルは不機嫌に口元を歪めた。いつだって若かりし頃を知る人には逆らいにくいものである。
剣を腰に差し、鏡で身支度を整えたロズウェルは己のリディ――バクスイに声を掛けると自室を後にした。
領主屋敷から約2時間。
馬を駆けると領土の南にある森に突き当たる。ロズウェルが着いた頃には各々のリディを連れた領民達が武器を携え世間話を繰り広げている最中であった。
「お、領主様!おはようございます!」
「おはよう。今日は宜しく頼む」
「いえいえ、そんな!森は私達の生活に欠かせないものですから、私達が出てくるのは当然です。こちらこそ宜しくお願いします」
集まっていた数人の領民達がロズウェルに頭を下げ、それを見た領民のリディ達も頭を下げる。リディは言葉こそ通じないが、知性ある生き物だと知られている。契約者が敬う相手には自然とリディも腰が低くなる傾向があり、リディが契約者の心情を表していると言ってもいい。その為、契約者の腰が低くてもリディが尊大な態度をとっている場合の大体は単純に躾のなっていないリディか、契約者の内心がリディに現れているかのどちらかである。
「では、湖を中心に、徐々に離れながら見回りをする。あまり深くには入らないように」
ロズウェルはそう言いながら歩き始める。
領民達の多くは義務付けられた魔力測定で規定値に達していた為魔術学院に入学したものの、魔力が少なく、カシネズミと契約した者である。一人、二人、イタチのようなものと契約した者もいるが、はっきり言って戦闘には不向きな部類であった。
しかし、それでもリディは人間より感覚が鋭いので、人手不足、金銭不足のガリア領ではこうして領民が出てくるのである。この辺りが領民と領主の距離が近い理由かもしれない。
春風の溜まり場、通称湖は森に入って比較的近い場所にあった。
冬でも凍らない湖はガリア領の大事な水源であり、領民の生活を豊かにする憩いの場である。水は透き通り、悠遊と泳ぐ魚の鱗が太陽光をキラリと反射した。さらに、家族だろうか、バクスイが何匹かまとまって湖にいるのも見えた。
「バクスイ、水質を見てこい」
「ゥオ」
バクスイはロズウェルを見上げ小さく鳴くと、のそのそと湖へ入っていった。
バクスイは本来湖に住む人好きな生き物である。
短い四肢で歩行し、長い鼻で水を吸い上げてお互いの体に掛け合う習性がある。この習性は一説ではマッサージをし合っているのではないかと言われているが、ほぼ一日中水面に浮いて過ごすバクスイの皮膚は体がふやけないようゴム状な為、水を掛け合うと言えども実際は恐ろしい水圧だ。バクスイの水掛けは好意の印で、特に子供のバクスイは湖に人が来るや否や純粋なる好意と歓迎の意を持って水掛けを行うので、湖に近づく人は片っ端から弾き飛ばされる光景が見られる。国内でも有名な「春風の溜まり場」でも観光客が来ない理由はここにあった。領民は子供の頃から飛ばされ続けているので、成人する頃にはバクスイの水光線から世間話しながら避けるという謎技術が身につくこととなる。
なお、ロズウェルがバクスイと契約した際の魔術学院では暫くロズウェルの周りで避け慣れていない学生達が宙を舞う事態に見舞われ、その中で正面、不意打ち全てを笑顔で避け切ったガリア領出身者は周囲から畏敬の目で見られたという。
――森に変化があれば、湖に影響が出てもおかしくないが……
この森に住む生物の水源はこの湖だ。
今まで溶け込んでいなかった成分や物が今溶け込んでいる可能性がある、と考えたロズウェルは水を採取し、試薬と混ぜた。
「バクスイがこっちに気づいたぞ」
「おお、今年は子供が多いな」
「こりゃ、子供達の怪我も多そうだなぁ」
わはは、がははと笑う領民。
喜びを露わに水飛沫を上げて泳ぎ寄って来る子供バクスイ。
真剣に試験管を振るロズウェル。
「「「ゥオオオ!ゥオオオ!」」」
バクスイ式歓迎の儀、開催。