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ワールド・リバーサル  作者: 亜麻猫 梓
第1章 現実世界への誘い
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第1話 最後の日常

 茜色の空がどこまでも続いていて、その上を一機のジェット機が横切った。

 無機質な太陽が恐らく(・・・)西だと思われる方向に沈み行く中、河川敷の芝生の上で空を仰ぎながら寝転がっていると、アリトはその時、自分でもよく分からない奇妙なもどかしさを感じた。

 だから腰を起こし、今まさに通り過ぎようとしている機体に向かって何の気に無しに、うつろな瞳で妄言を吐いた。


「落ちてしまえ……」


 勿論そんなことを言ったところで何も変わるはずは無く、ジェット機はそのまま墜落するでもなく、爆発するでもなく、変わらずに飛行し続けている。

 夕方のそよ風に吹かれながらそんな姿を見えなくなるまで凝視していたら、なんだかもっと虚しくなったような気がして、アリトは俯いて芝生を見た。

 その芝生は、色鮮やかな花など殆ど無い、あるとすれば足元に一本だけ生えた、まるで皮肉な運命を自身で傍観するかのような、そんな小さく、けれども不思議なくらい逞しく見えるたんぽぽがある、そんな雑草だらけの芝生だった。


「首……疲れたな」


 とりとめも無くそう呟く。それから一度大きく深呼吸して、そのまま溜息とも似つかぬ息を大きく吐いてから、アリトは立ち上がった。

 その時、今までの人生の中で頭の片隅に常に抱えていた疑問が浮かび上がってきた。


――何が本物なんだろうか。


 この世界はリアルに現実でも、今見ている全ての風景、人間、肌に感じる風の涼しいさ心地よさや音に至るまで、全てが仮想のものだ。それは当然アリトだけではない全ての人間が理解し、享受し、多くの人間が受け入れている常識であり《世界》だった。


 人類があの《金属生命体》に存在を脅かされて以来、人々は地下に潜り、超大規模仮想空間を構築したのち、残っていたほぼ全ての生命をその器に移し替えた。


 そして人類は、終に現実を絶望した。


 諦め、希望は無く、けれども生きるための代わりを、もうひとつの《世界》を人類は望んだ。

 それからというもの人々は、現実と全く同じ形をした、とても広く、同時にとても狭い世界で、システムの導きだけを頼りに秩序を保っていた。


 その世界こそが――エリシオン――




   1


「うっ……頭が……」


 地面から立ち上がった瞬間、頭から血が抜ける感覚がして、そのまま両手で頭を抱えながらもう一度芝生にしゃがみこむ。なんだか星まで見えたような気がした。


「ん……あれ? なに考えてたんだっけ……俺」


 突然の眩暈でそれまで一体何を考えていたのか、さっぱり思い出せず、とりあえず気分が悪いのでそのまま芝生の上で奇妙な体勢で座っていた。


 アリトの体格はひょろい。一般的な男子の体つきと比べれば、いかに普段身体を動かしていないかは明白だった。

 髪は若干長めのクセの入った黒髪で、服装は白いラフなTシャツに黒のスラックスを履いている。


 そうして不快に思いながらうずくまっていると、存外すぐに元の調子に戻ったので、もう一度、今度は一足に立ち上がり、正面に見える太陽をじっと見つめた。

 西の空に浮かぶ、中心核だけで千五百万℃もの温度があるとされる、太陽を見つめながら、アリトはふと思った。

――……コンビニにでも寄るか。

 そう思ったのは、たった今眩暈のせいで、体の主に首より上が疲労を訴えていたからであり、さっきまで半分は昼寝状態だった際の喉が潤いを欲していたからだ。


――ここからだとあそこが近いか。

 そう判断したアリトは、自身の手首に装着されている《ニューラルパッド》を神経ネットにアクセスした。


 《ニューラルパッド》は、この世界に設置されているグローバルネットワークをパッドを介することによって、視覚情報を脳で直接映像化する腕輪型の装身具だ。

 どんな人間でも、大抵は物心つく前から装着しているもので、アリト自身、いつから所持していたかはよく分からず、かといって親にそのことをわざわざ聞こうとも思わない。

 それだけこの世界では、これを付けていることが至極当たり前なのである。


 最初にニューラルパッド自体のロゴが表示されて、その後を追うように順々と各種アプリケーションなどが視界に表示されていく。

 全てのモーションが終了した後、アリトは手早くパッド内のメモリを開き、半透明の仮想デスクトップを表示させて、そこをスクロール操作する。

 次に、とあるプログラムを起動して、準備を整えた後、アリトは周りの人間に聞こえないぐらいの音量でコマンドを詠唱。

 そして、最後にいつもの常套句を小さく言い放った。


「ライド」


 瞬間、アリトの体から五感の全てが失われ、代わりに不快な浮遊感だけが感覚として現れ、同時に辺りの景色全てが一瞬でブラックアウトした。

 まるで自身という存在が端から無かったかのような、そんな何度味わっても色あせない、奇妙な感覚を感じながら、無限に続くかのような浮遊感に包まれていた。


 けれど暗闇の空間はほんの少しの間しか続くことはなく、その次の一瞬ではまた元に戻り始めていた。

 最初に視界が手前から引き戻されるように構築され、次いで身体の五感が足の指先から頭にかけて順に戻っていく。辺りの喧騒も同時に戻ってきて、最初はモザイクのようだった音声も次第に鮮明さを取り戻し、アリトの聴覚を周りの喧騒と同化させる。最後に例の浮遊感が完全に消失し、落ち着いたところで、辺りを見回した。


 しかし、そこはアリトがさっきまでいた河川敷などではなく、ビル群に囲まれた細い路地裏だった。


「座標転移完了っと」


 今の人智を超えた現象は決してこの世界の住人に平等に与えられた正規の方法ではない。

 これは、システム系に長けているアリトが、この世界がプログラムで構築されていることを良いように悪用したチート技なのである。

 具体的には、ニューラルパッドを介して自分の位置座標をこの路地裏に上書きするという作業をしたのだが、勿論そんなことをバニラ状態のニューラルパッドで行えるはずは無く、アリトが一年前の中学三年生の時に悪戦苦闘しながら作成した自作プログラムを使っている。


 しかし、この移動方法は一般人には魔法ないし超能力か何かにしか見えないため、怪しまれることを避けるために無闇やたらと使うことは少ない。のだが……。

――あっちからだとここまではちょっと遠いんだよな。じゃないと俺の腹が……!。


 喉が渇いたのもそうなのだが、正直腹部の調子が大変なことになっていた。

 うん、大丈夫、正当な理由だ。

 最近はどうも箍が外れ気味で、かなり面倒くさい状況などでは惜しみなく使いがちではある。しかし幸い、人に目撃されることも無かったので、アリトは自身を肯定し、逸る便意に応えて、早急にコンビニの自動ドアを潜った。


 瞬間、クーラーの効いた店内の涼しい風が、肌に触れる。

 季節は既に夏を迎えており、セミの鳴き声がちらほらと目立ち始めたこの頃は、いよいよ夏だなと思わせる暑さを振り撒いていた。

 だから最初の一瞬はクーラーの冷気が気持ちよかったのだが、時間帯は既に夕方をまわっていた為、逆に少し寒いなとも感じた。しかし、先行する便意の方が優先順位は高く、肌寒さを無視し、一心不乱に店内の雑誌コーナーを突っ切って、そのままトイレに直行。


 その後、アリトは最初の目的であった飲み物を、軽く炭酸飲料などを適当に見繕って、レジを済ませ、もう一度自動ドアを潜り外に出た。

 空は本格的にオレンジ色に染まっており、しばらくしないうちに夜になってしまうだろう。

 東の空では濃紺の暗闇が橙色の空を侵食し始め、紫色の境界線を作り出していた。


「さてと、そろそろ帰って少し《潜る》か」


 そう口にした直後、背後から聴きやすい透き通った声が響いて、自宅に向かって歩き出そうとしていたアリトの足を止めた。


「あれ、もしかして……リっちゃん!?」


 アリトはその声に動きを止めて、自分のことをリッちゃんと呼ぶ声の主に向き直る。

 そこには、コンビニの入り口手前で驚きの表情を見せる同年代の少女が立っていた。


 ピンク色の髪を少しボリュームのあるサイドテールに結わえた髪は快活な彼女によく似合い、その下の顔は元気という文字がべったり張られたかのような、少し幼くも見える端整な造作。一言で表現すれば、ちょっとした美少女だった。そしてグレーのブレザーに赤チェックのプリーツスカートを履いていて、そこから覗く脚は、黒のニーソックスに包まれていた。つまりは制服を着ている。今日は日曜日なので、制服を着て出歩いているとなれば、考えられるのは部活か何かか。


「うわ~やっぱりリッちゃんだ! 久しぶり、リアルじゃ何ヶ月ぶりだっけ!?」


 そして少女は、その存在を認識した瞬間には感嘆の声を上げていた。

 対してアリトは顔を微妙に引き攣らせながら、溜息と共に。


「ミユキ、いい加減その呼び方止めてくれないか……。はぁ、久しぶりだな、部活帰りか?」


 ミユキこと成嶋未幸(ナルシマミユキ)はアリトの中学時代からの同期で、よくVRゲームを一緒にやっていたゲーマー仲間である。しかし、進学先の高校の違いから、今ではオンラインゲームなどがコミュニケーションの中心となっている。


「うん! 丁度さっき終わったところなんだ~。リッちゃんは今日何してたの?」


 アリトのテンションとは裏腹に、早口でそう捲くし立てるミユキの声は多少耳に障るものがあった。


「俺は……たまたまあっちの河川敷で昼寝をしていただけだが」


 今日していたことと言えば本当にそれぐらいしか無かったので、アリトはそう言って河川敷の方向を指差すが、ミユキは「えぇ!? 昼寝!? 高校入っても飽きないねぇ」などと呆れたように肩を竦めてケタケタ笑っている。


 そんなミユキに少々むっとしながらも、こちらも何かを言い返さねばと頭を捻ってみたが、そんな言葉がほいほい出てくるほどアリトの頭は対人仕様には出来ていなかった。


「まっ、高校入ってもリッちゃんはリッちゃんってことですな」

「ばっ、バカ野郎、昼寝はいつの時代も現代人の至高のひと時であってだな……」


 アリトはそんな言い訳じみた反論にほんの少しの本音を加えて話そうとするが、当のミユキは聞く耳持たずといった様子で「はいはい~」と手をひらひらさせながら、アリトの主張を何処へやらへと飛ばしてしまった。独裁的な完全論破だ。

――あぁ……もういいや。


「あ、ところでリっちゃんさ、昨日の《侵攻戦》のことなんだけど、ちょっと良いかな?――」


 ミユキへの反論を完全に諦め意気消沈していたところで切り替えられた話題は、昨日アリトが遊んでいたオンラインゲームの話だった。


 アリトは色々とゲームが好きだが、中でも銃器物のFPSが得意であり、好みでもあった。ミユキもFPSに限らずシューティング系は大好きで、アリトのやっているこのオンラインゲームでも姫様プレイヤーをやっている。

 《侵攻戦》というのは、アリトのやっているゲームで、クランメンバー16人以上24人以下同士で行う期間内バトルロイヤル大会の対戦方の一つである。(その逆の防衛線もある)。ゲーム内で登録されている16人以上のクランすべてが参加できる大会で、期間内に対戦で勝利し続け、一番ポイントが多かった上位8組が決勝トーナメントに進み、ゲーム内最強クランを決めるという企画だ。


 アリトはクランマスターであり、クラン自体の総メンバー数は20人あまりと小規模クランだが、アリトを含む数人のエース級プレイヤーによって、ただいま絶賛連勝中というわけだ。


 そのエースの一人がこのミユキで、ゲーム内ではあまりの正確無比な超長距離射撃技術と優れた反応速度から《クリアーアイズ》と呼ばれ敬遠されている。

 因みに、人数が少ないのは、アリトがあまりメンバーが多いと統率を取りにくいからという個人的な理由である。


「っておい! 折角たまたま会ったのに、リアルでまで《あっち》の話かよ……」


 あっちで済ませられることは極力現実には持ち込みたくない。そんな仮想と現実をきっちり区別しているアリトと違って、ミユキはそうでもないらしい。


「いいじゃん別に、あっちとこっちなんてそんなに大差ないでしょ?。相変わらずリっちゃんは昔から深く考え過ぎなんだよ、もっと気楽にいこうよ?」

「んー……」


 確かにその通りだ。この世界は現実といっても、眼に見えるもの、肌に感じること全てがプログラムによって構築された仮想空間だ。その中で自分たちは、《正規》の方法でプログラム内の別世界に移動しているだけに過ぎない。


 そういう意味ではミユキが言う、あっちもこっちもという話は間違ってないし、むしろ一般的には正解だ。

 それでも、アリトには違和感を隠し切れなかった。


自分だけがどうにも一人ぼっちになった気がして、アリトはそんな感覚から逃げるように、小さく嘆息してから、微苦笑を浮かべた。


「……あー、悪いなミユキ。久しぶりに会えたんだし、話したいことが山々なのは俺もだが、そろそろ家に帰らないと日が暮れちまう。よってこの続きは、"あっち"ってことでどうだ?」


 このままの話の流れに乗ってたらまずい。アリトは強引にしかし穏便にはぐらかした。


「え? あ、うん……分かったよ。そうだね、もう空も大分暗くなってきたしね。それじゃあまた後で連絡するから」

「おう、また後で」


 ミユキは、顔に少し残念そうな表情を一瞬だけ見せたが、すぐにまた元の笑顔に戻って、翻り、こっちに手を振ってから、元々コンビニが目的だったのかそのまま自動ドアを潜っていった。

 アリトも家路に着くため、もう一度振り返り、道を歩きだす。


 少し歩いてから、アリトをどうにも変な気分が襲った。それはちょっとした寂しさからだろう。それは次第に虚しさへと変わり、本日二度めの感覚がアリトを襲った。

――はぁ……、まぁ帰らなきゃいけないのは事実だし、仕方ない仕方ない。

 頭をふるふる左右に振り、自身にそう言い聞かせて気を取り直そうとしながら、アリトは、太陽が沈み行くのに合わせて、妙にたそがれた雰囲気で家路を急いだのだった。

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