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ワールド・リバーサル  作者: 亜麻猫 梓
第1章 現実世界への誘い
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第2話 劣化仮想世界

 この仮想世界エリシオンは、現実世界を可能な限り精巧に再現した世界であり、アリトの自宅は、現実世界で言う、東京の足立区に存在する。


 アリトが帰宅したのは、すでに日も落ち、代わりにぼんやりと月が浮かぶ時刻だった。閑静な住宅街にある自宅の玄関の鍵を開け、靴を脱いでから廊下を渡り、正面のリビングに足を踏み入れた。


「ただいま……」


 しかしアリトの声に応える声は無く、代わりに耳鳴りだけがアリトの耳に届いた。


 アリトには兄弟はおろか、母親もおらず、収入源である父親は、技術者としてこの世界の中枢で仕事をしているため、家に帰る日は週に一度あれば良い方というのが当たり前だ。


 そのためアリトは、幼少の頃から一人でいることが多く、次第に捻くれていき、中学に入るまでは、父親の影響か、機械いじりやVRゲームなどばかりしていた。

 

 ミユキと出会ってからは、VRゲームなどを通じて友達も少しだが出来て、今までの人生で一番楽しい時を過ごしていた記憶がある。

 もし、あの時ミユキと出会っていなかったら、きっとどえらい捻くれ坊主になっていたであろう自信がアリトにはあった。


 耳鳴りを感覚に残しながら、冷蔵庫まで行き、扉を開けてさっき買った炭酸飲料を中に仕舞い、代わりに呑み残しのジュースを一本手に取って、傍にあった適当なコップを洗ってから、そこにコポコポ音を立てて注ぎ、それを一息に呷った。


 ふと時計を見ると、時刻は既に20時をまわっており、思い出したかのようにアリトの腹が空腹を訴え始める。今度は冷蔵庫の中にあった卵を取り、それで適当に目玉焼きを作るとご飯と一緒に食べた。

 

 アリトは基本一人でいることの方が多いため、食事はいつも自分で作るが、だからといって、料理の腕を上げるつもりも無く、暇な時間のほぼすべてを、VRゲームやシステム系の独学につぎ込んできた。


 変わり映えしないいつもの習慣を終えたアリトは、今日中にやるべきことが無いのを確認してから、とりあえずさっぱりしようと思い風呂場に向かった。


 この世界は仮想世界であるから本来身体が汚れる意味も必要も無いのだが、よりリアリティを追求するためには必要というのが、恐らくこの世界の第一世代技術者の考えなのだろう。しかしそれに対してあまり疑問を持つ気はない。


 風呂場に着いたアリトは、洗面台の上の鏡を見やった。水垢で曇りかけた鏡に映る自分は、少々冴えない顔付きをしている。

――ミユキのヤツ……よくこんなのに話しかけたよな。

 初めてミユキに話しかけられた時の自分の顔は、今となっては、よく覚えていないが、当時の自分は少し目つきが悪かったような気がする。

 そんな昔のことを何となく思い出しながら、アリトは浴室に足を踏み入れた。


   2


 20時50分。

 特に長湯をするつもりも無かったので、適当に体を洗って、風呂を済ませ、寝間着に着替えたのち、階段を上がって自室のドアを開けた。


 そこでアリトの視界デスクトップに存在するダイレクトメッセージのアイコンが点滅し、アリトはそれを慣れた手つきでタップして、視界いっぱいにメッセージを表示した。


 そしてそこには、先ほどミユキが言っていた連絡が書いてあった。

 どうやらミユキは、既にダイブしているらしい。


 表記されている待ち合わせの時間についても特に不満は無かったので、アリトはホロキーボードを叩き、了解とだけ一言返信し、そのままベッドに体を横たえて、一呼吸入れてから、先ほどのコンビニでの約束を果たすため、ニューラルパッドにとあるコマンドを入力した。


 今度は、この世界のシステムが認める正規のコマンドである。そしてそれは、自身の意識データを"エリシオン"内に存在する簡易的な仮想空間へコピーし、そこにいる間、表の世界の意識データを凍結するというものだ。

 簡単に言うと、仮想世界の中の劣化版仮想世界に行くというわけだ。


 コマンドを入力した直後、ニューラルパッドを通じてアリトの視界に、システム警告窓が出現した。

 そこには、最早見慣れた注意事項と5秒間のカウントダウンが表示されており、一秒ごとにその数を減らしている。


 カウントが0になったのと、アリトの視界がブラックアウトしたのは、ほぼ同時だった。夕方にも味わった感覚が、アリトの意識を一気に現実から引き離す。


 一度五感の一切を切断され、その後、奇妙な浮遊感を経てから、また体に五感が戻っていく。しかし今度は、コンビニの時のような元の体の感触ではない。


 リアル準拠ではあるが、現実のアリトよりも少し筋肉質な体に、戦場などでは冗談にしても似合わない詰襟の礼装軍服、さらに愛用のグロック19を腰にストックさせ佇む姿は、いわゆる軍人の姿だ。


 そう、アリトが《ダイブ》した空間は、現在、大会で大いに賑わう、VRFPSのワールド内である。


 ワールド内は、いたってシンプルな20世紀のヨーロッパをモチーフとした概観で、この世界の中心地である大都市も、これまたヨーロッパを、どちらかというとドイツのベルリンを見立てたような造りをしている。


 そして、町の中心に大きく聳え立つ領事館を真似たような建造物は、この世界にログインしてくる数多のプレイヤーを、吐き出しては吸い込むを続けていた。


 ワールドダイブ時の出現位置である、領事館の中をアリトはぐるりと見回し、ミユキが既にいるかどうかを確かめる。


――ここにはいないか……。じゃああっちかな。


 ミユキとは特に場所を指定していないが、大抵は初期リスポン地点周辺か、クイックマッチ受付所に、というのが二人の習慣となっており、さらにアリト達クランメンバーはメンバーがログインすると、視界にシステムメッセージが表示されるようにも設定しているため、元よりお互いがすれ違う心配は無い。


 人混みの中を突っ切り、受付所にたどり着くと、そこには、アリトと同じく迷彩服を身に着け、今まさにクイックマッチを受けようとしているミユキのアバターを見つけて。


――って、おい! あいつ何やってんだよ!?


「っお、おーいムル! ちょっと待て!」


 ミユキとはこの時間の待ち合わせの筈で、今クイックに入ろうとしているのはどう考えてもおかしい。


 なんでミユキがクイックマッチをエントリーしようとしているかは知らないが、ここでサーバー入りされては、ミユキが帰ってくるまで、大いに困るので、アリトは走りながら、周りの迷惑にならない程度の声音で慌ててミユキを引き止める。


 アリトの必死の呼び止めが聞こえたのか、ミユキにだけ見えているであろう仮想タスクを操作する手を止め、慌てて手を引っ込めたと思ったら、周りをキョロキョロしだす始末。


――本当に何やってんだあいつ……。


 色々と意味が分からず怪訝な表情を浮かべるアリトをようやく見つけたミユキは、額に仮想の冷や汗を滲ませていた。


「や、やぁネギ戦士殿。お早いお着きで……」


 微妙に顔を引き攣らせながらそう言ったミユキもといムルカは、アリトと同じリアル準拠で軍服ではあるが、少々露出が激しい格好だった。


 腹回りはオープンとなっており、ズボンの方も、もはやズボンというよりはホットパンツに近い短いものだった。

 

 因みにネギ戦士というのは、勿論アリトのアバターネームで。むしろムルナなんていうまともなネームの方が珍しいぐらい、普通のプレイヤーはふざけた名前を付けるものなのだ。


「そんなに早くはないと思うぞ。というかお前、今クイック入ろうとしてただろ? 何やってんだよ、あと少し俺が来るのが遅かったら……」


「ごめん!」


 アリトの疑問と説教は、最後まで言い切ることはなく、ミユキが両手の平をいきよいよく打ち合わせた音で遮られてしまった。


「さっきここでリッちゃんを待ってたら、馬鹿二人にナンパされちゃってさ~。適当にあしらったら、あいつらいきなり態度変えてつっけんどんにどっか行っちゃってやんの。だから、あいつらが入ってったサーバーに乱入して、眉間に一発打ち込んだろかぁ! って……」


 突っ込みたいところがいくつかあるが、今度はアリトもお返しとばかりに、ミユキの言い訳を強制的に断ち切り、ミユキが恐らく次に言うであろうセリフを代わりに、言い放った。


「それで、クイックに入ろうとしたところを俺がギリギリ呼び止めたと?」


「うっ……。さ、さいです……」


 少し呆れたが、アリト自身も過去に何度か、マナー知らずを後ろから連続ナイフキルをかましたことがあるので、ミユキの気持ちも理解できた。


「はぁ……まぁいいさ、とりあえず会えたんだし。本題に入ろう、ここにいる以上それ以外に目的も無いしな」


「うん、そうしようそうしよう」


 話を切り替えるべく、夕刻での話題を切り出し、とりあえず人に話を聞かれないために領事館を出る。


 外は現実の時間帯に相応しい黒の絵の具のような夜ではなく、もう少しで夕方になろうかというぐらいの、まだ青空の広がる昼間だった。この仮想世界では現実とは少し時間の進み方が異なるのだ。


 ヨーロッパ風な石畳の道を二人で歩きながら、アリトはコンビニでの話をミユキに持ちかける。


「それで? 侵攻戦がどうしたんだよ。俺としては特に問題も無いような気がするんだが」


「いや、問題ありだね。いつも遠くから見てるあたしだからこそ分かるの」


「ほう」


 ミユキの操るアバターは、階級が上がる度に、射撃能力と反応速度を強化してきた、根っからの狙撃手タイプのアバターである。超近接攻撃型の俺には感じない、戦場の微妙な違和感をミユキは恐らく感じたのだろう。


「他のクランが徐々にあたしたちの戦法を見抜いてきてるのはリッちゃんも気づいてるでしょ? でも、それとは別に、これはまだ何ともいえないんだけど、他のクランがあたし達をマークしかけてるかもしれない」


 うーむ、これは……。

 親指を顎に当てながら、アリトはいずれ起こるであろう危惧していた問題を確信した。


 戦法を見抜いてきているというのはアリトも承知している、既にこの大会が始まってそろそろ2ヶ月が経とうとしている今、むしろそれが見抜かれない方がおかしいのだ。しかし。


「戦法については分かる。俺もそろそろだとは思ってたよ。でも、マークってのはどうなんだ?確かに俺たちはココの所連戦連勝だが、俺たち以外にも強豪なクランなんて沢山いるだろ。むしろこっちは頭数が少ない中やってるん……だ……?」


 その時アリトは、ようやくミユキの言わんとしていることを理解した。それを察したのかミユキは。


「うん、頭数が少ないからこそ、ちょっとしたことでも潰すのは容易だと思うの」


「う~む……」


 アリトが納得して頷いていると、ミユキがそこに追い討ちの一言を発した。


「統率力重視で人数揃えなかったのが裏目に出たね~」


 ギクリという擬音が聞こえた気がした。そこにさらに、追い討ちを掛けるべくミユキが言葉連ねる。


「第一、大人数いたとしてもちゃんと統率取れてる人は取れてるよー? ネギ戦士殿?」


「す、すいませんね……俺が至らないクランマスターで」


 わざとらしく疑問符を浮かべながら言ってくるミユキから目を逸らし、アリトは喚くように開き直った。町の中を歩きながらも仮想の冷や汗は常に流れ続けていた。


「と、ところでさ、マークって例えばなんだろうな? 適当にクランどうしで同盟でも組んで、エースを移籍とかそんなところか?」


 とにかく話を変えたくて、さっきから疑問でもあった、マークの具体例を提言してみた。


「うーん……まぁ、そんなところじゃないかな? 手っ取り早い、クランの戦力強化なんて限られてるし」


 ミユキはそれ以上追及するつもりは無いようで、素直に俺の提言に肯定を示した。


「そう……だよな……はは」 


――はぁ……なんでこういつもミユキのペースに嵌ってしまうんだろうか俺は……。

 毎度のことながら溜息をつきつつ、アリトは自身を罵ったが。


「なんで溜息ついてるの?」


――お前のせいだよバカやろう!

 内心でそう突っ込みを入れつつ、また一段と大きな溜息をついたアリトだったが、当のミユキは全然気にしてない様子でこっちを見ていた。


「お前、俺を馬鹿にしてるだろう」


「えっ何が!?」


 長年ミユキを見てきた俺には分かる、こいつは俺を馬鹿にしている。

 そう思いながら、アリトが苦虫な顔で前を向くと。


「なんかよく分からないけど……まぁ良いや。それじゃあこの話の続きは3日後の会議ってことでどう?」


 いきなりミユキはそう宣言し、くるっと1回、ターンを決めてもう一度アリトに向き直った。


「え、もうお終い!? 話すことそれだけなのか。じゃあ何のために俺……」


――こんなことならさっきのコンビニで逃げずに素直に話聞いてりゃ良かった……。

 アリトは元々、このゲーム以外のもっとほのぼのとしたゲームにダイブするつもりでいたので、話があっさり終わってしまったことに少なからずのもやもや感を感じた。


 しかしミユキはそんなアリトの気持ちとは裏腹に、まるでこれからが本題だと言わんばかりに口を開いた。


「まぁ良いじゃん? 折角なんだしこれから二人で話そうよ?最近はクラメンとばっか遊んでる所為でじっくり話もしてないし。リッちゃんのここ最近の話とか聞きたいな~」


 ミユキは誰もが微笑んでしまうぐらいとても無邪気な声色でそう言った。


「お、おう……そうなのか?」


 しかしそれをアリトはぎこちなく返した。

 普通の一般的な高校生であれば、女の子に二人だけで話したいと言われたら、それだけでドギマギものである。

 アリトにとってもそれは例外では無く、多少はドキリとしてしまった。


 しかしアリトにとってミユキは昔馴染みの友達という認識でしかなく、当然それ以上の反応をすることも無かった。


「うん! だからさ、リっちゃん」


 そう言ってミユキは足を大きく前へと伸ばし、そのままアリトの目の前へと移動して立ちはだかった。


「な、なんだよ……?」


 あぁ……この感覚は。

 突然目の前に立ちはだかったミユキを前に、長年の経験からアリトは、これから面倒くさいことが起きるんだろうなという1つの予感を感じて密かにそれを受け入れた。

 こういう時のミユキは大抵アリトをこの後引き摺り回すものなのだ。


「これから一緒に狩に行こうよ!」


 上機嫌に、そして朗らかにそう言った。


――それって適当な喫茶店とかじゃ駄目なの?


 アリトの痛切な疑問に当然気がつくことも無く、ミユキはそれを皮切りに町の外へと出るための軍用バイクを調達しに町の出入り口へと駆けて行った。


 その姿を見ながらアリトはまたしても嘆息し、しかし今度はほんの少しの微苦笑を浮かべて、先を行くミユキの後を追った。

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