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「ふふふ、リディ気持ちいい?」
「クルルル…」
「昨日の牧場は凄かったねー」
「クァ…フ」
次の日、自室にいたマリーは膝の上で堂々と曝け出されたリディの白い腹をさわさわと撫でていた。
リディの口元からは、至福と言わんばかりに今にも涎が滴り落ちそうである。
2人がぱたり、ぱたりとリディの尾が動くだけの緩やかな時間を過ごしていると、コンコン、と自室のドアがノックされた。
「はーい! 誰だろう?」
「クゥ!?……クア!クゥア!」
「動かしてごめんねー、でも人が来たから。ね?」
「クァアア!!」
「今行きまーす!」
膝の上から降ろされ、ぷんすこと怒るリディを余所にドアを開けると、そこにはメガネを掛け、唇をきゅっと閉めた少女――パニラ・ペシュカがいた。
予想外の人物に思わず固まってしまうマリーだが、無理もない。
パニラがマリーに接触してきたのは、編入初日に申し訳なさそうな顔で離れていったあの時以来だった。
今のマリーであればリディをペットと呼ばれた時、標的にされたマリーから離れなければ自分が次の標的にされてしまうのではないかというパニラの不安も推測できた。それでもやはり、どうして離れていってしまったのかという思いが無い訳では無い。
そんな微妙な感情がマリーの顔に出ていたのだろう。
パニラは硬い表情のまま少し目線を彷徨わせると、再びマリーへと目を向けた。
「あの、突然来てごめんなさい。…私、ガリアさんに謝りたくて…」
「…何を?」
「ガリアさんが転入してきてブランデル君がガリアさんに酷い事を言った時、私がガリアさんから離れた事、やっぱり悪かったなって思って…。それで謝りたかったの。今更だと思うかもしれないけど…、本当にごめんなさいっ!」
ばっと勢いよく頭を下げたパニラの肩が細かく震え、それを見たマリーは思わず慌てた。
自分の微妙な心境等放り出してしまう程の慌てっぷり。マリーは昔から誰かに泣かれるのが苦手だった。
その足元ではイタチ族のリディがビクビクと震えながらマリーを見上げ、目が合うと涙を浮かべながら何度も胴を折る。
「と、とりあえず部屋に入ったら!?ほら、大丈夫だから!ね!?」
「そんな…、だって私っ…!」
「大丈夫大丈夫! はっ!リディ、怖がってるからそれ以上はダメ!」
「………。」
「もうっ、リディ!」
もはや何が大丈夫なのか。
焦り過ぎたマリーの口からはとりあえずパニラを安心させようと意味もない言葉が次々と飛び出てくる。
対してリディは何を思ったのか、震えるパニラのリディを瞳孔の開いた目で覗き込むようにガン見していた。その道のプロも唸る圧だ。
リディを抱き上げ、無事パニラをイスに座らせたマリーは慌ててハンカチやティッシュを用意する。
「あの、私なら本当に大丈夫だよ?あの時の貴女の気持ちも分からなくもないし、……それに、こうやって謝りに来てくれたし!ね!」
「でも…、私があそこで逃げなかったら、ガリアさんがクラスで1人になることは無かったんじゃないかって…」
「うーん、ほんとにそんな気にしなくても良いんだけど…。……あっ、じゃあさ!もし良かったら私と友達になってくれない?クラスの友達居なくてちょっと寂しかったんだ!」
どうかな?と聞いてくる笑顔に、パニラは言葉を失った。
パニラ・ペシュカはペシュカ領の領主一族として生まれた。
首都ラビリエから西南にある小領土で、良質な工芸品の土の産出や配合を得意としているペシュカ領だが、それでも領内の発展には採算が取れないと頭を悩ませた歴代のペシュカ領主達は、大領土の領主に頭を下げる事で金策を行っていた。
領民のため。家族のため。発展のため。
誰だって好きで頭を下げている訳ではない。しかし、頭を下げなければ得られない幸せの為に、領主達は言葉を飲み込んだ。
代を重ねるうちに、その姿勢は一族にも広がった。
発展するから頭を下げるのか。
頭を下げたから発展したのか。
今の彼らには「そうある」事が当たり前で、幼少期に感じたかもしれない疑問も不満も既に無い。上に逆らうなと育てられてきた彼らには家の教えが全てだった。
そんな環境にいたパニラも、当然学院では恙無く過ごしてきた。「そうある」領主一族の様に空気を読み、頭を下げ、融通してもらう。そこに疑問は無かった。疑問も、不満も、泣きたくなる様な衝動も、全部無かった、ハズ、なのに――。
――私、リディといたいだけだから…。リディを一番近くで守ってあげられるのは私だから、私がしっかりしないと!
その芯ある声に胸が痛み出す。
疑問が、不満が、「私」が悲鳴を上げはじめる。
彼女は自分の為に立つ。自分の為に決意する。リディの為に。自分の為に。
――じゃあ、私はダレのために―?
「――私で、いいの…?」
「ん?」
「私、友達になっても、いいの?」
パニラから「言葉」が漏れた。
パニラにとって、今マリーと仲良くなることはとてもリスキーだ。何かと注目の的であるマリーの側は安定せず、場合によってはペシュカ領主一族の教えである上の者に敵視される可能性がある。
しかし、それでも、漏れた「言葉」にマリーは嬉しそうに笑うのだ。そして「もちろん!」と頷いて――。
「ぁ…っ」
「えっ、泣いてる…!?どうしたの!?大丈夫!?」
「ううんっ、違うの!…なんか、安心、したの、かも」
「えぇ?」
なーに、それ。
ほっとしたように笑うマリーは柔らかく、深海を思わせるような瞳をパニラに向ける。
進化をせずともありのままを受け入れる静かなる海に、パニラは背中を押された気がした。
「うん。私、頑張る。ガリアさん、これからもよろしくね」
「?。うん、こちらこそよろしく!」
マリー教徒、ログインしました。
パニラ・ペシュカ♀
小領土、パニラ領領主一族。
偶々聞こえたマリーの一言(決意)により揺さぶられ、マリーの一言(友人勧誘)により一瞬にして家訓「上の者に逆らわない(自我を出さない)」を吹き飛ばされたペシュカ家のニュータイプ。
マリーの為なら言葉の瓦礫をぶつけられても倒れない重戦士になる予定。




