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無職転生 - 蛇足編 -  作者: 理不尽な孫の手
アスラ七騎士物語
8/32

8 「門番のドーガ 前編」

 アスラ王国には、七騎士と呼ばれる七人の騎士がいる。

 アリエル・アネモイ・アスラに絶対の忠誠を誓う者達だ。


 筆頭たる傍騎士

 『王の懐刀』ルーク・ノトス・グレイラット。


 攻撃を司る右翼の三騎士。

 『王の大剣』シャンドル・フォン・グランドール

 『王の斧槍』オズワルド・エウロス・グレイラット

 『王の猟犬』ギレーヌ・デドルディア


 防御を司る左翼の三騎士。

 『王の門番』ドーガ

 『王の城壁』シルヴェストル・イフリート

 『王の大盾』イゾルテ・クルーエル


 七人。

 出自や出身のはっきりしている者もいるが、

 その半数はアリエルとルークが独自にスカウトしてきた人物である。

 平民や下級貴族から上級貴族、はては不死魔族と人族のハーフに至るまで、あらゆる人物が揃っている。

 彼らに共通するのは、アリエルへの絶対の忠誠心であると言われている。


 今回はイゾルテが、アリエルの言った「少し性癖に難のある」という言葉の「少し」という意味の認識の違いに悩まされている間に、騎士の一人について話そう。



---



 彼は、アスラ王国ドナーティ領に存在する小さな村で生まれた。


 少々愚鈍な所があり、村の子どもたちから子分のような扱いをされるような子供だった。

 だが、体は頑強で、病気もなく健康であった。


 そんな少年の父は村を守る兵士であり、一日のうちほとんどを外で過ごしていた。

 数名しかいない兵士だから、休みはほとんどなく、夜中も家を空けているのが常だった。


 少年が五歳の頃、妹が生まれた。

 妹は母親に似た可愛らしい女の子であった。

 だが、母親は産後の肥立ちも悪く、亡くなってしまった。


 少年は泣いた。

 友人に殴られても、蜂に刺されても、ぬぼーっとして泣かなかった少年が、わーわーと泣いた。

 泣きじゃくる彼に父親は言った。


「今は泣いてもいい。でも泣き止んだら、お前がこの子を守ってやってくれ」


 妹を抱く父親を見上げ、少年は何度も頷いた。

 そして、その日から彼は泣かなくなった。


 さらに翌日から、彼は父親の言いつけを忠実に実行するようになった。

 妹を守る、という言いつけである。


 妹を守るにあたり、少年は家の玄関を守ることにした。

 丸一日、家の片隅においてあった薪割り斧を持って、家の前に立ったのだ。

 そして、妹が泣きだした時だけ家の中に駆け戻り、妹の世話をした。


 その姿を見て、彼の友人は彼を笑った。

 何をやってるんだと。

 家の中で見てやれよ、と。


 村の大人は、彼に言った。

 なんだったら、妹の世話はうちでやろうか?

 うちは子供も多いから、一人ぐらい増えても大丈夫だよ。


 だが、少年は頑としてそれを聞かなかった。

 乳飲み子の世話の仕方を教えてもらいはすれども、妹を他人の手に委ねることはなかった。


 そんなある日。

 村に異変が起きた。

 夜中に家の家畜小屋が荒らされ、無残にも食い殺されていたのだ。


 足あとの大きさから、狼の仕業であると推察された。

 兵士たちは村中を駆けまわり、夜は戸に鍵をかけて絶対に開けないように、と村人に伝えて回った。


 翌日。

 一つの家がやられた。

 夜中にどうやってか狼が家の中に入りこみ、子供の首を一瞬で噛み砕いて絶命させ、窓から外へと出て行ったのだ。

 一家は朝起きた時に何が起きたかわからず、ただ転々と血の後を追いかけ、

 そして町外れで血だまりと、血だまりに沈む赤子の衣類を見つけ、半狂乱になった。


 その一連の事件で、兵士たちは自分たちの見立てが間違っていることを悟った。

 村に潜んでいるのは狼ではない、魔物であると。

 小型で、狼と同程度のサイズしか持たないが、しかし狡猾な魔物であると。


 その通り、実行犯は魔物であった。

 頭は狼、後ろ足も狼。

 だが肩からは猿の手が生えており、時に二足歩行で歩き、木の上にも登る魔物であった。

 大きさは大型犬と同程度。

 しかし、その頭は体のサイズに対して不自然に大きかった。

 その頭が、彼に知恵を与えていた。

 突然変異の魔物である。


 その一件で人の味を憶えた魔物は、怯える村人をあざ笑うかのように麦畑の中に潜み、一日を掛けて次のターゲットを定めた。


 その巣では、大人は夜も戻ってこなかったからだ。

 魔物を追いかけ、見当違いの所を探しているのだ。

 家に残っているのは、子供二匹。


 魔物は舌なめずりをしつつ、その猿の腕を使って屋根へと登り、暖炉より中へと侵入した。


 翌日。

 夜の見回りを終えた少年の父親が己の家で見たものは、血だまりだった。

 「嘘だろ」と真っ青な顔で家の中を見渡すと、すぐに無残な姿で転がる死体も見つかった。


 魔物の死体である。

 頭をカチ割られた魔物の死体だ。


 そして、その死体と娘の間には、自分の息子が薪割り斧を握りしめ、すさまじい形相で仁王立ちしていた。


 死闘であるのは見て取れた。

 少年は血だらけで、腕の骨も折れていた。

 とはいえ、それだけだった。


 魔物は小さいとはいえ、それでも狼と見間違える程はある。

 つまり少年の数倍の大きさはあったはずだった。

 であるにも関わらず、少年は魔物を切れ味の悪い薪割り斧で叩き殺したのだ。


 妹を守ったのだ。



 それが少年――後に北帝ドーガと呼ばれる男の初陣であった。



---



 その後もドーガの門番としての人生は続いた。

 十歳の時には、彼は村の門を守った。


 転移事件が起こる直前、魔物の大暴走(スタンピード)が起こった。

 アスラ王国中の森から魔物が湧いて出て、いくつかの村が被害にあった。

 大量の魔物に襲われ、飲み込まれてしまった村もある。


 ドーガの村も魔物に襲われた。

 だが、ドーガは勇猛果敢に木こり斧を振るい、これを退けた。

 その時にドーガが倒した魔物の数は、五十とも百ともいわれる。

 大量の死体を作ったドーガだが、しかし、彼の父親はその戦いで死んでしまった。


 父親の死体の前で呆然とするドーガ。

 それを見た騎士が、ドーガを王都の守備隊へと推薦した。

 自分は妹を守るのだと渋るドーガに、彼は言った。


「いいか坊主、俺たちは家族から離れて、いろんな所に赴いて、村を守っている。

 つまり、国そのものを守ってるってわけだ。

 国が平和でいれば、家族は安心して過ごせる。

 つまり、国を守ることは、家族を守ってやることにつながってるんだ」


 このとき、愚鈍なドーガはその言葉は理解できなかった。

 結局ドーガが動いたのは、金銭面でのことだった。

 父親が死んだ今、金は必要で、王都にいけば二人が暮らしていけるだけの給金が手に入ると聞き、王都へと移ることを決意したのだ。


 王都の兵士となったドーガ。

 そんな彼が守ったのは、スラムと下級市民街を隔てる小さな門だった。

 スラムの人間が暴徒と化し、下級市民街へとなだれ込んだ時、ボトルネックになるために作られた門だ。

 夜の通行こそ禁止されているものの、特別に守る価値があるわけではない門だった。


 妹と一緒に王都に越してきた彼には、一つの部屋が与えられた。

 小さくも、しかし妹と暮らせる部屋である。

 彼はそこから兵舎へと通い、毎日朝から晩まで、時には夜通しで門番を続けた。


 ドーガは愚鈍ではあったが、不思議と人好きのする人間だった。

 当初は十歳そこそこで兵士となった彼を疎ましく思い、嫌がらせをする者もいた、

 だが、彼の純朴な性格と、妹を思う断固たる態度が、同僚たちの心を解きほぐし、一年もする頃には、ドーガは兵士たちの仲間と認められてた。


 そして二年目。

 ある日の夜、ドーガが守る門に、一人の女性が逃げてきた。

 女性はドーガに縋り付き、助けて下さいと懇願した。

 ドーガが迷っていると、すぐに厳しい顔をした一団が現れ、ドーガに向かって「女をよこせ」と叫んだ。

 ドーガは困惑した、どうしたらいいかわからなかった。

 あるいは、ドーガと一緒に当直についているはずのハンスが居眠りをしていなければ、彼が判断してくれただろうが……。


 女性はドーガが困惑していると見るや、すぐに門を走りぬけようとした。

 ドーガは即座に彼女の襟首を掴んで、引き戻した。

 夜の間は誰も通すなと言われているからだ。


 しかしその瞬間。

 女が逃げようと察知した男たちが襲いかかってきた。

 ドーガは戦斧を振るった。

 兵士になった時、村の鍛冶師から餞別にもらった戦斧だ。


 全員を殺害した。

 血まみれで立つドーガを見て、女性は小便を漏らし、四つん這いになってへたり込んだ。


 物音で飛び起きたハンスは、門の前の惨状を見て、仰天した。

 これは大変なことになると思った。

 ドーガが無差別殺人を犯してしまった。

 居眠りをしていた自分にも、罰が下るだろう。


 そう思いつつ真っ青な顔で死体を確認したハンスは、死体の顔を見てあることに気付いた。

 彼らは下級市民街で暴れまわっている盗賊団だったのだ。

 下級市民街ということで騎士団もロクに人手を回してくれず、ほとほと手を焼いている者達だった。


 そんな者達を、ドーガが一人で全滅させてしまったのだ。


 ドーガは昇進した。

 下級市民街とスラムの間の門を守る兵士から、

 中級市民街と下級市民街の間の門を守る兵士となった。

 なぜか、ハンスも一緒だった。


 それからしばらく、ドーガはその門を守り続けた。

 雨の日も、風の日も守り続けた。

 成人を過ぎても守り続けた。

 愚鈍な彼を、ハンスが助けた。

 いつしかハンスは、ドーガの一番の理解者となっていた。


 そして、その間にも妹は美しく成長し、ハンスと結婚した。

 あるいはハンスの狙いは、ドーガの妹だったのかもしれないが、

 しかしドーガにとってはどうでもいいことだ。

 なぜなら、ハンスは居眠りをする男ではあるが、悪い奴ではなかったからだ。

 妹を幸せにすると、ドーガの前で聖ミリスに誓ってくれたからだ。


 ドーガは一人になった。

 妹が結婚したことで、父親の言いつけを最後まで守り通したと考えた。

 もう、門を守る必要は無かった。


 でも、ドーガは門を守り続けた。

 雨の日も、風の日も守り続けた。


 そんなある日、王都に激震が走った。

 アリエル・アネモイ・アスラが戴冠式を行うと宣言したのだ。

 戴冠式。何日も続くお祭りである。

 ドーガの同僚たちは喜び、ハンスもまた小躍りした。


 だが、祭りとなれば兵士の仕事は増えた。

 中級市民街ではなく、もっと別の場所の警備も厳重にしなければならなくなった。

 町の人間から臨時の兵士が募集され、元々の兵士であったドーガたちは、もっと重要な場所の警備を任されることになった。

 その分、給料も増えた。

 ドーガとハンスは、その給料で妹に何かいいものでも買ってやろうと、喜んで働いた。


 さて、戴冠式が中程まで差し掛かった、ある日のこと。

 ドーガはその日、何の因果か、王城の勝手口の門番をしていた。

 人通りの少ない場所であるが、時折許可証を持った使用人が通り抜ける門である。

 ハンスは一緒ではなかった。


 ドーガと他数名の兵士たちが守る門。

 そこに、一人の男がやってきた。

 古ぼけた鎧を着て、長い棒を持った男だ。

 彼は言った。


「ここを通してくれないか。アリエル陛下に謁見したい」


 無論、門番は突っぱねた。


「この門は許可無き者は通さない! 許可証を出せ!」

「許可証はありませんが、アリエル陛下にお目通り願いたいのです」

「許可証が無いのであれば通せない、帰れ!」

「では仕方ない。この目出度い日に陛下のご威光を陰らせるかもと思い、この門に来てよかった」


 男はそう言うと、門を強行突破しようとした。

 棒が魔法のように動き、他の門番は一瞬にして打ち倒された。


 だが、ドーガだけは倒されなかった。

 どれだけ男の棒が急所に突き立てられても、なお立ち続け、門を守った。

 ドーガの振るう斧は、男には一切当たらなかった。

 己の振るう斧が当たらないのはドーガにとって初めての体験であったが、彼は愚直にも斧を振り続けた。


 男はそんなドーガの戦いぶりに、非常に喜んだ。


「素晴らしい! こんな男がこんな所で野に埋もれているとは。

 わかった。君の顔に免じて、この門を通るのはやめよう。

 いや、すまなかった。

 お詫びといってはなんだが、私の弟子になりませんか?

 君ならきっと強くなる、才能がある、さぁ!」


 ドーガは男が何を言っているのか理解出来なかった。

 だが、どうやら門を通るのを諦めてくれたと知り、一瞬の気のゆるみから気絶した。

 立ったままの気絶である。


 そして、ハッとドーガが目覚めた時、彼はまだそこにいた。

 ドーガの斧を持ち、門を守るように立っていた。

 ただし、彼は大量の兵士に囲まれていた。


「やあ、おはよう! 君の代わりにこの門を守っておいてあげましたよ!」


 それがドーガとシャンドル――北神カールマン二世アレックス・C・ライバックとの出会いだった。



---



 ドーガは、アレックスの弟子となった日、自室に帰ってくると、ベッドに倒れこむように眠った。

 駆けつけてきた兵士の中に治癒魔術師がいたため、傷は残っていなかった。

 だが、北神カールマンとの戦いは、ドーガの底なしの体力を完全に空にしていた。

 ドーガは生まれて初めて、疲労で眠りについたのだ。


 二日間眠り続けた後、彼は目覚めた。

 その時、枕元には涙目の妹と、ほっとした顔のハンスがいた。

 ついでに、嬉しそうな顔をしたシャンドルもいた。


「おはよう、さぁ弟子よ、ついてきなさい」


 シャンドルはすさまじい力でドーガを立ち上がらせると、ドーガに鎧を着せて、いずこかへと連れて行こうとした。

 ドーガは、意味がわからず、ハンスに助けを求めた。


「すまないドーガ。だが、悪い話じゃないんだ。

 俺も混乱してて、よくわからないけど、名誉な話だと思う。

 だから、まぁ、とりあえず行ってこいよ。頑張ってな、失礼のないようにな」

「うん。その、兄さん、頑張ってください」


 要領の得ないハンスの言葉に、ドーガは目を白黒させながら、

 しかしシャンドルの力には逆らえず、先日守っていた門へと向かった。

 門にたどり着くと、シャンドルは懐からこれ見よがしに許可証を取り出し、門をくぐった。


 あっという間に王城の中である。

 ドーガは初めて見るきらびやかな空間に驚きつつ、シャンドルの後に続いた。


 そして、気づいた時には、金髪の綺麗な女性の前にいた。


「その子ですか?」

「はい、陛下!」

「少し話をさせていただきます」


 シャンドルにドンと背中を押されて、ドーガは女性の正面に立った。

 女性はとても綺麗で、なんというか、神々しかった。


「私はアリエル・アネモイ・アスラです。あなたは?」


 その名前を、ドーガは知らなかった。

 彼は兵士でありながら、戴冠式を行っている者の名前も知らなかったのだ。

 もちろん、実際に見たことも無い。


 しかし、気づけばドーガは膝をついていた。

 なぜか、そうしなければならないと思ったのだ。


「お、俺……ドーガ、です」

「あなたは、なぜ兵士になったのですか?」

「と、とうちゃんが、い、妹を、守れって、だから……」


 ドーガはうまく口が回らなかった。

 今までの長い長い人生の他人に語って聞かせるほど、饒舌ではなかったのだ。

 だが、ドーガの口から出てきた言葉は、あっさりとアリエルを納得させた。


「なるほど、妹を守るために、立派ですね」

「で、でも、もう、妹は、ハンスが守ってて、その、ハンスと妹が一緒んなって、えっと」


 アリエルがチラリと目配せをすると、彼の傍にいた騎士が「彼の妹はハンスという兵士と結婚していて~」と補足をした。

 ドーガは知らないが、ルークである。


「だから、俺はもう、あんまり守らなくてもよくて……」


 ややしょんぼりとした顔で言うドーガに、アリエルは微笑んだ。


「違いますよ、ドーガ」

「え?」

「あなたは、守らなくてもよくなったのではありません」

「ど、どゆこと、ですか?」

「ハンスはあなたの弟になったのですから、あなたは妹と弟、二人を守らなければならなくなったのです。今までの、二倍」


 その言葉に、ドーガは衝撃を受けた。

 そんな風に考えたことはなかった。

 だがしかし、その通りであった。

 妹を守るといったハンス、彼は確かにドーガの事を義兄と呼ぶようになった。

 ならば彼は弟だ。

 妹を守らなければいけないのなら、当然、弟だって守らなきゃいけない。


「そ、そっか、俺、もっと守らなきゃいけなかったんだ」

「そうです。しかし、今までのやり方では、あるいはあなたは二人を守れないかもしれません」

「えっ!? な、なんで?」

「あなたは力が強いですが、その腕は狭いのです。二人が危機に陥った時、その手の届く範囲に二人はいないかもしれない」


 ドーガは自分の手のひらを見た。

 思い出すのは、父親の死に様だ。

 彼は近くにいたのに、ドーガの視界の外で魔物に殺された。


「じゃ、じゃあ、どうすれば、いいん、ですか?」

「私を守ってください」

「え?」

「私は国のために働きます。国をよくします。その私を守ることは、国を守ることです。そして国を守るということは、二人を守るということなのです」


 ドーガは理解できなかった。

 どうして目の前の人を守ることが二人を守ることになるのか。

 さっぱりわからなかった。


 だが、アリエルが本気でそれを言っているのは、理解できた。

 それと同時に、似たようなことを言った人がいたのを思い出した。

 王都の守備隊への推薦状をくれた、騎士だ。


『いいか坊主、俺たちは家族から離れて、いろんな所に赴いて、村を守っている。

 つまり、国そのものを守ってるってわけだ。

 国が平和でいれば、家族は安心して過ごせる。

 つまり、国を守ることは、家族を守ってやることにつながってるんだ』


 その時は納得できなかった。

 できなかったから金で動いた。

 でも、今は、なんとなく理解できる。

 ドーガが全然違うところを守っていても、妹もハンスも幸せそうに生きているから。


「ドーガ。私への忠誠を誓い、私を、ひいては国を守ってくれますか?」

「はい、陛下」

「ではドーガ、あなたを騎士に任命します」


 その日、ドーガは七騎士の一人となった。



---



 それ以来、ドーガは最後の門を守り続けている。


 最後の門、すなわち王の間の扉である。

 時にアリエルの命令を受けて別の場所に行くこともあるし、

 一日の内の何時間かは、アリエルの私室からちょっとだけ離れた場所でシャンドルに稽古を付けてもらう。

 月に一度は非番があり、妹とハンスの所にいって、ご飯を食べることもある。


 ドーガがいない時には、別の者が代わりに王の間を守ることになっている。

 大抵の場合は『王の大盾』イゾルテ・クルーエルである。


 が、最初はそうではなかった。

 騎士として任命され、

 キンキラに輝く黄金の鎧を授けられた彼は、

 ガンとして、『最後の門』の前から動こうとはしなかった。

 守ると決めたからには、生半可な者には任せられないとばかりに。


 事実、守り始めてから一ヶ月の間は、シャンドル以外にその場を任せることはしなかった。

 アリエルに休めと言われなければ、何日でも飲まず食わずの寝ずの番をした。

 王の間に近づく者全てに身体チェックを行った。

 男であろうと女であろうと関係なく、小さなフォークですら、取り上げた。


 そんな中、七騎士に一人の人物が加わった。

 『王の大盾』イゾルテ・クルーエルである。

 彼女は剣術指南役という仕事もあったが、ギレーヌが七騎士でなかった当時、七騎士中唯一の女性ということで、王女の身辺警護を担当するに適任という流れであった。


 ある日の事。

 シャンドルが黄金騎士団のメンツを集めるべく、アスラ王国の各地へと飛び回ることが決まった。

 シャンドルがいなければ、ドーガは交代ができない。

 一ヶ月も立ちっぱなしでは、ドーガは倒れてしまうだろう。

 ということで、シャンドルはドーガをイゾルテと試合させた。


 その時点でシャンドルがドーガに名乗らせていた称号は『北王』であった。

 まだ教え始めてすぐだというのに、かなりの腕前であったからだ。


 が、言うまでもない事であるが、イゾルテの圧勝であった。

 ドーガの戦斧をそよ風のように受け流し、何度も何度もカウンターを打ち込んで、ドーガを倒した。

 あるいは実剣を使い、殺意を持って挑めばイゾルテが一瞬でドーガを殺害していただろう試合だった。

 ドーガは無尽蔵な体力をもってイゾルテに襲いかかり、指一本も触れることなく、敗北した。


 花のように細い女性が、自分の横幅より大きい斧を受け流し、トゲのような一撃を放つ。

 ドーガは何度もそれを受けて、彼女を認めた。

 自分の代わりにこの門を守るのにふさわしい人物であると。


 同時に理解した。

 この女性は、たおやかで美しい花なのだ、と。

 自分が触れてはならない存在なのだ、と。



 つまりドーガはイゾルテに――――恋をしたのだ。



---



「最近お前、元気ないよな……」


 ドーガがそう言われたのは、妹夫婦との食事の時であった。

 テーブルの上には、質素だが大柄なドーガが満腹になるほどの料理が並んでいる。

 さらにその奥には、妹と、その夫ハンスの顔が並んでいた。

 ハンスの横には可愛らしい彼の娘も座っている。

 ドーガはぶどう酒がなみなみと注がれたジョッキを片手に、きょとんとした顔でハンスを見た。


「具合でも悪いのか?」

「……な、なんで?」


 ドーガが内心の動揺を悟られないように言うと、ハンスは料理を指さした。


「全然食べてねえ」


 見ると、確かにテーブル上の料理はあまり減っていなかった。

 大好きな妹の料理である。

 今までのドーガであれば無言でかっこみ、幸せそうに頬をパンパンにふくらませて完食する。

 ドーガの好物のぶどう酒もだ。

 彼は祝い事でしか飲まれないぶどう酒が大好きであり、こういう場では浴びるほど飲む。

 そのため、ハンスの家には樽で常備されていた。


 それがなぜか、料理は半分ほどしか減っておらず、ぶどう酒の飲み方もチビチビという感じだ。

 ドーガを知る者からすると、異常な光景であった。


「もし体の具合が悪いとかだったら、ちゃんとお城の治癒術師に見てもらえよ? お前ももう騎士なんだから、言えばそれぐらいやってもらえるだろ? まあ、顔色が悪そうには見えないけど」

「……?」


 ドーガはきょとんと首をかしげた。

 彼自身は、自分の異常には気づいていなかった。


「疲れてるんだったら、もう少し休みを多くしてもらったらどうだ? そりゃ、お前は働き者だし、陛下の警護なんて名誉な仕事だ。けど、根を詰めすぎて倒れるなんてシャレになんねえぞ……まあ、お前が倒れるなんて想像もできねえけどな」

「うす」


 ドーガは頷きつつ、食事を食べ始めた。 

 だが、確かにおかしい。

 味はいつもどおりだ。美味しい。


 でも、食事が喉を通る瞬間、何か違和感があるのだ。

 いつもなら、もぐもぐと咀嚼してごっくんと飲み込むと、「早く次も!」という感じだ。

 けど、今日は違う。

 喉を通る度に、何か拒絶するような感覚が腹の中から押し上げてくる。

 満腹の時のような、でももっと不快な感覚だ。


 ぶどう酒もおかしい。

 なんだかあんまり美味しくない。

 ぶどう酒を飲むと、いつもは「ぷはー」という感じだが、今日は「ふぅ……」という感じだ。


 こんなのは初めてであった。

 もしかすると、本当に病気なのか。

 それとも、ハンスの言うとおり、疲れているのか……。


「なあ、ほんとに何があったんだよ。話してみろよ」

「……」


 黙りこくるドーガに、ハンスはさらに畳み掛けた。


「義兄さん、いや、ドーガ。お前には下町で衛兵やってた頃から、ずっと世話になり続けてる。悩みぐらい聞かせてくれなかったら……俺は、これからどんな顔して生きてきゃいい? 聖ミリス様に顔向けもできない」

「……うす。でも俺も、よくわかんない」

「最近、城であったこととか、なんでもいいから、話して見ろよ」


 ハンスが深刻な顔で言うと、ドーガは顔を上げた。

 ドーガは言われるがまま、自分の記憶をたどり、そして、ぽつりぽつりと喋り始めた。


 最後の門の警護をしていたら、猫が迷いこんできた事。お昼のお弁当を少しあげたら、よく来るようになって、嬉しかったこと。

 町中を鎧姿で歩いていたら、一人の若い兵士に呼び止められて「尊敬しています」と言われ、嬉しかったこと。

 最後の門の警護をしていたら、イゾルテがきて、髪についた葉っぱを取ってあげたらお礼を言われて、嬉しかったこと。

 シャンドルに新しい技を教えてもらった時に「やはり君はスジがいい」と褒められて、嬉しかったこと。

 城から宿舎に帰る途中で馬車に轢かれそうになり、御者台の男に「失せろウスノロ!」と罵声を浴びせられたけど、すぐに馬車からルークが降りて謝罪をして、宿舎まで送ってくれたので、嬉しかった事。

 シャンドルに騎士団に稽古をつけるから訓練場に行けと言われ、行ってみたらギレーヌとイゾルテもいて、嬉しかったこと。

 城を歩いていたら衛兵の人が「イゾルテが結婚するかもしれない」という噂を教えてくれて、あんまり嬉しくなかったこと。

 パーティの警護の時に、イゾルテがドレス姿で現れて、彼女のドレス姿が綺麗で嬉しかったこと。

 その彼女が、よくしらない男と踊っているのを見て、あまり嬉しくなかったこと。

 貴族の子女がイゾルテの根も葉もない悪口を言っていて、嬉しくなかったこと。

 イゾルテがかっこいい男と一緒に歩いているのを見て、悲しかったこと。

 イゾルテが――。


「もういい、わかった。よくわかった」


 ハンスはドーガの話を遮った。

 今の話で、大体わかってしまったのだ。


「要するに、お前はイゾルテに恋をしてるってこった」

「……」


 ドーガは頬をポッと赤らめた。

 なぜ今の話でバレてしまったのかわからないが、図星であった。


「それで、そのイゾルテが結婚すると聞いて、その裏付けみたいな光景を見て、ショックを受けたんだ」

「…………うす」


 ハッキリ見て取れるほど、ドーガがどんよりと落ち込んだ。

 どうやら、これも正解らしい。


「なるほど」


 ドーガの反応を見て、ハンスは理解した。

 この色恋沙汰に無縁な義兄が、どうやら恋をしてしまったことを。


 同時に、ハンスの脳裏に、自分の初恋の記憶が浮かんだ。

 ハンスの生家の隣に住んでいた、八百屋の一人娘。

 5つも年が離れていたが、幼馴染には変わりはなく、小さな頃からお世話になった。

 優しくて頼りになる美人のお姉さん。

 5歳ぐらいの頃から、ずっと好きだった。

 将来の夢はお姉ちゃんと結婚することだった。

 実際、成人したら兵士に志願して、給料が安定したら結婚を申し込もう。そう思っていた。

 そんなハンスの12の夏、彼女は肉屋の一人息子と結婚して、相手の家の家業を継いだ。

 ハンスも知っている男で、ハンスが物心ついた頃には、すでにオッサンだった男だ。

 彼女とは、五つは年が離れていただろう。そう思えば、言うほどオッサンではないのだが……。

 最初は信じられなかった。

 ガタイはよかったが、決して美男子とはいえない人物だった。

 彼女はきっといやいや結婚したんだ、いずれ自分が取り戻してやる、とか思っていた。

 だが、一年後、幸せな顔で男に寄り添う彼女の、そのぽっこりと大きくなったお腹を見て、ようやく理解して、枕を涙で濡らした。


 あるいは、自分がもっと早い時期に告白していれば、あんな思いはしなかったかもしれない。


 もちろん、今が嫌というわけではない。

 彼女と結婚していれば、ドーガの妹とは結婚することはできなかっただろう。


 妹はドーガに似ても似つかず、小柄で可愛らしく、しっかり者だ。

 そんな彼女との愛の結晶は、今はドーガの代わりにモリモリとご飯を食べている。

 丈夫な子だ。

 今のハンスは誰よりも幸せな自信がある。


 しかし、その幸せも、辛い失恋があったればこそだ。

 あの経験のおかげで、ドーガの妹に恋をしていると自覚してからすぐに行動できたのだ。


 最初は軽薄だと思われたかもしれない。

 だが、最初から最後まで、ハンスはドーガの妹に対して、真摯な態度をとり続けた。

 門番の仕事もそれまで以上にしっかりやった。

 好きだと告げて以来、娼婦なんか一度も抱かなかった。

 その結果、数多くのライバルに勝利し、今の幸せを手にすることができたのだ。


 だからこそ、ハンスは言った。


「今すぐ結婚を申し込め。そのイゾルテさんに」


 その言葉に、ドーガは顔を上げ、きょとんとした顔を向けた。


「いや、結婚じゃなくてもいい。交際でもいい。なんだったら、好きだったと伝えるだけでもいい」

「……」

「このまま手をこまねいて見ていたら、絶対に後悔するぞ」

「……でも」

「釣り合わないなんて考えるな。

 お前はアスラ王国を代表する黄金騎士の一人だ。

 俺たち守備隊の誇りで、憧れだ。

 胸を張っていけ」


 ドーガは少し考えた。

 家柄の釣り合いに関しては、ドーガはよくわからない。

 だが美醜については少しはわかる。

 美しすぎるイゾルテに自分が釣り合っていない。

 その事について、少し考えた。


「ダメ元でもいい、想いを伝えて玉砕しろ。このままじゃ、彼女の結婚を祝福することもできないぞ」


 が、ハンスの言葉で、すぐに結論を出した。


「うす!」


 イゾルテに告白してみよう、と。

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― 新着の感想 ―
[一言] ドーガもハンスも平凡、もしくはそれ以下の人(ドーガの武力は置いておいて)だけど、できることを精一杯やろうとしているのが好感がもてますね。今回は特に、義弟として友として、ドーガに親身になってや…
[良い点] ドーガの純朴さがいい。
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