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文書を訂正し、少し削りました。
突き抜けるような青い空、暖かな陽光。
フォルタンシア国首都ラビリエから南東、ガリア領の森に1人の少女がいた。
名を、マリー・ガリア。11歳。
ガリア領領主の娘である。
肩甲骨まで伸ばした黒髪を一つに結わえ、ベージュのワンピースを着たマリーは、その青い瞳に鋭い光を灯して現在森を歩き回っていた。
ガサガサと草木を掻き分け、足首まである靴を泥で汚し、鋭い瞳でキョロキョロを辺りを見回す。視界に獲物が飛び込んできた瞬間、マリーは飛び出した。
翔けるように走ったマリーは、両足で獲物を踏みつけ、少し捻る。ココがポイント。
そして、見えた中身に向けて右手に持った愛器を突き立て…!
パキッ
「とったー!」
声高らかに掲げたものは茶色い粒。彼女は絶賛栗拾い中であった。マリーはふふん。と満足気に背負ったカゴへ栗を入れる。頭の中は栗のことでいっぱいだ。
――やっぱりマロンサラダかなあ。秋栗は甘々だからケーキとかだけど、春栗は仄かな甘さが美味しいし、マヨネーズと和えると美味しんだよね、ふふふ、ふふ!
食卓を想像すると顔が緩み、作業が止まる。跳ねる心を自覚すると、ハッと我に帰った。
足元の栗がなくなったマリーは上を見て、頭上ある茶色いイガグリを確認した後、もそもそと木に登り始める。目指すはカゴ一杯の栗山である。
実を言うと、マリーは森へ栗を拾いに来たわけでなかった。本来の目的を果たすついでに道中の栗拾いをしていただけである。若干、目的と過程が入れ替わったところも否めないが。
フォルタンシア国では全ての国民が魔力を持っている。というのも、空気中に漂うエーテルを呼吸で取り込み、代謝することで魔力となるため、大なり小なり皆魔力を有しているのだ。中でも、一定以上の魔力があれば、リディと呼ばれる生涯を共にするパートナーと契約できる。
マリーは両親から教えてもらった時、両親の側にいた生き物が、各々のリディと呼ばれるものだと知り、とても羨ましくなった。さらに、2年前にはマリーの兄、クラウスが一定以上の魔力を有していたため、魔術学院へ入学し、カリキュラムでリディと契約して帰省した。兄のリディは人馴れしにくいと有名な首キツネで、その可愛さに心を鷲掴みにされたマリーは餌付けしようとしたり、構い倒してみたりと、大興奮。しばらくすると、我慢に耐えかねた首キツネが独自の狩猟方法、首絞めをマリーに仕掛けたため、クラウスが大慌てで止めたこともある。
マリーはリディを心待ちにしていた。
朝から晩までクラウスにへばり付き様々ことを聞いた。リディはリディウムと呼ばれる幼体時に契約すること、リディウムは黒一色で、契約者の魔力属性により身体の色が変わること、色が変われば成体としてリディと呼ばれるようになること。
本当に本当に心待ちにしていた。
まだ見ぬリディの為に大きなクッションで寝床を整え、毛繕い用のブラシを用意し、名前をいくつも考えた。可愛い子だろうか、かっこいい子だろうか、色は、形は、好きな食べ物は。
あの時のマリーはまさしく夢見る少女で、メイドと一緒に道具を揃えたり、料理人にねだってご飯を考えたりと、くるくるくるくる、輝いていたのである。
しかし、そんな日も長くは続かなかった。
「マリー様には、規定値以上の魔力がありません。残念ですが……」
マリー10歳のある日。
その日、マリーは早起きをした。正確には興奮してうまく寝られなかった。
子供は10歳になると、魔力測定が義務付けられており、もちろん、平民から王子まで全員である。方法は、上部にメーターがついた鉄の棒を握るだけ。魔力測定の規定値はリディウムとの契約に掛かるとされる最低値であるため、規定値以上が出れば、無事魔術学院に入学することができる。魔力は遺伝要因が大きいと言われていたので、リディと契約している家族の一員であるマリーには、なんの心配もなかった。ハズだった。
どすん
「マリー!?」
「お怪我はありませんか!?」
立って測定していたマリーは腰が抜けた。そして、思考も抜けた。あまりの出来事に、目の前の測定師の言ったことが理解できなかったのだ。
驚いたのはマリーだけではない。父親も母親もクラウスも、メイドも執事も同じ部屋にいる全ての人が驚愕した。それまでのマリーの浮かれ具合を見ていたので、尚更である。
周囲で「やり直せ!」「何かの間違いでは!?」と声が上がる中、マリーはぼんやりと思考する。
――規定値以上がないってことは、魔術学院に行けなくて…。魔術学院に行けないってことは…
次の瞬間、マリーはドパッと涙が出た。
何が悲しいとか、こうなってほしかったとかはない。ただひたすらに悲しい。悲しい。悲しい!耳元で泣き声が聞こえるも、自分の声か分からない。呼吸は乱れて、むせび泣く。
そんなマリーを見たクラウスは衝撃に目を見開いたかと思うと、目にも留まらぬ速さでぎゃん泣きのマリーを抱え、マリーの部屋へと疾走した。
追いかけた両親や執事達が目にしたのは、マリーを抱きしめてベットへ寝転んでいるクラウスである。
彼にとってマリーは大切な妹であり、さらに言えばクラウスが気落ちしている時に慰めてくれた大事な、大事な妹。機会があればクラウスとマリーの昔話を語ることもあるかもしれないが、クラウスの妹愛の前では、マリーを抱えたまま足で蹴り飛ばし、半壊させたドアなどあってないようなものだった。
オロオロする両親やメイド、執事達を総無視で、クラウスは柔らかに目を細め、自分の服を握りしめながら泣きじゃくるマリーの頭を撫でた。
「よしよし、悲しいね。大丈夫、僕がいるよ。うん、うん、大丈夫、大丈夫」
「ああああ!うっ、ぐっ、…うあああああ!」
「大丈夫、大丈夫」
「うわあああ!ひっ、ぐ、ドアあああああ!」
「うんうん、怖いね。大丈夫、注意しておくよ」
ドアについて、さらりとクラウスは他人のせいにした。
泣き疲れて寝た翌日。
マリーは泣き腫らした目をなんとか開けて、朝食へ向かった。食堂へ行くと食後の紅茶を飲んでいたクラウスが手招きをしてマリーを呼ぶ。座るとメイドが静かに紅茶を置いてくれた。
「マリー、おはよう」
「おはようございます、お兄様」
「昨日はお疲れ様。実は、これからの話をしたいんだ」
クラウスの言葉を聞いて、マリーは俯いた。あれだけ楽しみにしていた、見たことのないリディが、今は遠い気がした。
「……私、魔力無くて…」
マリーはスカートをぎゅっと掴む。
「魔術学院にも、行けないから」
リディと、会えない。
最後まで言葉にならない。言葉にしたら、もう無理だと自分に言われているような気がした。それでも、マリーも現実を受け止めなければならないとわかっている。
「そうだね。マリーには魔力がなかった」
穏やかな兄の声が聞こえる。
視界が滲んだ。
「だからきっと、リディウムと契約も出来ない」
わかっている、はずなのに。
「っ、やだ…」
やだ。
「やだあ…!」
やだ。いやだ。そう、嫌なのだ。ずっとずっと待っていた。魔力測定をして、学院に行って、リディウムと契約するのをずっと待っていたのだ。今更諦められない、諦めたくない。お父様やお母様やお兄様のように、ずっと一緒に居てくれる、大切な友達が欲しい。私だけの、大切なパートナー。
マリーの涙が溢れる。ぽろぽろ、ぽろぽろ。口がへの字に曲がる。手で拭っても涙が止まらない。――心が震える。
それを見たクラウスは困ったように笑うと、マリーの手を取り、溢れる涙を拭った。
「大丈夫だよ、マリー。まだ、手はある。野生の魔物と契約すればいいんだ。相手に認められなきゃいけないから危ないし、本当はしてほしくないんだけど…」
まだ、大丈夫。本当に…?ゆっくりと瞬きをすると、残りの涙が落ちていく。兄はとても綺麗に見えた。
「やりたいようにやったらいいよ、マリー。応援するし、それが僕の幸せだ」
これが、彼女の始まりである。