14 「ラトレイア家へのご挨拶」
家族旅行をしようと思った。
子供たちはすくすくと育っている。
ルーシーは魔術大学に馴染んできた。
ララは勉強が嫌いなようだが、元気だしいいだろう。
アルスはエリスに似て少し乱暴者な所もあるが、思いのほか真面目だし、弱い者いじめをする子でもないので、大丈夫だろう。
ジークはまだ小さく、相変わらず泣き虫だが、ここ最近はどこかの誰かに鍛えられてか、ちょっと逞しくなってきた。
リリとクリスはまだ幼いが、とっくに母乳は卒業し、最近は英才教育が始まっている。
七人目は生まれないが、それでも幼い子供が六人。
毎日が賑やかで、問題も絶えない。
とはいえ、ララとアルスも学校に行き始め、リリとクリスが自分の足で立って歩き、あれこれと学ぶようになったことで、かなり落ち着いてきたとは思う。
ヒトガミが何かを仕掛けてくる気配もない。
実に、平和な日々が続いている。
だからかもしれない。
今のうちに子供たちに、魔法都市シャリーアの外を見せてやろう思ったのは。
なぜ唐突にそんなことを思ったのだろうか。
その日の晩が、賑やかだったからだろうか。
自分のことは自分で出来るようになったルーシーに、
食べ物で遊ぶなと怒られているララに、
好き嫌いはダメだと叱られているアルスに、
頬いっぱいに米を頬張っているジークに、
可愛らしい前掛けを汚しながらスープを飲んでいるリリに、
俺の膝の上で口をあーんして次のご飯を待っているクリス。
そして、妻三人に、妹が一人、母が二人。
とても賑やかな食卓だ。
食卓にかぎらず、最近の我が家はいつも賑やかだ。
そりゃそうだ。
子供が六人もいれば、否応なく賑やかにもなる。
アルスとララはやんちゃで、すぐに騒動を起こすし、
リリとクリスは同い年ということもあってか仲が悪く、よく悲鳴を上げて喧嘩をしている。
しっかり者のルーシーや、おとなしいジークだって、ずっと静かにしてるわけでもない。
毎日喧騒は絶えない。
そうだ、そこで俺は思ったのだ。
これも、今のうちだけかもしれない、と。
子供たちが大きくなった時、どうなるかわからない。
オルステッドと一緒に戦うのか、それともシャリーアを出てどこかにいくのか。
成人したらアスラ王国の学校に3年間通わせることになっているから、そっちに居着いてしまうかもしれない。
あるいは、成人するよりずっと前に、ひょんなことで家を飛び出すかもしれない。
パウロも父親と喧嘩して飛び出したというし、
もしかすると、ウチでもそういう事があるかもしれない。
俺とて、ヒトガミのこともあり、あれこれと口出ししたくもなる時は多い。
でも、子供は親の言いなりにはならないものだ。
ララあたりは勉強や鍛錬をさせられるのが嫌なようで、よく逃げ出しているしな。
まあ、それはいい。
ともあれ、俺は思ったのだ。
子供たちが揃っているのも、きっといまのうちだけなのだろうな、と。
だから思ったのだ。
家族旅行をしよう。
今のうちに、と。
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もちろん、世界一周をしようというわけではない。
一ヶ月ぐらい使って、ご無沙汰している所に挨拶しつつ、ちょっとこの町と違うところを見せてやる。
それだけだ。
というわけで、行き先はミリス大陸にした。
計画はこうだ。
まず、転移魔法陣を使ってミリス神聖国へと移動。
10日ほどミリス神聖国に滞在。
前半はゼニスの実家に挨拶したり、クリフやミリス教団に挨拶する。
それから冒険者ギルド本部や魔術塔といった、ミリス神聖国ならではの場所を見学。
その後、馬車で聖剣街道を北上し、大森林を少しだけ見学。
青竜山脈にあるという温泉に浸かる。
最後に、あの辺りに転移魔法陣を設置して帰ってくる。
ついでに、以前から接触しようと思って先延ばしにしていた鉱神に接触するための布石もおいてくる。
と、そんな感じだ。
計画について家族に話したのは、実行の半年前。
教師であるロキシーの予定もあるだろうし、俺も社長であるオルステッドに伺いを立てなきゃいけない。子供たちだって勉強があるだろうし、皆の予定もあるからな。
とはいえ、家族は誰もが快く承諾してくれた。
特にルーシーなどは、以前アスラ王国に行った時のことを憶えているのか、旅行と聞いてわくわくとした表情で喜んでいた。
ついでにエリナリーゼにも一緒に行くかと聞いてみると、彼女も同行の意を示した。
口実が出来たと喜んでいた。
年に何度かはクリフとも会っているようだが、本当なら年中一緒にいたいのだろう。
クリフも早く偉くなってエリナリーゼとクライブを迎え入れられればいいのだろうが、ミリス教団の権力争いというのも、中々大変らしい。
今回はラトレイア家にも訪問するということで、ゼニスとリーリャも一緒にいくことになった。
ついでに、また神子にゼニスの心の内を聞かせてもらいたい。
ララはゼニスと会話できているらしいのだが、あまり話してくれないのだ。
聞いても、めんどくさそうな顔をされるのだ。
あの年齢では、まだそういった事の重要性がわからないのかもしれない。
ララはさておき、私用ではあるが、神子や教皇といったミリス関係者とも、半年前からアポイントを取っておけば、会えず仕舞いってことはないだろう。
また、今回はノルンの一家にも、声を掛けさせてもらった。
ノルンを連れて行く、と以前クレアと約束した。
いや、約束はしていなかったか。
とにかく、結婚して幸せにやっているということを、直に見せた方がいいという判断だ。
ちなみに結婚したこと自体は、すでに伝えてある。
相手がどんな人物であるかも、俺の言葉でしっかりと。無論、魔族であることもだ。
未だ返事は無く、怒っているのかもしれない。
聞いていないフリをしてくれるつもりだったのかもしれない。
でも、だ。
これはきっと、ケジメの一種だ。
最初、ノルンはまだ子供が小さいということで、同行を断った。
ノルンの娘ルイシェリアは、スペルド族の成長が早いのか、すでに母乳は卒業し、歯も生えそろい、父親譲りの緑の髪と可愛らしい尻尾をフリフリと揺らしながらトテトテと歩けていたが、まだ目は離せないと。
だが、そんなノルンにルイジェルドが言ったのだ。
「子供の面倒は俺が見ておく。お前は行って来い」
「でも……」
「肉親は大切にしろ」
ノルンはその、やけに重く聞こえる言葉に従った。
ルイジェルドとしては、自分も行きたかったようだ。
人族の風習については詳しく知らないが、挨拶が必要なら、と。
しかし、子供を、それもスペルド族を連れて一ヶ月も旅をするというのは厳しい。
ジークのように帽子を被っても尻尾は隠せないし、髪が緑なだけでなく本物のスペルド族……となれば騒がれるし、トラウマになりかねない。
またルイジェルドも村やビヘイリル王国での役割がある。
というわけで、断腸の思いでノルンを送り出してくれたのだ。
「わかりました。でも私は挨拶だけです。温泉とやらには行かず、戻ります」
「戻る必要はない。ゆっくりしてくるがいい」
「私は、ルイジェルドさんやルイシェリアと一緒にいたいんです」
ノルンはそんな感じで惚気けつつ、しぶしぶと同行を受諾してくれた。
家の留守は、傭兵団の面々やザノバに頼んでおく。
ビートとジローを家に残していくが、一応だ。
泥棒でも入ったら困るし、家庭菜園の世話もあるしな。
と、旅行計画はそんな感じだ。
全体的に少しアバウトだが、ぎっちり詰めてスケジュールに追われるのも面白くない。
これぐらいで丁度いいだろう。
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それから半年後。
魔法都市シャリーアはいつものように雪に包まれた。
俺たちは家の前に馬車を呼び寄せ、雪の降り積もった町を移動し、事務所へ。
オルステッドに一言挨拶をした後、ミリシオンへの魔法陣に乗った。
魔法陣の到着先はミリシオン内にあるアジト。
あっと言う間にミリス大陸だ。
旅行をしたい、なんて思っても、感慨なんてものはまるでありゃしない。
せめて出来ることなら、街の外にある魔法陣に乗り、ミリシオンを外から見せてやりたかった。
あのどでかい塔を見て、高い城壁の中へと入っていくわくわく感は、中々味わえないだろうからな。
とはいえ、そうした風景自体は出て行く時にも見ることが出来る。
焦ることはないのだ。
アジトで予め用意しておいた馬車へと乗り換え、一路、ミリシオンのラトレイア家へと向かう。
俺を含めて14人+1匹。
ということで、大型の馬車を二台用意した。
一台目は俺、ロキシー、ゼニス、リーリャ、ララ、クリス、レオ。
二台目はシルフィ、エリス、ルーシー、アルス、ジーク、リリ、アイシャ、ノルンだ。
エリナリーゼ、クライブとはここで一時お別れだ。二人はそのまま、クリフの下へと向かう。
初めての旅行に子供たちは大はしゃぎで、ママたち三人は彼らを抑えるのがやっとといった風情だった。
特にララはミリシオンの風景が気に入ったのか、鼻息も荒く、窓の外を見ていた。
無感動でいつも昼寝ばかりしているララにしてみれば、珍しいことだ。
「ララ、身を乗り出すのはやめなさい」
「……はい」
たまに身を乗り出すので、ロキシーがそう言って後ろに下げる。
でも、窓にあごを乗っけて、キョロキョロと周囲を見ている。
唐突に身を乗り出して落っこちないか心配だが、レオが裾を咥えてるから大丈夫だろう。
「……ママ、うちの近くより、色がいっぱいある」
「ミリシオンには有名なデザイナーが多く滞在して、庶民向けの服のデザインをしてますからね、みんなオシャレ好きなんです」
「冬なのに雪がない。寒くもない」
「このあたりでは、雪はそれほど降らないんです。
でも時期になると雨がたくさん降りますよ。
でも、あの大きな塔が水を一定に保つので、町が水であふれることはないんです」
興味津々なララに説明するロキシーを見ていると、心が和む。
こうして見ると、ララはやはりロキシーに似ている。
ミニロキシーという感じだ。
「パパ、おなかすいた」
クリスは俺の膝の上でずっとごきげんだ。
ただ、外は怖いのか、それとも馬車の揺れが怖いのか、俺の袖をしっかりと掴んでいる。
多分、無理に引き剥がしたらびゃーびゃー泣くだろうな。
「ご飯は、ひいおばあちゃんのお家についてからね」
「あい」
クリスは俺の言うことはスムーズに聞いてくれる。
これが他のママたちなら、今すぐ何か食べたいとダダをこねるようだ。
シルフィたちには悪いけど、クリスといるとちょっとした優越感を得られる。
しかし、俺の手を取って、それで自分のお腹をさすさすしているクリスを見ていると、つい何かを買い与えてしまいたくなるな。
そこな露天商。甘いリンゴを買おう、なに? どれが甘いかわからない? なら店ごとだ。心配するな。余った分はラトレイア家へのおみやげにしてやる。とか言ってみたくなる。
そういえば、ご機嫌取りとしてラトレイア家へのおみやげは色々持ってきたけど、クレアさんは気に入ってくれるかねえ。
こんな下賤なものはいりません。とか言われたらどうしよう。
や、まさかそこまで失礼なことは言わんよね?
そう思いつつ、ふと見ると、リーリャの顔がこわばっていた。
「……リーリャさん、どうしました?」
「少し、不安ですね」
「何が?」
「クレア様のことです」
この旅行にあたって、一つ障害がある。
我が祖母、クレア・ラトレイアだ。
あの偏屈なお祖母様は、俺たちがミリスに旅行すると聞くと、なら我が家に滞在しなさい、とすぐに連絡をくれた。
断ってもよかった。
挨拶だけして、家には泊まらないという案もあった。
ノルンとアイシャ、リーリャに対する過去の『当たり方』を思うと、不安もある。
だが、俺としては、あの偏屈な婆さんのことは、さほど嫌いではなかった。
クレアには大きな欠点があるが、可愛い可愛い俺の子供たちと、ささやかな数日間を共に過ごさせたくないと思うほどではなかった。
なので、なんにせよ、まずは会ってみよう、会わせてみよう。
それでダメそうなら、また別に宿でも取ればいい。
という結論は出た。家族会議でだ。
とはいえ、リーリャは実際に色々と言われたこともある。
これからまたそれを聞くかもしれないと聞くと、不安にもなろう。
「クレアさんも、なんだかんだ言って我々のことは考えてくれます。少し、考え方が硬い所はありますが……。あ、なんだったら、俺の後ろにでも隠れていてください」
「いえ、私ではなく」
リーリャの視線の先には、ロキシーとララがいた。
そう、今回はロキシーやララ……すなわち、魔族の血を引いている者がいる。
ノルンだって、魔族と結婚してしまった。
ついでに、今回は妻が三人とも一緒だ。
対するクレアはガチガチのミリス教徒で、魔族排斥派だ。
以前、色々と口出ししないように言ったが、何年も前の話だ。
人間は、数年もすれば小さな約束なんてあっさり忘れてしまう。
もちろん、ロキシーもそのへんは織り込み済みだ。
家族会議においても「問題ありません」と胸を張って答えてくれた。
ララとリリは少しだけ辛い思いをするかもしれないけど、魔族の血を引いた者が人族の暮らす場所でそうした扱いを受けることはままあると教えられる、と。
そう、答えてくれた。
ノルンだって、何かしら言われることは覚悟しているだろう。
俺としては、魔族とかそういうのとは別に、何か嫌味等を言われたララが変なことしないか心配だ。
ララのイタズラはヒヤヒヤするのだ。
相手を選ばないから。
「大丈夫です。リーリャさん」
そう言ったのは、ロキシーだった。
「ダメなら、最初から迎え入れようなんて思わないでしょう」
「そう、でしょうか?」
俺も懐疑的だ。
別にクレアを信用してないってわけじゃないよ。
彼女は、我々を招くと言ったんだ。
わざわざ嫌味を言うために招くというのは、貴族のマナーに反するんじゃないかな。ミリスの貴族にどんなマナーがあるのかはわからないが。
しかし、それにしたって、わざわざ遠方から訪ねてくる者を蹴り飛ばすことはないだろう。
ただね、やっぱ常識を知っていても、目の前に嫌いなものがくると、何するかわからないのが人間だ。
やっぱりダメだった、という場合がある。
「……」
と、その時、ゼニスがリーリャの手を握った。
言葉は無いが、何かを伝えようとしているのがわかった。
俺はララの肩をトントンと叩いた。
「おばあちゃん、なんだって?」
ララはめんどくさそうな顔で俺の方を見て、ゼニスを見て、俺の方を見て、言った。
「……ひいばあちゃんは心配性なだけだから、大丈夫だって」
「ありがとう」
珍しく通訳してくれた。
ま、ゼニスがそう言うなら、きっと大丈夫だろう。
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屋敷の出迎えは歓迎ムードであった。
メイドさん方はにこにこしていたし、執事の対応も丁寧だ。
少なくとも、以前、俺がミリシオンに来た時よりも、ずっと歓迎されているのがわかった。
俺たちは彼らに荷物を預けた後、クレアのいる部屋へと通された。
「長旅、ご苦労様です」
クレアは俺たちを見ても椅子に座ったまま、そう言った。
座ったままだ。
態度が悪いとは言うまい。彼女はこの家の主なのだから。
「いえ、今はすぐそこですので」
「そうでしたね。未だ、理解し難いことですが……」
クレアはこめかみを押さえ、何か言いたそうにしたが、ぐっと飲み込んだようだ。
飲み込んだのは恐らく、転移魔法陣を私物のように使う俺への小言だろう。
「家族を紹介します」
「はい。よしなに」
家族をそれぞれ並ばせる。
子供たちに、妻三人、それとノルンにアイシャだ。
今日のアイシャはメイド服ではなく、可愛らしいワンピースを着用している。
一見すると、長女のように見えなくもない。
リーリャも同様だが、彼女はゼニスと一緒に、先に別室へと移動した。
「メアリー」
「はい、奥様」
と、そこでクレアが近くのメイドに命じて、手を出した。
メイドはクレアを支えるようにしながら持ち上げ、立たせ、杖を渡した。
ヨロヨロと、クレアは立ち上がった。
杖にすがりながら、力無く。
その立ち姿には、以前見た時のような毅然さは無かった。
俺たちがきた時に座りっぱなしだったのも、傲慢からきたものではなかったのだ。
「具合、悪いんですか?」
「もう歳ですからね」
「足腰が弱るような歳でもないでしょうに……」
ひいばあちゃんなんて呼ばれる歳ではあるが、俺も、俺の子供たちも、早くに生まれた子供だ。
何歳かはわざわざ聞かないが、ゼニスが40歳ぐらいだから、せいぜい60から70歳ぐらいだろう。
「なんでしたら、俺が解毒や治癒魔術を使いましょうか?」
「結構です。あなたは優れた魔術師でしょうが、ここはミリシオンで、私は貴族ですからね」
治癒魔術による治療には不自由していないということか。
まぁ、大丈夫と言うなら大丈夫だろうが、弱った姿を見せられると、少し不安になるな。
「心配してくださるより、早く紹介を済ませていただきたいものですね」
「それもそうですね」
というわけで、紹介していくことにした。
まずはシルフィ、ロキシー、エリス。
三人の妻からだ。
「こちらはシルフィ。最初に結婚した妻です。今は家のことを任せています」
「シルフィエットです。今日はお招きいただき有り難うございます。どうぞよろしくお願いします」
シルフィは流石という所か。挨拶一つとっても慣れと優雅さが見える。
よもや、彼女がフィットア領の田舎出身だとは誰も思うまい。
「こちらはロキシー。ミグルド族……魔族で、このような見た目ですが、年齢は俺よりも年上です。今は魔法大学の教師をしています」
「ロキシーです。魔族ということで少し思うところはあるかと思いますが、これから数日間、どうぞよろしくお願いします」
ロキシーは魔族と紹介したが、クレアは眉一つ動かさなかった。
今回が初顔あわせではあるが、一応、情報としては知ってるしな。
ひとまず、魔族ということであれこれは言われないということか。
「こちらはエリス。剣神流の達人で、アスラ王国の大貴族ボレアスの現当主の妹になります」
「エ、エリスです。よろしくお願いします」
エリスはやはり今ひとつギクシャクしている。
アスラ王国のパーティなんかでは自然にしてるんだが、俺の祖母の前ということで緊張しているのだろうか。
「……」
クレアは何も言わない。
とりあえず、妻が三人いることに対する小言はない。
次は子供たちだ。
「こちらは長女のルーシー」
「ルーシー・グレイラットです! ひいお祖母様、お初にお目にかかります! 今日からしばらくよろしくお願いします!」
スカートの端をつまんで、ご挨拶。
クレアの頬が少し緩んだ。
孫に対して厳しいクレアも、さすがにひ孫は可愛いか。
「次女のララ」
「……ララです」
無愛想で暇そうで、めんどくさそうな態度のララ。
クレアの眉が少しひそめられた。
どうやら、ひ孫とか関係ないようだ。
「彼が長男のアルス」
「アルスです! もうすぐ八歳です! よろしくお願いします!」
とはいえ、無愛想なのはララだけ。
それ以外の子はお行儀もよく、クレアの眉がひそめられることもなかった。
アルスの後、ジーク、リリ、クリスと、無事に挨拶が終了した。
「二人も挨拶を」
俺が促すことで、ノルンとアイシャが前に出た。
二人は揃って、優雅とも言える所作で頭を下げた。
アイシャはもちろん、ノルンもだ。
「ノルン・スペルディアです。お久しぶりでございます、お祖母様」
「アイシャです。本日はお招きありがとうございます」
所作に関しては、文句のつけようもない挨拶だ。
クレアは杖にすがったまま、ツンと顎先を向けた。
「はい。お久しぶりですね二人とも」
それだけだ。
ノルンの結婚に関して、何かを聞くことはない。
この場で聞くべきではないと思ってくれたのか。
とにかく、出鼻から悪い空気になることは無かった。
皆が上手にお澄ましして挨拶してくれたおかげだろう。
よかったよか……あ、ララが鼻をほじってる。
あとで少し注意しておくとしよう。
「こちらはクレア・ラトレイア。君たちのひいおばあちゃんだ。これから10日間お世話になるから、失礼のないように」
俺がそう言うと、クレアは優雅に一礼をした。
相変わらず、ほれぼれするような礼である。
ぜひとも、子供たちには見本にしてもらいたい。
「クレアです。留守にしている主人に代わり、あなた方を歓迎します。メイドや執事は好きに使っていただいて構いません。文化の違いで戸惑うや不快に思うこともあるかもしれませんが、自分の家と思い、くつろぎなさい」
「ご厚意、感謝します。さぁ、皆もお礼を言いなさい」
「ありがとうございます! これからよろしくお願いします!」
子供たちが一斉に頭を下げると、クレアは大義そうに椅子に座った。
お疲れ様です。
こうして、我が家のミリシオン観光がスタートした。
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「ルーデウスさんには少しお話があります。残っていただけますか?」
と、思ったが、部屋から出る所で呼び止められた。
俺は他の家族を先に行くように促し、部屋に残った。
クレアの表情は、まぁ、普通だな。
特に怒っている様子はない。
「お座りなさい」
「失礼します」
言われるがまま、彼女の真正面の椅子に座る。
と、椅子にスイッチでも搭載されていたかのようにお茶が出てきた。
うちの家族にはお茶も出さないのか、と思うかもしれないが、座らせなかったのは俺だ。
椅子も足りなかったしな。
「そう硬くならずとも良いですよ。何も叱責しようというわけではありません」
見透かされてしまったようだ。
でも前の時のこともあるし、許してほしいもんだ。
少しくらいの警戒はね。
「では、何の話を?」
「雑談です」
クレアの顔を見てしまう。
彼女は何くわぬ顔で、自分のお茶をすすっていた。
綺麗な飲み姿だ。
お茶の飲み方一つにも作法があるのだろう。
俺もまた、真似をしつつお茶に口をつける。
いい茶葉を使ってらっしゃる。
「お茶といえば……最近、アイシャがお茶の木を育て始めましてね。取れたお茶っ葉を一袋持ってきたので飲んでみてください」
「では、明日にでも飲んでみましょう」
「お口に合えばいいのですが」
アイシャは数年毎に、作るものを変えている。
一時期は、何やらハーブっぽいものを作り、料理にも使っていたのだが、やめてしまった。
あれはなんでだっけかな。
あ、そうだ。確か、クリスがアレルギーっぽかったんだ。
ハーブが香る頃になると、クリスが鼻水をズルズルさせるようになってしまったのだ。
アレルギーも、症状自体は解毒で治るんだが、体質自体は治らないんだよなぁ。
「そのアイシャは、まだ結婚しないのですか?」
「まだしないみたいですね」
「ノルンはしたそうですね」
「ええ」
「相手は、どのような人物なのですか?」
すんなり終わったかと思ったが、
やはり、この話題は避けられない。
だがノルンではなく、俺に言ってくれたというのは、ありがたい。
「魔族です」
すでに手紙で教えたことだ。
言い繕うのも無駄だと思い、俺はそういった。
「それは知っております。今日は来ていないようですが? どういった人物なのですか?」
おっと、そっちか。
そうだな、結婚したばかりの妻を出歩かせているわけだしな。
来ていない理由は知りたいか。
「彼は二人の子供がまだ小さいので、自分が家で面倒を見ると。せめてお前だけでも祖母に挨拶をしてこいとノルンを送り出してくれました。決して、クレアさんやラトレイア家のことを軽んじているわけではなく……」
クレアの眉根が寄った。
「私は来ていない理由ではなく、どういった人物なのですかと聞いたつもりですが?」
「え? ああ、もちろん信頼できる人物ですよ。手紙でも書いたと思いますが、弱きを助け、悪を許さない正義の人です。家柄に関しては人族のそれとは違いますが、ある大規模な軍隊においては親衛隊の隊長を務めていたこともある人で、村の中では重要な地位にいます。あ、それから、あの『魔神殺しの三英雄』ペルギウス様も一目おいている人物ですね。あとそれから……」
「……結構」
クレアは俺の言葉を途中で遮り、じっと俺の目を見てきた。
何かまずいことを口走っただろうか。
「今の言葉だけで、あなたが信頼できる相手にノルンを任せたというのは伝わりました。なら、私としては、思う所はあっても、言うべきことはありません」
「そう言ってもらえるとありがたいです」
「ありがたがる必要はありません。前に、あなたと約束しましたからね。口出ししないと」
「覚えていてくださったのですね」
「当たり前です。腰は悪くしましたが、頭はまだ無事ですからね」
よかった。
しかし、じゃあなんでそんな事を聞きたがるんだ……。
雑談だからか。
「それにしても、ロキシーさんというのは随分と小さいのですね」
「ミグルド族ですからね。年齢は見た目以上です。あ、でも本人に小さいというのは厳禁ですよ。気にしているみたいですから」
「わかっております。私もラトレイア家の女です。口は悪くとも、他人の外見をあげつらったりはしません」
半ば冗談のつもりで言ったんだが、真面目に返された。
「それに、私も以前のことがあってから、極力魔族や獣族といった方々には理解を持とうと思っています」
「良いことだと思います。好くにしろ、嫌うにしろ、知ることは大事ですから」
むしろ、よく知らないから嫌ってしまうというのもある。
人はよく知らないものを低俗と見下してしまうからな。
食わず嫌いってやつだ。
「しかし、ララという子は問題ですね?」
「……はい」
「もちろん、魔族とのハーフであることを言っているのではありませんよ。私が言っているのは、初対面の人間に対する、あの態度です」
「申し訳ありません。挨拶ぐらいはしっかりさせようとは思っているのですが、最近ちょっと言うことを聞かなくて」
「……とやかく言うつもりはありませんが。時には厳しく躾けることも必要だと、私は思いますよ」
言い方はオブラートに包んでいるが、もし自分の娘だったら叩いてでも躾けたというのだろう。
まぁ、そうした方がいい時もある。
ただ、ララはその辺がうまい。
こう、エリスにお尻ぺんぺんされるギリギリを攻めている。
奔放に見えて、意外に計算高いのだ。
「なぜそうすべきかは、あなたなら理解できるでしょう」
「将来のためです」
「その通りです。挨拶一つで相手の持つ心象は変わるのです。最初に礼を尽くさなかったがために、後に窮地に陥ることもある。だから我々貴族は礼儀作法を学ぶのです」
おっと、お小言っぽくなってきたぞ。
でも、心なしかクレアは少し楽しそうだ。
「でも、母親のロキシーさんは魔族であるにも関わらず、実にわきまえていらっしゃる」
「そうでしたか?」
「ええ。先ほども正妻であるシルフィさんを立て、常に少し後ろに立っていました。挨拶も控えめで、実にいい。自分の立場をわかった態度です」
あらそんなことを。
正妻とか副妻とか、順列をつけてるつもりはないんだが……。
いや、違うな。
ロキシーは、その方が問題が起きない、と考えてそうしているんだ。
「エリスさんは……武人であるなら、多少は仕方ないでしょう」
「そう言っていただけると幸いです」
「……」
クレアは小言を言いたそうな顔をしていた。
まぁ、あんまりあれこれ言わないであげてほしい。
エリスもあれで一生懸命なんです。
「ともあれ、ルーデウスさん」
「はい」
「よく、連れて来てくださいました」
クレアはそう言って、すっと頭を下げた。
誰を、とは言わなかった。
ノルンでも、アイシャでも、ロキシーでもない。
特定の誰かではないのだ。
皆を、だ。
その意味を理解すると同時に、俺は悟った。
やはり、俺は少し身構えすぎてしまっていたらしい、と。
もっと気軽に、おばあちゃんちに遊びにいく、ぐらいの気持ちでよかったのだ……と。
こうして、我が家のミリス観光は始まった。