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「ガリア、お前な。編入して間もないから丁度いいだろ」
なんということだ。
パニラは思わず絶句した。
実のところパニラは、マリーの友達(教徒)を自覚してから密かに係決めについて考えを巡らせていた。
クラス長を除く全ての係は大体2名ずつ割り当てられる為、彼女の理想はマリーと共に教員補助係以外の
係に入ることだった。
なにせマリーは今注目される編入生。ただでさえ周りから視線を集めているのに更に負担を掛けたくない。私が一緒にいて助けてあげよう。だから、ストレスが掛かるらしい教員補助係は絶対に、ダメだ。
ストレスが限界突破したクラスメイトが陰ながらクリメントを「くそったれ!」と叫ぶ場面を見たパニラはそう、心に決めていたのに。
本当に、本当になんということだ。
驚愕したパニラの思いも知らず、当のマリーは急な指名に少しぽかんとした後そのまま頷いた。
見下ろせば、緊張していたのかマリーの手をきゅっと掴むリディと目が合い、マリーの頬はふっと緩む。
「…なんか、大変みたいだけど頑張ろうね」
「クァ」
慰めるようにさわさわと手を撫でるリディに、マリーはつい、笑みを深めた。
カツカツと黒板の教員補助係にマリーの名前を書くクリメント。
それを見たパニラははっ、と我に帰り、次なる一手を弾き出す。
最大のハザードが回避出来ないのであれば、次にやる事はリスクの軽減――つまり、残りの一席に入り込むこと。彼女の戦いはまだ終わっていない。
パニラは震える腕を握り込み、クリメントの発言に耳を澄ます。心臓の音が耳の中で聞こえ、いつでも手を挙げられるように全神経を張り詰めて――、
「じゃあ、ついでにもう1人の補助係も決めとくかー」
「ッはい!せんせ
――「先生、やります」
パニラの目は見開かれた。
マリーも予想外の事に目を見開く。
その視線の先、すらりと手を挙げるセオフィラス・ブランデル、その姿に。
クラスの誰もが我が目を疑う。
それもそのはず、彼はマリーに編入初日、リディをペットと蔑称で呼んだその彼だ。
「はいよー」と大して確認もせずセオフィラスの名前を黒板に書き込んだクリメントにはまず空気を読んで欲しいし、とんでもなく見開いた目でセオフィラスを凝視するパニラは一旦目を閉じるべきであろう。おのれこのやろ、何を思って(意訳)。そんなパニラに怯えたリディはぎこちなく目を逸らした。
「こっち見んな」
教室中の視線を集めているはずのセオフィラスは、まるでそれらに気づいていないかのようにマリーへ視線を向けると、嫌そうに呟いてそっぽを向く。
一緒にやっていけなさそうなマリーは心が萎んでいくような気がしたが、心配そうに見上げてくるリディとクリメントの声に、切り替えなくてはと頭を振った。
「補助係は決まったね。じゃあ早速、係決めよろしくー」
現状を見る気もないのか見事な節穴を発揮したクリメントは、編入して間もないマリーと決して友好とは言いにくいセオフィラスに進行役を放り投げ、近くのイスに腰掛けてアイマスクをセットする。
それを見た昨年のクリメント指揮下群はともかく、実験群の生徒達もクリメントから視線を外した。どうやら早くもクリメント効果は出ているようだ。
がたりとセオフィラスが席を立ち教卓へ向かうのを見て、マリーも急いで立ち上がる。
進行役を仰せつかったマリーだったが、係決めはなにせ初。その流れも分からずぐるぐるとする思考にリディを抱きしめる力を増したところで、教卓へ辿り着いた。
――ど、どうしたらいいんだろう…っ!?
思い返せば、今まで注目を浴びながら発言する機会は無かったマリー。
ガリア領ではそもそも大勢のたかが知れているし、収穫祭などの行事は全て父か兄が挨拶をして母やマリーは行事中にニコニコと領民へ話しかける程度である。
そんなマリーは恥ずかしいやら情けないやらで顔が熱くなり、頭も纏まらず、手汗を感じ始めたところで、
「俺がやる」
唸るような小さな声が耳に届いた。
驚いてセオフィラスを見たマリーだが、彼はマリーを見ておらず、慣れたように進行する。
その姿はとてもマリーを同じクラスメイトとして見ているとは思えないものであったが、それでも、
「じゃあ次、会計係な。やりたいやつ手ェ挙げろ」
マリーは少し救われた気がした。
―――――
で。
――でもやっぱり気まずい…!
係決めが無事に終わった放課後。
マリーは心の中で目を泳がせていた。
ここは学院が各教員の為に用意した一室のひとつ、クリメント専用の準備室。
部屋の内装も含め教員に一任されるその部屋は、クリメントについては書類の山だらけであった。逆にクリメントは普段何の書類を捌いているのかと疑問に思う程だ。
その、係決めを待っていましたと言わんばかりの、記念すべき初めての教員補助係時間外勤務は、山のような書類のホチキス止めである。
マリーはその中に埋もれていたソファに座り、ひたすらホチキスを止めるのだが、隣には当然、同じ係のセオフィラスがいた。
係決めで助けてもらったとはいえ、やはり編入初日の出来事が頭を過り、狼狽るマリー。どうしたら良いのかと心の中で兄に聞いてみるも、脳内クラウスは「気にしなくていいんだよ」と微笑んで首を振った。
リディが契約者の真似をして一生懸命ぐしゃりと書類を潰している一方で、ロボットのように作業を熟すマリーとセオフィラスの間には固い沈黙が広がる。
居心地の悪さにマリーが思わず小さく息を吐くと、セオフィラスは唐突に口を開いた。
「係は手伝ってやるけど、お前の為じゃねぇから」
「え?」
「従兄がお前を手伝ってやれって言うし、姉貴もうるせぇし…。なに、知り合いなわけ?」
不服です、と顔をしかめるセオフィラスに聞かれるマリーだが、名前を聞いても覚えは無い。
何故か会ったこともないセオフィラスの従兄と姉から手厚い支援を向けられているらしいマリーは眉を下げるしかなかった。
セオフィラスもその答えは大体予想ついていたのか、大きなため息を吐く。
「はぁぁぁ、なんなんだよ…。なんで俺がこんな、魔術契約出来てねぇ奴に、意味わかんねぇ…」
ぶつぶつと不満を漏らすセオフィラスにマリーはふと首を傾げた。
そういえば、何故彼らはそんなに魔術契約を重視するのだろうか。
それはマリーにとって大きな転機。マリーの成長だった。
人は常に、様々な情報を取り入れ、吟味し、自身の器に反映させながら生きている。今までリディが出来たことを喜んでくれる人ばかりだったマリーにとって、思い浮かんだ事すら無い疑問。それが出てきたのはひとえに、セオフィラスという今までとは全く違う個人との出会いだったのである。
そうなると、疑問へ突き進むのが我らのマリー。
ロズウェルにしこたま注意されたにも関わらずザフォルの森で霧の中へ突撃した彼女が、この好奇心を殺せるわけが無い。
「ねえ、なんでリディって魔術契約してないとダメなの?」
「は?…お前本当に何も知らねぇのな。
領主一族は領地を収めて領民を守る義務がある。その為の力が必要で、その為のリディだ。魔術契約したリディは契約者と精神的に繋がるから契約者とのズレは無いし、いざって時に無駄な動きはしない。本当の領主一族なら領民の為にそうあるべきだろ。野生のリディなんて不確定なもの、リディじゃねぇんだよ」
「…、……。」
「ハッ、正論言われてだんまりかよ」
「…じゃあ、私が領主一族じゃなかったらリディは野生でもいいってこと?」
「……まあ」
その主張に間違いは無い。
いや、正確にはその主張も、であろうか。
領主一族は領民を守り、領土を発展させる為にいる。その手腕は其々の領主の腕に掛かっており、だからこそ各領地は独特の発展を遂げるのだ。
これは当然、一対一のやり取りという最小単位でも当て嵌まる。マリーにはマリーの、セオフィラスにはセオフィラスの考えが当たり前にあるのである。
マリーは相手の言葉を吟味する。
理解出来るところと出来ないところ、同意出来るところと譲れないところ。
それはマリーの器が大きく変化する瞬間だった。
「………そっか。何となくだけど、わかった。ブランデル君は領民の為を思って、そう言ってたんだね。
私も、領主一族に生まれたことを後悔してないし、何かあったら領民のみんなを守らなきゃとは思う。
でも、でもね。
やっぱり私はリディがいい。
リディが野生でもリディウムでも関係無い。この子だから側にいたいって、側にいてほしいって思った。
――きっと私、リディみたいな子が沢山いても分かるよ。この子が、私の特別だって。
だから私は、リディも、家族も、領民も、大切だから手放したく無い。それが我儘でも、力が足りないならリディと頑張る。
魔術契約してなくても、私達はパートナーだから!」
「クルァ!」
「――特別…?」
高らかに同意したリディを見て、セオフィラスは自身の口から軋むような声がこぼれたことに驚いた。
それはまるで異国語を聞いたかのような空虚さ。
それが何だったのか思い出す前にセオフィラスははっと我に帰ると、居心地悪そうに顔を背け、止まっていた作業を再開した。
「……とりあえずソイツに作業は出来ないんじゃねぇの」
「ハッ!? リディ紙くしゃくしゃ!」
「クア?」
セオフィラス・ブランデル♂
中規模領主一族の次期領主。
マリーの編入初日、自論「領主一族のリディは魔術契約したものであるべきだ」で食ってかかったパニラの敵。
疎遠の両親に3人の姉の6人家族。
絵本のゴリラと姉達を交互に指差し笑った事が原因で、姉から教育的指導を受けた幼少期を持つ。以降、姉には逆らえないのが悩み。従兄に憧れ、言葉を崩して話すようになった。
なお従兄は、某妹至上主義の学友だったりする。




