5
翌日。
マリーは今日も森を歩いていた。
腰にはサイドポーチがあり、クラウスが用意してくれた薬が数種類入っている。
あの後、マリーの部屋にこれから登山するのかと言わんばかりの大きなリュックが届き、中いっぱいに様々な種類の薬が入っていた。重すぎてメイドが運べなかったため、直接クラウスが笑顔で背負ってきたくらいだ。マリーは喜んでクラウスにハグをすると、その中から良く使う塗り薬や飲み薬を選び、サイドポーチに入れ直したのである。
――お兄様は学院に行っちゃったけど、頑張らなくちゃ。帰ってきたら驚かせるんだ!
そう意気込んでマリーは散策を始めた。
春栗を拾い、野イチゴを取りながら歩く。
歩く。
歩く。
――……あれ?なんか、静か…?
少し歩いて、マリーは不思議に思った。いつも歩けば何かしらの魔物がいるのに…。マリーが生まれてから、この森に危ない魔物が出たとは聞いた事がなかった。しかし、万が一の事がある。少し怖くなったマリーは父に知らせようと足先を変えた――その時。
――……ァ、……クァ
「ん?」
何か、聞こえた。
弱々しい、小さな声。不規則に聞こえるその声に、マリーは傷付いた魔物がいるのでは、と足先を戻す。
どうやら声はマリーが行こうとしていた方向から聞こえるようだ。
マリーは迷った。奥へ行くか、戻るか。もし全てが気のせいで、何もなければ奥へ行く。今は兄から貰った薬があるのだ、見過ごせない。しかし、万が一森に危険な魔物が迷い込んでいれば、マリーには抵抗する術がなかった。あるのはトングだけである。
迷って、迷って、迷った末、……マリーは奥へ行くことを決めた。
といってもほんの少し、少しだけ、である。これが知られればロズウェルから大目玉をくらうだろうが、人手不足のガリア家にはマリーを見張る人がいない。
――大丈夫、ちょっとだけ。ちょっと見てくるだけ。何もなければ戻れば大丈夫。
そろり、そろりと腰を落としたマリーは進む。
ガサガサと草をかき分け、マリーは進んだ。
声は今も時折聞こえている。
周りを見回しながら進んでいると、視界の中で違和感を覚えた。
「んん?」
良く見てみると、空き地があった。
空き地なんてあったっけ?と首を傾げるマリー。必死に思い出そうとして警戒心がすっぽ抜け、完全棒立ちである。
うんうん唸って思い出したのは、空き地のあたりはこの間マリーがデュッサに餌をあげていた場所だった。昨日はきちんと木が生えていたので、一晩で空き地になったという事だ。
大人であれば、この答えに恐怖心を抱いて領主に報告へ行くだろう。だが、ここにいるのは答えが出てスッキリしたマリーだ。当然その身に恐怖心など無かった。あるのは思い出せた達成感だけである。
興味が湧いたマリーは空き地に向かった。
心なしか、声も近くにいるようだ。
空き地に出ると、ぽっかりと地面が出ており、草ひとつ生えていない。声はするが、声の主は居なかった。
「何処にいるのー?薬持ってきたよー?」
――……クァ……………クルル……
空き地周辺を手当たり次第探しまわったが、それでも見つけられない。
探していない場所など、後は木の上くらいのものだ。
ハッ!
木を見上げた瞬間、マリーの脳内では稲妻の様な閃きが過ぎった。
――見つからないのは、見つけられたくないのかも…!!
これだ!と脳内の小さなマリー達が賛同する。満場一致過ぎてもうこれしか見えなかった。
マリーは空き地の真ん中で塗り薬の蓋を開けて置いておくとともに、小さな穴を掘り、ビニールを裂いて敷き詰め、飲み薬を半分入れた。
後は、取っていた春栗や野イチゴを数個並べ、
「置いておくから、ちゃんと飲むんだよ!」
カゴから春栗が飛び出るのも構わず、走り去った。
その日、マリーはよほど緊張していたのか、帰るなりすぐに寝落ちた。出迎えたターニャは切れ長の目を見開き、医者を呼べと叫んだほどである。
無事、次の日は通常時間にマリーの目は覚めたが、翌日もその翌日もマリーは薬を届けては寝落ちし、届けては寝落ちを繰り返したのだった。
―――数日後。
マリーがいつもの様に森へ行った。相変わらず魔物は見当たらない。
空き地へ行くと、辺りがぼんやりと白がかっていた。
――これ……、霧……?
マリーは霧を見たことがない。本で読んだことはあるが、霧を見たのは初めてであった。
「わあああ!」
嬉しくなったマリーはぱあっ!と笑顔を浮かべて霧の中へ突進。霧の中は暖かく、春先で長袖を着ていたマリーは半袖でも良い気がした。
くるくる、くるくる。
――クゥ…クルル…
霧の中でマリーは回る。心なしか、聞こえた声は元気になったようだ。
「おはよう!少しは元気になった?」
――クァ…?
「元気!」
――ク…ゥ!
「ふふ、良かった!」
回り回って満足したマリーは、薬と春栗、イチゴを置く。マリーは辺りを見回すが、前回置いていった薬の缶が見当たらなかった。初めて置いていった時から缶は帰らぬ物となっていたのだ。もしかしたら、何処かに集めてるのかな。マリーはうんうん頷くと、霧の中へ声をかけた。
「ちゃんと食べて寝るんだよ!また明日くるからねー」
――クゥ!
初めて会話が出来たマリーは浮き足立って森を引き返す。たったか早足で歩くマリーの後ろで蠢くのは声か、霧か。
「旦那様、領民から不安が寄せられています。この数日、森で魔物を見かけなくなったので他の凶暴な魔物が入り込んだのではないか、とのことでした。まだ実害は有りませんが、このままでは領民の生活に影響が出ます。如何されますか」
「……万が一があれば困る。見回りに行く」
「かしこまりました」
マリーはまだ、知らない。