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前回の要約
特別という言葉に胸が軋んだセオフィラスは忘れていた過去を思い出す。幼い彼の特別となった、怪我をして保護した小さな魔物。その儚い命が魔術契約主義の親に奪われたあの時に彼は決意する。
ーーリディは魔術契約しなくてはならない(でないと奪われてしまう)。
そんな、幼少期の枷を受け止めたセオフィラスの変化のお話。
「そういえば闘技祭と文化祭の参加確認書?を配るように言われたんだけど、どっちかにしか参加出来ないの?」
夕食後、マリー、ナタリア、パニラの3人は談話室に集まり宿題をこなしていた。
談話室とは男子寮と女子寮の間にある建物で、革のソファやイス、テーブルが何組も置いてあり、床には音を吸収する赤い絨毯が敷いてある生徒達の憩いの場だ。そして流石は本院、王族が入院しても支障の無い程度には整えられている。
何故マリー達がここにいるのかと言うと、終わらぬ係活動をセオフィラスの一言により明日に回すことにして一旦自主的に終了した後、帰寮して夕飯を食べ、さて課題を消化するかとなったところでパニラが申し訳なさそうに口を開いたのである。
曰く、クラス長になったパニラはある男子生徒に連絡したいことがあるらしい。
パニラが倍率の高い、あのクラス長席を獲得した経緯については詳細を省かせてもらうが、ひとつ、ホワイトミュラーによる不慮の事故があったと述べておこう。契約者の精神衝動をそのまま反映したホワイトミュラーは、教室中にそれはそれは目の潰れるような赤い輝きを放ったのである。
ということで、課題の傍らパニラの用事が終わるまでの間、話題に出ていたのは他の生徒に配るよう言付かった紙――闘技祭及び文化祭の参加確認書。
ナタリアは前のめりになっていた姿勢を戻し、緩くうねる髪を耳にかけ直した。
「基本的にはそうね。武力を示す闘技祭か、感性を示す文化祭。稀に教師の推薦を貰って両方参加する人もいるそうだけど、去年は居なかったわ」
「大体は男子が闘技祭で、女子は文化祭に参加するのが多いかな?マリーちゃんは見に来た事ある?」
「ううん、闘技祭の映像しか見た事ない。お兄様が首都は危ないからって…。去年はお兄様が優勝したってトロフィー見せてくれたよ」
学院の大きな行事のひとつである闘技祭の優勝は首席獲得にそれなりに影響する。よって、昨年マリーに首席を誓ったクラウスがその一助となる優勝を逃さない訳がなかった。
また、学友が個人的に聞いたクラウスのコメント――「大切なのは優勝した事じゃなくて、他の人の首席の可能性を低く出来たことだから。あ、でもトロフィーはマリーが喜んでくれるから無駄にならないね」――は、無事、学友のクラウス発言集に殿堂入りしている。
なお、彼は今でもクラウスの強行帰省「授業を捨てても単位は取れる」発言を許してはいない。
「ああ…、あれは凄かったよね。ガリア先輩去年急に活躍し始めたからファンクラブも急遽出来上がったし。…今年は誰が優勝するかな?2年生にもフォルタンシア君がいるけど3年生も仕上げてくるもんね」
「まあ、去年と代わり映えしなければ優勝は3年生でしょうね。1年の差でも身体の出来は変わる年頃だから。魔術だって、3年次の実践授業を熟す前と後じゃ全然違ってくるわ」
「へぇ、でもやっぱりフォルタンシア君って凄いんだね。ガラングリルも大人しくて賢かったから強いんだろうなぁ」
「!」
「!、マリー貴女、いつの間にあの人のリディと――」
突如、ナタリアの声は黄色いさざめきに遮られた。
驚く2人と冷静な1人が騒めきの中心に目を向けると、どうやら男子寮に繋がるドアからウィリアム・フォルタンシアと2人の男子生徒が入ってことが原因のようだ。
頰を染めた女子生徒達がほぅ…と男子生徒達へ熱い吐息を漏らす一方で、マリーの発言に目を鋭くしたナタリアとパニラは直ぐにマリーへ向き直ると、
「いいマリー、あまり人前で親しくしない方がいいわ」
「そう!フォルタンシア君は特にダメ、婚約者候補の人に目をつけられるから!」
なにやら穏やかではない事を言い出した。
2人の心境を表しているのであろう2匹のリディは、陰ながらそのウィリアムに向けて刃を構えたり歯を見せて手をガサガサしたりとやりたい放題。
プレグリティは別として、以前気弱だったスノウミュラーは思わず二度見する程荒ぶっていた。
マリーからすると兄が婚約者を探してあげた同級生と偶々会って仲良くなっただけの話なのだが、正直なところ、第三王子のウィリアムの周りには将来の大臣候補や婚約者候補と噂される者など、権力のある生徒が多く集まる。
よって2人は、マリーが無意味な女の争いに巻き込まれるのを、またはリディの観察に不純物が入り込むのを危惧して、こうして注意しているのである。
だが、そうは王子が許さない。
ナタリアとパニラが声を潜め、言葉を尽くし、マリーを説得している中、話題の人物ウィリアム・フォルタンシアは談話室にマリーがいるのを見つけると青い目を煌めかせて声を上げた。
「ガリアさん!何してるの?課題?」
一学生とは言えこの国の第三王子。
その彼が特定の女子生徒に親しげに声を掛けたことでざわりと広がる声。ウィリアムと共にいた男子は額を抑え、ナタリアとパニラは内心悪態を吐いた。バレたら完全に不敬である。
気品ある少年らしい笑顔で近づいてくるウィリアムに助言を消化しきれないマリーは少し困ったが、ふと閃く。
――さっき婚約者候補に、って言ってたけど、ウィリアム君にはもう婚約者がいるってみんな知らないのかな?婚約者がいるなら、別に友達として話すくらい大丈夫だよね?
クラウスが聞いたらさぞかしいい加減に答えた過去の己を責め立て、一心に兄を信じるマリーの心に打ち震えるのだろう。
本来であれば婚約者を探す事と婚約者が出来る事はイコールではないのだが、そこはマリークオリティ。クラウスへの信頼は厚かった。
こうしてたった今、マリーの中に我がフォルタンシア国第三王子ウィリアム・フォルタンシアの誰も知らない、本人すら意識していない婚約者が出来上がったのである。
王子に婚約者がいるなんて大事だろうし隠しているのかな?と納得したマリーは、大丈夫自分は知ってますよと少し得意げな顔をしてウィリアムに笑顔を向ける。
急ににっこりと笑顔を向けられたウィリアムは少し驚いた顔をしたが、その後少年らしい笑顔は綻び、ふわりとした笑みが見えた。
「うん、私、魔術基礎学の代わりに魔物生態学をやってるからそのレポート。フォルタンシア君はどうしたの?」
「少し息抜きにね。部屋にいるばかりだと飽きてしまって…。でもガリアさんがいるならもっと早く来れば良かったな。あまり見かけないし、どうしてるのか気になってたんだ。学院生活にはもう慣れた?」
「大丈夫!教室移動も出来る様になったし、友達もいてくれるから。学食も美味しくてリディも沢山いて、学院って良いところだね」
「そうだ、今度城下町を案内しようか?クラウスさんから教えてもらった美味しいお店があって――「はいはいはい、ちょーっと待ってもらえる?」――どうしたの?リベルト」
マリーとウィリアムが突然会話に入ってきた相手にきょとんと目を向けると、リベルトと呼ばれた彼――リベルト・ウルバーニは笑みを浮かべたまま少し口元を引きつらせた。
王族には子供が学院に入る場合、同年代の補佐をつける事が決められている。
これは王族とこれ以上無い密接な時間を持てる学院において、親から良からぬ期待を受けた生徒を選別するためだ。
歳でいえばリベルトも同じ補佐のジークヴァルム・グランルンドもクラウスと同じで卒業生であるのだが、補佐に関しては特例として仕える主が卒業するまでの在籍が許されていた。
よって学院生活においての補佐の仕事は、勉強面、生活面の補助と、警備、そして――王族のうっかり発言を阻止することに尽きるのだが…、
まさに今、ただでさえ生徒が多く居る談話室で、王子ウィリアムによるうっかり発言がリベルトの補佐人生に揺さぶりをかけていた。
――いやいや、本当にちょっと待って?この子、噂のマリー・ガリアでしょ?あのガリアの妹の。いつの間に仲良くなったの?というか婚約者候補でも無い相手にアプローチするのは、まあいいとしても、他の婚約者候補が居るところでこんな親しげに誘うのはマズいでしょ。見て?候補者筆頭のあの子なんか絶対怒ってるよアレ。おかしいなぁ、今までこんな自分の影響力を知らない行動はしなかったハズなんだけど…。
リベルトは知っている。
何かに魅入られた人間の浅ましさを。
リベルトは知っている。
自身の主、ウィリアム・フォルタンシアがとても純粋な人であることを。
だからこそ、彼はより一層警戒するのだ。
――まさかだけど、なんか盛られてたりする…?
まったくもって、見当違いではあるのだが。
リベルト・ウルバーニ♂
ウィリアムの補佐その1。
有能であるが故にまさかまさかの疑念を抱いてしまった人物。補佐としては優秀。話し方から軽そうなイメージをよく持たれるが、中身はそうでもない。クラウスの事はウィリアム関係で一度探ったが、許容範囲内だったので放置していた。学院在籍時は1、2年と首席。