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ワールド・リバーサル  作者: 亜麻猫 梓
第1章 現実世界への誘い
24/24

第24話 姫塚沙耶というカリスマ

――午後五時・学校図書室内部――


 アリトの通う学校の図書室。そこの奥まったスペースが、いつもVRワールドへとダイブする際のお気に入りの場所だ。

 エリシオンでは、ニューラルパッドが全ての人に対して絶対的な影響力を持つ。誰もが生まれた時から持っていて、いつでも生活をサポートし、共に歩んでいく。

 勿論それは書物に関しても例外ではない。大抵の人間はニューラルパッドのメモリ内に保存した、もしくはグローバルネットのウェブサイトなどで本を読む。

 したがって、このような図書室などには殆ど人が寄り付かない。いつでもニューラルパッドを使うだけで、本が読めるのならばこんな場所にわざわざ足を運ばなくても良いからだ。


 しかし、それでもあえて文書による活字を好む層というのはいるもので、今もこうしてアリトの様にVRゲームにダイブする為だけに利用している者以外にも、チラホラとだが生徒が確認できる。

 けれど、やっぱりアリトは本を読まない。どう考えてもニューラルパッドを使った方が圧倒的に優秀で便利だからだ。

 そうして今、そのあまり人が寄り付かないという理由だけで選び、こうしてVRゲームにダイブしていたアリトが、劣化仮想世界より復帰した。


 視界が正常に戻り、四肢に感覚が蘇り、自由に手足を動かせることを確認すると、すくっと立ち上がって一度大きく伸びをする。

 そして、おもむろに歩き出すと、そのまま図書室を後にした。教室がある校舎とは反対校舎に位置する廊下に出ると、階段を伝って一階に降り、いつもの昇降口から外へ出る。

 目の前の駐車場を突き進み、この学校一番の名所である校門前六十四段階段の横のスロープから自転車を使ってするすると下りると、そこからはやはり、いつも通りの喧騒に満ちた大通りが広がっていた。

 慌しいこの道を通る毎日も、もうそろそろ4ヵ月が経とうとしていた。毎度のことであれば、この後はただ家に帰るだけで、これといった事は何も無い。あとは、また自分の部屋に引きこもるだけだ。

 しかし、今回ばかりは違っていた。


 アリトは若干そわそわしながら、辺りをキョロキョロと見回した。確かこの辺りだと言っていたはず。

 目の前の信号、小さな喫茶店、両サイドの歩道にそこを歩く人の影。

 何処を探してもそれらしき「人物」は全く見当たらなかった。


「あれぇ……ここだったよな……」


 そうしてしばらく探していると、その時突然、後ろから肩を突かれた。

 一瞬その衝撃にビクリと身を震わす。直後ばっと後ろを振り返りながら、一歩ほど後ずさろうとして、そこで自転車が邪魔になる。

 いきなりの事に心臓をバクバクいわせながら凝視したそこにいたのは、黒檀のような黒髪に、淡いピンクのリボンを胸元に着けた夏用の黒ブレザーを纏った姫塚だった。


「ひ、姫塚……先輩!?」


 思わず声を裏返しながら、アリトはその約束の相手と対面した。


「ん、何をそんなに驚いているの?」


 対して姫塚は澄ました態度で平坦に告げる。


「え、いや……その……何と言うか、慣れない……とでも言いましょうかー……あはは……」


「慣れない? 何に?」


 しかし、当の本人はアリトの心情など察することも無く、首を傾げながらこちらの返答を待っていた。

 チラリと視線を背ける。身振り手振りで目を泳がせながら続ける。


「あ、いや……別に人間関係がってわけでは無くてですね! 何と言うか……その、ほら……」


 途中、何を口走ってるんだ俺は! と思いながら、アリトは首を竦めてチラチラと周りに目配せをする。

 姫塚はその行動に疑問符を浮かべながらも、一緒になって周りを見た。

 すると、存外すぐに気がついた。


「あ、なるほどね」


 気がつくと辺りにいた生徒達が、各々移動しつつではあるが、その殆どが揃いも揃ってアリト達に視線を向けていたのだ。

 それもそのはず。相手はあの校内一のカリスマ副会長なのだ。それがどうゆう理屈でこんな冴えない一年生と会話などということになるのだろう。

 誰が見ても異様としか形容できない状況に晒され、アリトがその好奇な目線を耐え忍んでいると。


「分かったわ。なら、さっさと行きましょう」

「え、えぇ……そうしてくれると助かり……ってえぇー! 何してんですか!」


 ようやく分かってくれたと思い、アリトが安心していると、突然姫塚は信じられない行動に出た。


「何って、見れば分かるでしょう?」

「分かりますよ! えぇ分かりますよ! 男だったら誰でも憧れるでしょう、でもこの状況でそれは無いです!!」


 姫塚は一切の躊躇いも見せずに、アリトの通学時の相棒である自転車――実はチャーリーという名前がある――の荷台に横向きに座ったのだ。

 その圧倒的なインパクトの前に、遂に周りの生徒達の動きが止まった。

――ひいいいいいい!!

 至るところから「まじかよ……」「うそだろ……!」「あいつ誰だ?」などの囁き声が聞こえてきた。


「い、いいい加減にしてくださいよ先輩……!」


 顔を寄せ、囁くように抗議する。

 しかし、姫塚はアリトのそんな反応に味を占めたのか、更に余計なことを口走り始めた。


「あら、私には自転車が無いのよ? だったらこうするしか無いじゃない? それとも何、あなたはここから「あの場所」まで私を走らせる気なのかしら? だとしたら……」


 直後、ガチャンと音を立てながらアリトが自転車のサドルに跨った。

 そして、今までの経験上これほどの急加速は過去に類を見ないであろうスピードでジェットの如く飛び出した。姫塚も瞬時にその加速に適応して、しっかりと自転車の荷台にしがみ付く。

 これ以上姫塚に何かを喋らせるわけにはいかない。アリトは本能的な危機感で以って行動していた。

 ふと後ろを振り向く。そこには、ほんの少しニヤついた表情で荷台に座る姫塚がいる。

――あぁ……なんで俺、こんなわけの分からない人と関わってるんだろう……。

 アリトはいつかに感じた姫塚に対する性格のギャップに、完全にドン引きしながら自転車を漕ぐ足にいっそう力を込めた。




 「あの場所」とは、端的に言えば喫茶店のことを指す。

 何処にでも存在するこじんまりとした構えの建物は、アリトの通う学校から徒歩で十五分、自転車であれば五分程度かかるだろう、いつもの大通り沿いに隣接していた。

 直前まで普段動かさない脚の筋肉をフルで酷使し続けたアリトは、その喫茶店の前まで辿り着くと、異様な倦怠感を身に覚えながら自転車を止めた。

 それと同時に姫塚も、横向きに座る荷台から軽やかな動作で地面に下りた。


「ご苦労様、アリト君」


 振り返り、あくまで微笑みながら、顔を引き攣らせてやつれた表情のアリトを覗き込んだ。聞くからに嫌味たっぷりの言動だ。


「あー……はい。どういたしまして……」


 けれど、こちらも何かを言い返そうという気は、この疲労感の前では起こるものも起こらず、唯々サドルに腰を下ろして受け入れるのみだった。

 しかし。

――ん?

 そこでアリトは、例の喫茶店を視界に捉えた。

 辺り一面ビルばかりが立ち並ぶ市街の真ん中で、一つだけ不自然にも西洋が混じった建物がそこにあった。

 レンガ作りを基本にした構造は、如何にも19世紀のヨーロッパを彷彿とさせる外観で、所々わざとコケを張り巡らしているところが尚更古めかしさを助長していた。

 その芸術的にも壮麗な雰囲気に、アリトはつい今しがたの疲労さえも忘れて感嘆の声を漏らした。


「へぇー……凄いですね。俺はいつも何気なく通り過ぎるので気が付きませんでしたけど」


 すると姫塚も後ろを振り向き、腕を背後で組みながらアリトの意見に賛同した。


「そうでしょう? ここ、私のお気に入りなの。何か嫌なことがあって、思いつめたり。考え事をする時とかにはよく来るの」


 目をほんの少しだけ細くして、姫塚はアリトがいつかに見た遠い表情をする。

 それが一体何なのかが気になった。だからだろうか。


「……先輩も思いつめたりとかするんですね」


 気づくとそんな言葉を掛けていた。

 姫塚はアリトに向き直り、一瞬だけ呆気に取られたような口をしてから、直後クスッと小さく笑った。


「何よそれ、あなたは私を何だと思ってるの?」

「えっ! あ、いやこれは何と言うか……ははは……」


 気恥ずかしさのようなものを瞬時に感じたアリトは、目線を左右に動かしながら、とっさに右手で頬を搔く。

 すると姫塚は、今度は両手を前で組み直し、ゆっくりと口を開き続け始めた。

 その表情は微笑とも苦笑とも取れない曖昧さを秘めていた。


「一部の人は、私のことをカリスマだとか、お嬢様だとか言うけれど、そんなことは絶対にありえないわ。謙遜でもなく卑下でもなく、ね……」


 一言、また一言と言葉を紡ぐうちに、その声はどんどんと自嘲的なものへと変わっていく。

 姫塚は更に続けて。


「私の親は、別にお金持ちでもなければ貧乏でもないし、私自身これといった特徴なんてものは何も無い。……普通に生きて、そう……生きたいだけ。なのに、みんな私の事をそう言ってはやし立てるから、どうもね……」


 そこまでを言い終えると、姫塚は苦笑の混じる微笑みで左に小さく小首を傾げる。

 けれどアリトは、すぐには返事を返さず、目線を少し逸らしながら口を噤んでしばしの黙考をする。

 そして、おもむろに口を開いた。


「……何となくですけど、分かる気がします。みんな、勝手なイメージで人を見ますから。先輩の場合は、そのギャップが強すぎるんですよね、きっと……。あっ! でも俺なんて今の自分がそもそも人のイメージ通りなのか、自分自身のイメージなのかさえよく分かってませんから!」


 途中で慌てつつもそう付け足して、同時に目線もしっかり姫塚に向ける。


「だから、先輩がそうやって自分ってものをちゃんと持ってるのは、凄いと思います」


 何とか最後まで自分の考えを言語化し、アリトは姫塚に薄く微笑み返した。

 どこか充足にも似た感覚に満たされていく。

 対して姫塚は、さっきまでの微笑みを表情から消し、一瞬だが僅かに驚いたような顔になった後、直後再び薄い笑みを表情に戻す。

 目を閉じて、ゆっくりと確実に言葉を紡ぎ出す。


「あなたは優しいのね。ありがとう、こんなに自分の事を喋ったのは久々だったから、そう言ってもらえて嬉しいわ」


 すっと目を開いて姫塚もアリトに微笑み返す。

 だからアリトも。


「はい」


 簡潔で単純な一言で全てを返した。

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