九投目
《アイドライジング協会》主催、秋のチャリティイベント当日がやって来た。
「行くぞ、凛」
白井井芸能プロダクションから、男が車を出す。道中助手席からの視線を幾度となく受け、男は表情を作る。それは、かつての雪奈にも劣らない巧妙さで動いた。
「昨日はすまなかった。決着は着いた、俺は今日お前を《アイドル》にして見せる。だからお前は、《アイドル》になれ」
凛の視線が、男の頭の先からつま先へ、そして瞳に向く。一度だけ息を吐くと、凛は言う。
「わかった。あたしを《シンデレラ》にしてね」
《アイドライジング》における新人賞受賞者の代名詞を口にした凛に、男は一度、無言でその願いに答え、数度目の信号待ちで短く返事をした。
「緊張して来た」
チャリティイベント開始から三十分が過ぎると凛はそう口にした。黒をベースにした衣装には凛のイメージカラーである水色がアクセントとして組み込まれている。肘にまで届かないドレスグローブから袖口まで覗く白い肌を忙しなく擦る彼女の顔には青が浮かぶ。
「何も緊張をする必要はない。順位を競う訳でもないから、今日は睦月凛の存在を知らしめるだけでいい。振り付けを忘れようが《IL》で失敗してもいい、お前が歌えばそれだけで今日の目的は達成できる」
「歌詞、飛んだらどうするの?」
「それはどうしようもない。不安なのか? なんなら客席で横断幕に扮した歌詞カードを張り付けられるよう《協会》に打診して来るが?」
凛が笑う。明らかに男の声には本気がなかった。まるで真剣みのないその声に、凛は目じりに涙まで浮かべて見せた程だ。
「あたし、本当に緊張してたし不安だったんだよ?」
「一緒に緊張して不安になって欲しかったのか?」
「ううん。違う。今のあなたみたいに、あなたらしくない言葉で返して欲しかったのかも。何か一人で緊張して不安になってるのが可笑しくなっちゃったよ。やっぱり凄いね、あなたは」
《アイドル》が一番欲しい物をくれる。そう凛は言った。男は一度だけ目を閉じ、口を開く。
「そろそろ時間だ、行って来い」
首肯した凛が《ステージ》へと歩み始めると、男は舞台袖のモニタ前へと腰を落ち着けた。目まぐるしく入れ替わる数字、文字の一字も見逃さないと、男はモニタを注視する。
凛と《凛音》が《IL》の光に包まれ、曲の前奏が始まる。事前の露出が皆無の《アイドル》の登場に観客がざわつくが、凛の表情は強張ることも、恐れを浮かべることもなかった。
そして、凛の歌が始まる。《アイドライジング》の観戦に慣れた者たちが、即座に手荷物をあさり始めた。その彼らが手持ちのサイリウムを水色のサイリウムへと持ち替え始めたところで男の片頬が上がる。客席の一列目に水色の明かりが灯り、続けて二列目、三列目。会場の八割が凛のイメージカラーに染まった。
「ありがとう」
誰の耳にも届かない言葉を男は口にする。他の誰とも共有出来ない記憶を呼び覚まし、昨晩固めた決意を実行に移す覚悟を決めた。
割れんばかりの歓声を耳にし、男は自分が凛のパフォーマンスの終盤を見損ねたことに気付く。口から出た言葉は不思議と悪意のないそれだった。モニタの中の凛が司会者から二三質問を投げ掛けられ、それに答える。観客席に浮かぶ光がそれに合わせて忙しなく動く。
「あたし、上手く出来たよ」
戻った凛の第一声はそれだった。疑問形ではなく、言い切った彼女は正しく現状を把握している。浮かぶ涙も震える声の意味も正しく受け取ったつもりの男の顔には笑みが浮かんだ。
「ああ、よくやった。今日からお前は名実共に《アイドル》だ。もう見習いではないのだからそれを肝に命じることだ」
「うん、うん。あたし、頑張ったよ」
「ああ、そうだな。間違いない。この一カ月、お前はどの《アイドル》よりも頑張った――」
「――だから、行かないで」
男の言葉に被せて、凛はそう言い、男のスーツの袖口を握った。
何故わかったと疑問を呈することも、袖が皺になると軽口を叩くことも出来ず、男は凛の手から伝わる熱をただ受け取り、そしてようやく口を開いた。
「俺はきっと、何度も欠陥を晒すだろう」
「いいよ、それでも」
「ありがとう。だが、お前はこれから《トップアイドル》になるだろう。その時今のままの俺では役に立たん」
凛が口を開閉し、そして俯く。その視線の先には、男の靴がある。出会った頃には薄汚れていたそれが、今は綺麗に磨かれている。だが、どこで引っかけたのか、傷が浮かんでいる。
「帰って、くるんだよね?」
男が強い語調で断言する。それを聞き届けると凛は顔を上げた。
「じゃあ、行ってらっしゃい。気を付けてね」
「心配するな、もう二度と道半ばで終わらせることはしない」
黒井芸能事務所は白井のそれとは百八十度印象が異なっていた。《協会》を意識したのか、それとも莫大な財を持った者の特徴なのか男にはわからないが、一つの建物で《アイドライジング》を完結させられるだけの施設を擁している。
受付に顔を出したところ、男は即座に最上階の社長室へと案内された。毛の長い絨毯を踏みしめ、クッション性の高いソファーに身体を沈み込ませたところで黒井が姿を現す。
「よく来たな。正直来るとは思わなかったが」
黒井は男を一瞥すると対面のソファーに腰を降ろしながらそう言った。
「? 狙ってやったのではなかったのか?」
「何をだ?」
黒井の顔に、含みはなかった。まるで何を言っているのかわからない。そう片眉を上げている。しかし間もなく顎に手を当て思案して見せた。
「ふん、まあいい。白井が再び窮地に陥っただけで私は気分がいい。早速だが貴様に駒を振ろう。三年ほど前に手に入れたのだが、現状駒と呼ぶのもおこがましい物だ。無能は切り捨ててもよいのだが時機を逸している所だ。A級程度にはして貰おう《魔法使い》」
「してみせよう。だが一つ要求を聞き入れてもらいたい」
顎をしゃくれさせた黒井に向かい、男は言う。
「《小雪》をプロデュースさせてくれ」
「……好都合だ。元より貴様が付くのがアレだ。貴様が目を付けるということは何かあるのか? 私には微塵も才能を感じさせんがな」
長年、業界に携わってきたのだろう黒井の目は、恐らく男よりも物事を正確にとらえているだろう。華奈の《IL》は《ドレス》を起動させるにも足らない。
「何とか、するさ」
「そうか。それでは見物させてもらうとしよう」
そう告げると、黒井は鍵を投げてよこした。
「駒には価値に応じた環境を与えることにしている。貴様には五十階ワンフロアをくれてやる。好きに使え。トレーニングルーム、レッスン室、研究施設一通りあるが万一不足があれば言え」
「大盤振る舞いだな」
「ふん、使える駒に金を惜しむのは三流のすることだ。最も、そのための金すら用意出来ん者もいるがなあ、ふはははは」
高らかな笑いが響く中、社長室のドアが控えめに叩かれた。短い言葉で入室を促され、登場したのは華奈だった。三年前の雪奈と同い年になった彼女は、見た目もあの頃の雪奈そっくりだ。肩口までの長さの髪に、整った鼻梁。白く滑らかな肌は同性から羨まれるそれだろう。
「お呼びですか社、長」
言葉の途中で男に気付き、一瞬息を飲んだのが手に取るようにわかった。
「ああ、貴様の新しい《プロデューサー》だ。コレが今後貴様の《アイドライジング》全ての担当をする」
「お言葉ですが社長、私には姉さんが――」
「――C級風情が私に意見を出来ると思うな」
有無を言わさぬ冷たい声だった。恐らく黒井は、華奈に何の価値も見出していないのだろう。
「興が削がれた。引き継ぎなどは勝手に済ませろ。能力を示したまえ《魔法使い》」
それが切り上げの合図となった。男は華奈と連れだって社長室を出ると、無言で前を行く華奈の背に言う。
「雪奈に会わせてくれないか?」
「いいわよ。自分の罪の重さを理解しなさい」
華奈の承諾は意外だった。意味はわからなかったが、罵詈雑言を受けたとしても絶望することはないと、胸に決めている。
二人がエレベーターで下って行った先は、五階だった。入所した際に確認した案内図では、居住区としては最下層を示していたはずだ。男の思考が顔に出ていたのか、言い訳をするように華奈は言う。
「向こうでB級止まりだったからよ。この国ではC級になる、その程度のことも知らないの?」
無論に限っては、A級以上からが国内外共通の《ライセンス》であることは知っている。しかし疑問に思ったのはそこではない。雪奈の使い道はいくらでもあるはずにも関わらず、最低待遇ということは黒井が利用していない事実を表しているのではないだろうか。そう、思ったのだった。
「姉さん、入るよ」
お姉、とは呼ばなくなったようだ。わずかな間を空けた後、華奈が自室となっている部屋への入り口を開く。ベッドが両脇に二つ、間に丸テーブルが一つ、それで室内は一杯となっている。ドアが一つあるのは、恐らくユニットバスだろう。
「お帰りなさい、華奈」
丸テーブルを挟んで部屋の奥、車椅子に乗った雪奈が微笑んでいる。一切含みのなさそうな柔らかなその笑顔は、男の初めて見る顔で、酷く、違和感があった。
「姉さん、今日から専任が付くんだって。この人」
「え? 良かったじゃない。頑張りが認めて貰えたのね。すみません、こんな身体なので座ったままでの挨拶になっちゃいますけど、妹をよろしくお願いします」
そう言って、雪奈は頭を下げた。まるで、初めて会う相手にそうするように。
「雪、奈?」
新手の嫌がらせならそれで良かった。お前を許さない、そう憎まれるのなら許されるまでひたすら努力し続けるつもりだった。
「はい? あ、失礼しました。華奈の姉で雪奈と申します」
「知って、いる」
「華奈から聞きましたか? あなたが来るまで私たちは二人三脚で《レッスン》や《ドレスチューニング》をして来たんですよ? 一応向こうではそれでB級までは行ったんです!」
雪奈はそう言って、自慢げに胸を反らした。胸は成長し、いつだか雪奈が言っていたように程よい大きさになっていた。
「そう、か。それは凄いな」
男の言いたいことはそれではない。しかし口から出るのはそんな他愛のない言葉ばかりだった。妹が世話になる人、終始雪奈はそう考えたのか活発に、失礼のないよう努めて会話をしているようだった。
ようやく会話を切り上げることに成功すると、男は五階のエレベーターホールのソファーに座り込んだ。どれくらいの時間放心していたのかわからないが、足音で気を取り戻す。
「記憶がないのよ。でも大分マシになったわ。今では欠けた記憶は姉さんが《スノウ》だった時の記憶だけ」
言って、華奈が男の顔を覗き込む。
「可笑しいよね、あなたがいた時期だけの記憶がないの。どれだけ姉さんはあなたに傷つけられたのかしら? まるであなたのことだけ思い出したくないみたい」
男の噛みしめた唇から、鉄の味が広がる。
「これでもあなたは私たち姉妹に関わろうとするの? 私は正直迷惑。姉さんと二人でならこの国でもやっていけるわ。それは姉さんのように《アイドルマスター》に届くほど上手くは出来ない。でも、私はそれでもいい。二人で静かに暮らせたら、それで、いいの」
チャリティイベントで華奈のパフォーマンスは目にした。そして、かつての自分に近い黒井の考えはわかる。それらから推測すれば答えは一つだ。
「黒井は、それを許さないだろう」
「あなたに社長の何がわかるの? あの人は向こうで《アイドル》になることすら出来なかった私のために《ステージ》も、《ドレス》も用意してくれたわ」
思い当たる節はあった。しかしそれを口にすることは憚られ、結局言うことが出来ない。
「あなたに捨てられて、姉さんの資産がかすめ取られていく中で、社長が守ってくれた。社長だけが本当のことを教えてくれた。厳しいことも多いけど、でも本質的には優しい」
あなたとは逆。そう、華奈は睨み付けてくる。押し問答をする気力は男にはなかった。
「その黒井から、お前を《プロデュース》するよう依頼を受けた」
「拒否すればいいでしょう? 一企業の社長が《S級プロデューサー》相手に無理強い出来る訳ないでしょうに」
口下手な自分を恨めしく思いながら、男は拳を握り込む。それで事態が好転する訳がないのを知りながらも、そうしてしまう。諦観の気持ちがじわじわと湧き上がる。それを追い払うように首を振ると、視界の端に雪奈が映った。
「凄いじゃない、《S級》のスタッフさん、それも《プロデューサー》だ何て! せっかくだから付いて貰ったら?」
いつの間にか現れた雪奈に、驚いたのは男だけではなかったようだ。
「姉さん……」
嫌なところを見られた。そんな心境を隠そうともしない華奈に、雪奈は続けた。
「やっぱり、お姉ちゃんとしてはB級でいいやとは思わないで欲しいな。私の所為で何かを諦めるのはお姉ちゃんとしては辛いよ」
「そんなつもりは全然ないよ。私はただ……」
今度は華奈が自分の掌に爪を立てる番だった。はっきりとした敵意を男に向ける自分というのを見られたくないのか、華奈は最終的には首肯し、一人でエレベーターに乗って行った。
「華奈が失礼な態度取ってしまってすみません」
「いや、構わない。無理もない、ずっと二人でやって来たのだろう? 突然そこに割り込まれたらいい気はしないだろう」
「そんなものですかね、ふふ、ありがとうございます」
雪奈は実に素直な微笑みを浮かべた。そこには何の他意も見受けられない。
「辛く、ないか?」
記憶も、半身も失って。そう具体的に尋ねることは憚られた。
「足、ですか? 今はこの車輪が私の足です。失くした物何てありませんよ」
「それを奪った者を恨んだりしないのか?」
「誰に奪われた物でもありませんから。実は、私はある期間の記憶がありません。足もその期間中に失ったようです。でも、主治医からは単身の事故だったと聞いています」
「雪奈は、相変わらず強いな」
「華奈がいますから。すみません、少し頭痛がするので部屋に戻りますね」
車椅子のハンドルに手を伸ばすと、やんわりと雪奈に断られ、仕方なしに隣を歩く。車輪を転がす雪奈の手は、昔と違い、擦り傷がたくさんあった。
「《IL》は使えるか?」
小首を傾げた雪奈に、男は言う。
「電動の車椅子は重いからな。《IL》で動く車椅子に当てがある。使えるのなら用意しよう」
「気持ちだけ頂いておきますね」
「借りは、作りたくないか?」
かつての雪奈の価値観を思い出し、そう問うと、彼女は首を横に振った。
「私が《IL》を使うと華奈が悲しむんです。以前、あの子が《ドレス》の起動に失敗した時に、お節介を焼いて、一度だけやって見せたんです。そしたら、何か辛いことを思い出してしまったらしく、泣かれました」
許しを乞う行為だけは決してしまい。そう結論付けたルールは、果たして正しいのだろうかと疑問が浮かぶ。再三に渡り悩み、幾度となく同じ答えに持っていったが、どうしても口にしてしまいそうになる。
「着きました。送って下さってありがとうございました」
雪奈の背が扉の奥へ消えようとしている。その扉が閉まり切る前に男は言う。
「黒井から、五十階の部屋を預かっている」
雪奈の本来の実績からなら、同等の部屋を宛がわれていたはずだ。
「俺は研究室で寝泊まりしても構わない。だから、お前たちも五十階に来ないか?」
「私はこの狭い部屋で姉妹水入らず、膝を突き合わせる生活に不満はありませんけど……華奈には、その方がいいかもしれませんね。《アイドル》とスタッフは信頼関係が大事ですから」
「話が早くて、助かる」
今の華奈は確実に拒絶反応を見せるだろう。そう考えるならこんな余計なことはするべきではない。建前で《アイドル》の《プロデュース》を目的とは言えるが、心の奥では違う。
「それでは、華奈のところに一度行きましょうか。あの子はきっと地下二階のレッスン室にいると思います」
雪奈と来た道を戻る。やはり手助けを断られ、やや手持無沙汰となった。空白の二年に、何があったのだろうかと尋ねたくなる気持ちは、一人善がりだろうか。
しばし無言の空間が続いた。それを気まずく思った訳ではないが、一つ気づく。
「すまない。頭痛がすると言っていたな、大丈夫か?」
雪奈は車輪を繰る手を止め、意外な一言を受けたと、鳩が豆鉄砲を食らったようになる。
「ええ、大丈――具合、悪いように見えましたか?」
「見えん。だが、俺はそう言った事柄に疎いらしくな」
「ふふ、私は大丈夫ですよ。それよりも華奈のこと、よく見ていてあげて下さいね。あの子は《アイドル》で、あなたはその《スタッフ》ですからね」
「任せろ。俺は二度と自分の《アイドル》を傷つけたりはしない」
感情が一時的に高ぶってしまったからか、雪奈の呟きを聞きそびれてしまった。しかし、訊ねても彼女は言い直してはくれなかった。そうこうしている内に、華奈の姿が見受けられた。
彼女は多くの少女たちと一緒になってダンスレッスンをしていた。朝礼台のように設置された壇から見知らぬ男が彼女たちの動きに目を光らせている。
「五十三番、五十六番、七十二番」
胸に該当番号の付いたバッジを着けた少女たちが、その場に立ち尽くした。青ざめた顔からは、生気が失われている。それからもいくつかの番号が監督者なのであろう男から上げられ、その場に泣き崩れる者、無言で立ち去る者など様々だった。
「退場通告です」
男の隣にいる雪奈が、そう告げる。五人目辺りが呼ばれた所で察しはついたし、実際彼女たちがミスをした事には気づいていた。
「ここにいる奴らはどんな立場だ?」
「黒井プロへの入社を希望するC級たちです。ここで彼女たちは振るいにかけられて、見込みありと評されれば契約を結べます」
「素人たちという訳ではないのだな」
「そうですね、うちはゼロからの育成はしない方針のようですよ?」
合理的ではある。門戸を狭めねば応募者が殺到するだろう。さらに一定水準の実力を安定して確保することが出来るのだから大手プロダクションの取る手段としては優れてもいる。
「黒井プロの《アイドル》はグループがメインか」
「そうですね。全百人ほどの《アイドル》中、上位十六人が《候補生》、そのうちの上位四人の所属する《season》が白井プロのメイン《アイドル》として売り出されています」
「古典的ではあるが、いいシステムだ」
「そうですね、私もそう思います」
二人の会話の最中にも、番号が読み上げられ続けた。そして、十通りの番号が読み上げられたところでBGMとして使われていた曲が終わる。
「お疲れ様でした。残った皆さんはこれからも励んでください」
監督者は、それだけを言ってレッスン場を後にする。華奈は、残った。しかし、それは明らかに何らかの外的要因があるからだろう。
「華奈は、《seaason》入り出来ると思いますか?」
正直難しいと言わざるを得なかった。長らく同様のシステムを取って来たのだろう、多くの者はそれなりに見られるパフォーマンスをしている。未だ契約にまで至っていない彼女らにも華奈のパフォーマンスは劣っていた。
「何とかしてみよう」
男は即座にプロデュースプランを脳内で組み上げた。そして、華奈の下まで足を進め、労いの言葉と雪奈に告げた五十階での生活を進言する。
「私が首を縦に振ると思う?」
「許せとは言わない。俺を恨み続けてくれても構わない。だが、現状が芳しくないことは理解しているか? 名よりも実を取ることを考えろ」
忌々しげに男を睨み付ける華奈に、それ以上掛ける言葉はない。彼女は、特別扱いを受けていることに気付かない程無頓着ではなかった。
「あなたに付いて行けば《シンデレラ》になれるとでも?」
「俺が《プロデュース》する《アイドル》にはその意気込みで接してきたつもりだ」
「そう、そうね。家畜に鞭打つように姉さんを酷使していたものね、あなたは」
「そうだ。それが俺の限界だった。だから次は上手くやって見せる」
男の言葉を耳にした瞬間、華奈の背負う憎しみの色が増すのを感じた。
「次? そうね、あなたには延々次があるものね。気楽な物だわ、ホント、ふざけている」
周囲の者たちが男たちの只ならぬ雰囲気に気付くと、周囲がざわつく。
「《S級プロデューサー》がどれだけ偉いの? お姉を、お姉が使い物にならなくなったと思ったら捨てて、私にはそんな相手に対して頭を下げて教えを乞えと言うの!?」
ヒステリックに叫び、走り去る華奈の背を追い始めるとほとんど同時に、周囲を《アイドル》たちに囲まれてしまう。
「あの、《S級プロデューサー》って本当ですか? 逃げたあの子に変わって私を《プロデュース》してくださいませんか?」
「待って下さい。私は序列二十位です。四十五位のその子よりも私を――」
貪欲な彼女たちは男の衣服を掴んで離さない。振り払うことで万が一にもケガをさせる訳にはいかなかった。華奈の背はみるみる遠ざかり、そして見えなくなった。
「私は《トップアイドル》になりたいんです!」
周囲の《アイドル》たちが思い思いに口を開き、男へ自己アピール染みたことを開始する。まだ知名度の低い《アイドル》としては正しく、《プロデューサー》としては頼もしい限りだと思う。しかし、男は今この瞬間だけは《プロデューサー》ではなかった。
「どけ。《候補生》にすらなれない《アイドル》崩れが邪魔をするな」
冷や水を浴びせかけられたように辺りが静まり返った。あまりの一言に、全員が放心し、固まる。男が一歩踏み出すと、誰もが道を空けた。自分に対して唾棄する思いで足を進めていく。
一瞬だけ雪奈が視界に入ったが、すぐに男は目を逸らす。すれ違いざま、雪奈が言う。男の耳に入らなかった言葉は、わずか三文字だった。
聞こえていたらそれに全面的に同意していたはずの男は、言葉を返すことなくレッスン場を後にした。