27話 へこみぼーん
ごく軽い火傷と打撲を抱え、俺は家に向かっていた。冷えた空気と生暖かい風で頬を撫ぜられる。
鎧は少し歪んだが動くのに支障はなく、剣にはそもそも傷一つなかった。付与術のおかげだろう、やっておいて助かった。
今の俺の状態は結構ひどい、と思う。武具に大した破損がなかったのはありがたいが、肉体面で感想を述べるなら、武具が捨てられる状態ならよかったのに、と思うほど。ただでさえ重たくなった体を鎧に引きずられるように運んでいる。おまけに流血や骨折など、厄介な怪我はしていないので手当はとくにしていない。逆にそれが仇となったか。
痛みに時折呻きつつ、できる限り速く歩を進める。たまに魔物がでてきたが、そいつらは全員、影刃で切り伏せた。硬い骨もグズグズの腐肉も全て振り払い、俺はただ安息の地へ向かう。
部屋を前に剣を納め、半ば転がり込むように部屋へ。無論戸を閉めるのも忘れない。
打った肩を、老人のようにゆっくりと動かし鎧の留め金を外す。床に転がる鎧。巻き付いた革帯に留めた剣の鞘がスルリ、帯からその身を解放した。
俺はへたりこみながら腕を伸ばし、指先で辛うじて、扉たる石版に触れる。虚空に現れた影が石の表面を一斉に外側へ走ると、一瞬扉の輪郭を黒く描き出して消えた。【影の業】による施錠。我ながら手馴れたものである。
ベッドに行く気力もなく、ただぼんやりした時間を過ごす。適度な眠気・倦怠感は俺をゆっくりと眠りの岸辺へ誘う。しかし甘美な睡魔も、唐突に襲来する非情な痛みに叩き出され、意識の彼方、泡沫と消える。ようするに眠いけど痛すぎて眠れないって話だ。
ちくしょうと呟きながら身を起こすと、【影の業】で治療できないかと思いつき、すぐに自分でその考えを一蹴する。回復は影の天敵、【光の業】の得意技。その対極である影は隠れ息を潜めるのが専門だったはず。
そこまで思考が行き着いたところで、今度は脳の冷静な部分が違和感を検知する。
【光の業】が回復っていつ知った?それに【影の業】が隠密に使えるなんて、今まで読んだどの本にもはっきりと書いてはいなかった。隠蔽に補正があるとは書いてあったが。
あるはずのない知識、それも【知神の祝福】がもたらす世俗的なモノとは毛色の違う専門的な知識が、確かに自らの内にある。
続いて浮かび上がる記憶。確か俺が祝福を、黒骸骨から受け取った後の時だ。
『祝福がもし神からの贈り物ならば、なぜ黒骸骨から俺に祝福が移ったのだろうか』
自らが抱える謎の特殊性の多さに眩暈を覚える。
とにかく現実逃避しようと、ちょっと軽くなってきた体を棚経由でベッドへと運ぶ。棚から無造作に取った本はベインの蔵書【魔物の誕生に関する考察】。難しそうな内容が今は魅力的に見えるから不思議である。いそいそと分厚い本を広げ、迷宮産の魔物の項目を開く。
迷宮に生まれる不死系統の魔物の生まれ方については二つあるらしい。
まず迷宮がその作用によって生み出すモノ。つまるところ迷宮が作り上げた人造人間と言える。
一方こちらは迷宮の外と同じ生まれ方。原料は死体、放置死体は死後三日程度経過すれば徐々に不死へ変化、腐れば腐人、乾けば蘇人、白骨化まで行けば骸骨戦士やら竜骨戦士となる。それ以上、例えば吸血鬼などは様々な偶然、あるいは必然が重なることで上位不死となる。
ここまで読んでいてふと思う。俺はいったい何者になるのか。そして続いて浮かぶ不穏な考えにげんなりする。
――――過去も未来も現在も不確か。
それは塗り潰すには少々大き過ぎ、その上俺の脳内で黒々と濃い存在感を放っていた。
ふと目を転ずれば、解くのを忘れていた付与術が片手剣の上で揺らめいている。俺のようだ、と思い一人で落ち込んだ。




