十三投目
黒井芸能プロダクション社長室には、男と黒井の姿があった。黒井は物語に出てくるような書斎机に両肘を置くと、組んだ手を口元に寄せ、言う。
「アレのB級昇級が決まったようだな」
「ああ。いくつか実績を上げたからな」
「短期間でよくやったと言っておこう。ギリギリではあったが貴様でも無ければ間に合うことすら出来なかっただろう。ふん、これでようやく白井のところの《アイドル》とぶつけられる。これに参加しろ」
白井が引き出しから取り出した一枚の書類は《プレフェスタ》に関する物だった。
「貴様は海外での活動が主だったな。日本の《フェスタ》に関しては知っているか?」
「他国との違いは《プレフェスタ》の有無、B級の《アイドル》は《プレフェスタ》枠十名に残らなければ出場の機会はない。不足はあるか?」
「結構。黒井の後塵を拝することは許さん。以上だ」
社長室を背に、男はため息を漏らす。姉妹の元へと帰る足取りは重く、頭を幾度か掻き毟る。
「《魔法使い》か」
ウィザードではなく《魔法使い》。わざわざ男の国の言葉で業界関係者は男をそう呼んだ。それが誇らしく、嬉しくもあった。しかしそれが語弊を生む結果にもなるのだ。
五十階の居住区に戻ると、華奈と雪奈が仲良く歓談していた。最近では凛が一緒の時もある。黒井がそれについて言及して来ないことに疑問はあるが、結果が出ているからだと推測はしていた。
「お帰りー」
華奈は男の心知らずか、茶菓子を頬張ったまま柔和な笑みを浮かべていた。《スノウ》が過ごしたような過酷な時間は、この国では流れていない。そして、その事について男は不満に思うことも心配に思うこともなかった。男の《プロデュース計画》に狂いはない。
「何か心配事でも?」
雪奈が目聡く男の心境を察知する。
「ああ、社長から凛には負けるなと発破を掛けられてな」
「うん、負けるつもりはないし頑張るよ!」
華奈は茶菓子を嚥下すると軽く胸を叩く。そんな彼女に真実は告げられなかった。
「そうだ、今日は凛の所行く約束したんだった。行って来るね!」
「今日は休養日だぞ。忘れるな」
頭上で大きく手を振り、華奈は去っていく。
「雪奈は行かないのか?」
「たまには二人で街を練り歩かせてあげないようかと思いまして。私がいると同じ場所に長い時間いることが多くなっちゃいますから」
「気にする二人でもないだろう」
「たまには違う刺激も必要ですよ、女の友情何てそんな物です」
女を引き合いにだされてしまうと男は口を噤むしかなくなってしまう。
「いつも良くして貰っていますし、たまには愚痴の一つでも聞かせて下さいね」
「お前に隠し事は出来ないな。何、問題が起きたら話をさせてもらうさ」
「……凛ちゃんに、勝てると思っていますか?」
懸念事項を正確に読まれた驚きは顔に出た。だから、今更取り繕うことは出来ない。
「一割というところだろう。ダンスは華奈の方が上手いし愛嬌もある。せめて後二月あれば四割まで勝率を上げることも不可能ではないのだが」
「今のレッスン、軽すぎませんか? 《S級》に見て貰っている分内容は濃いので誤魔化されそうになりますけど、絶対的な量が足りていないかと思うんですが」
「計画通りに技術が向上しているからな。無暗に量を増す必要性がない」
「ですが、今のままでは戦えば負けるんですよね?」
「量を増やしたところで計画が前倒しに出来る物でもない。それに――」
続く言葉は声にする前に散らした。
「無理をせずに成功を手に出来る業界何てありませんよ」
「随分と前時代的な発言だな」
「意地悪ですね。程度という物があるのはわかっているでしょうに」
別にケンカをしている訳ではない。見つめ合っている瞳も怒りの色を浮かべたり、湧き上がる感情で歪んだりなどしていない。それだからだろう、気負うことなく男は言う。
「本当に計画通りに華奈の実力が付いているんだ。このままゆっくり育てていけば近いうちに凛と互角にやっていけて、互いに鎬を削りあえるライバルにだってなれるだろう。焦る必要はないんだ。まだ十代中頃だぞ?」
「そうですね、失礼しました」
眉を下げ、雪奈は微笑んだ。そして一度伸びをすると言う。
「少し汗を掻いてしまいました。すみませんがお風呂に入れて頂けますか?」
「わかった。少し待っていろ先に湯を張ってくる」
「躊躇いありませんね……」
顔を曇らせる雪奈が何を言いたいのかはわからなかったが、湯を張り戻ってくると何かを諦めたように額に指を当てため息を吐いていた。
「抱き上げるぞ」
「はい、お願いします。それなりに重いですから気を付けて下さいね。ぎっくり腰にでもなられたら二人して動けないので」
「怒っているのか?」
い~え~。などと雪奈は嘯く。そんな彼女を車椅子から抱き上げ、脱衣所の椅子に座らせると、彼女はベスト、ブラウスとを羞恥心を感じさせることなく脱ぎ、膝の上で畳んでいく。
露わになった白の下着が包む胸は蠱惑的な魅力と言って差支えのない引力を持っている。下着が外された後も支えを失ったと思えない程美しい姿を保っていた。
「《プロデューサー》さんは女性の胸を見慣れてるんですか?」
「衣装の発注もするから多少はな」
「だからですかねー、何か落ち着いているように見えます。少しはドギマギして下さいよ~自信あるんですよこれでも」
「男としては劣情を感じているというのが本音だ。だが心配するな、《ライセンス》に誓って理性が劣勢になることはない」
「へ、へ~。えっちな気持ちにはなるんですね~。あはは、えっと、信じてあげます。よ~し、じゃあ安心して下もぽぽ~いっと」
雪奈は耳まで赤く染めると、気恥ずかしさを感じているようで、またそれを誤魔化すように勢いよくロングスカートを脱ぎ捨て、下半身が露わになった。
美の神に愛されたように均整の取れた上半身と比べて、歪な下半身を見て男は思わず涙しそうになってしまった自分の内頬を噛んだ。
「浴槽に入れる。しっかり捕まっていろ」
男の首に腕を回す雪奈の背が視界の端に見えた。白磁のように美しい肌に痛ましいほど大量の傷跡が残っている。そこで男は耐えられなくなった。流れる涙を彼女から隠そうとしっかりと彼女の身体を抱いてしまう。
「わわわ、《プロデューサー》さん? ちょっと、誓いはどこ行ったんですか?」
「すまない」
絞り出した声は、自分でもわかる程涙声になっていた。
「謝られても困りますよ~、華奈にこんなとこ見られたら大変何で早く浴槽に入れて下さい~」
男はなるべく顔を逸らしたまま雪奈を浴槽へと入れ、自分はそのへりに座り込んだ。しばらく水を弄ぶ音が続いた。そして、その音が止まると男はシャツが濡れるのを感じ、間もなく人の熱に触れられた。
「すみません、みすぼらしい物をお見せして」
「みすぼらしい訳ないだろう。みすぼらしい物か!」
語調に驚いたのだろうか、わずかに雪奈が見を跳ねさせたのを感じた。
「嘘でも、嬉しいです」
「俺は身内に嘘は吐かないと誓っている」
「そうですか」
どれだけそうしていただろうか、男は嗚咽を堪えるのに必死だ。そして、雪奈の熱が離れ、彼女が息を飲んだのに気付く。
「《プロデューサー》さん、その傷は?」
言われて自分の身体に視線を落とすとシャツがお湯で透け、古傷が浮かんでいた。
「三年ほど前に交通事故でな。バカな話だ、運転中に信号無視してトラックと衝突した。全く、異常気象とまで言われた雪も降っている日だというのにな」
「ホントですよ、どれだけ焦っていたんですか~」
「ああ。本当にバカだった。だが、例え何度あの日を迎えたとしても、同じように焦るだろう」
「……そうですか」
「ああ、そうだ」
そしてもしもその時点よりも前に戻れたのなら、自分が下敷きになってもいい。さらに前なら《スノウドロップ》を破壊してもいい。さらに前なら、雪奈と――。
「――お風呂、本格的には夜にまた入りますので身体と髪は洗わなくていいですね~。すみません、お風呂から出して身体拭くのを手伝ってください」
まるで抱っこを求める幼い子供のように両手を伸ばす雪奈を抱き上げる。
「ああ、任せろ」




