第7話 舞い降りし少女Ⅰ
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ガキィン!!
――え……?
瞳を閉じた暗闇の中でアリトはそんな音を聴いた。それは到底自分が想像していた身体を切断する際の音とは完全にかけ離れていて、その余りの不自然さに思わず眼を見開いた。
「…………!?」
そこには依然として闇人形が立っていた。しかし、何故だかまだ腕を振り下ろしてはいなかった。
――どうゆう……ことだ?
あの時、闇人形は確かに腕を振り下ろしていたはずだった。しかし、実際の闇人形の腕は、あの時振り上げた状態まま固まっていて……。
「えっ!?」
その時、アリトは何か不可解なものを見た気がした。
その眼を思いきり見開いて瞳に映し出されたそれは、アリトが願うには余りにも現実味に欠けていて、思考することさえ許されなかった有り得ない状況。
「腕が……無い……?」
アリト目掛けて振り下ろされたはずの闇人形の左腕は、中途半端に断ち切られており、一体何が起こったというのか、そこは、鋭利な何かで切断されたかのような断面をしていた。
そしてその切り口からは、ドロドロとした黒い液体が流れ出ている。
それは何だか絵の具のように見えなくもない、そんな独特の粘っこさを含む液体だった。
闇人形はその事実を前にして、本当の驚愕をそのモノアイに張り付かせているように見えた。
そしてアリトの左脇には、切断された闇人形の左腕が地面に突き刺さっており、これもまた、断面までもが深い闇に満たされていて、そこから黒い液体をドクドクと噴出させていた。
「なんだ……何が起こったん……だ……あっつっ!!」
アリトの身に眩暈と痛みが同時に襲い掛かってきて、視線を素早く自身の右肩に移し、それと同時にそこを手で押さえる。
さっき無理やり意識を覚醒させたからだろう。今まで麻痺していた感覚は、そのツケを支払うように、それぞれがそれぞれの欲求を訴え始めていた。
「くそっ……次から次へと……ほんと何なんだよこの世界……!」
ぐらつく意識と激しい痛みに耐えながらも、次から次へとやってくる驚愕の嵐に、アリトは思わずそう嘆いた。
最早この状況を理解しようとすら思うことは無く、とにかく何とか現状の整理だけをしようと思い、もう一度闇人形に視線を戻す。
その突如、今までの間ずっと驚愕に固まっていたのか、動く気配の無かった闇人形が、その身体を全体を使って素早く右へと旋廻し――。
直後、闇人形が視界の左側方向へと盛大に吹っ飛んだ。
「うわっ!!」
それをアリトが認識した瞬間、凄まじい衝撃と共に、爆風にも似た暴風が吹き荒れた。
それに眼を細めながらも、必死に何が起こったのかを確認しようと眼をこらすと。
「……っな!」
そこで、全く信じられない光景が展開されていた。
アリトから見て左に吹っ飛ばされていった闇人形は、複雑に高速回転を繰り返しながらアスファルトにその身を叩きつけて、橋の反対側へと転がっていく。
「……うそっ」
目の前で起こっていることがとてもではないが信じられなかった。
橋の歩道側に付いているガードレールにその身を激しく叩きつけ、それと共に身体を歪ませ横たわる闇人形の姿。
最初は鏡のように艶やかな光沢を反射させていたその装甲は、今では見る影も無くボロボロで、傷が至る所で目立っていた。
驚愕が更なる驚愕で上書きされていくようだった。そこにもはや現実味などは一切無く、唯々チンプなB級映画の如く、慌しく光景が展開されていくのみだった。
しかし次の瞬間、アリトは恐らく、人の一生分にも相当するほどの驚愕をその身に味わった。
「…………え……」
闇人形が元々立っていた場所に、何かがふわりと舞い降りた。