24話 どうわ
今日は感動の引っ越しの日だ。
すっかり馴染んだベッドからもそもそと這い出ると、荷物一式をまとめ始める。麻袋の口より小さい物はできるだけ多く入れると、パンパンになった袋を掲げ、先に魔物を狩りつくしておいた道をひたすら駆ける。
ベインから聞いた話と自分の経験から、あまり冒険者が来ない時間帯である朝方の大移動である。したがって冒険者の姿はなく、俺はあっさりと新居に荷物を持ち込むことができた。壁際に今にも弾けそうな麻袋を置く。
それから再び魔物を切り伏せながら走って帰り、ごく簡素なベッドを部品ごとに分解する。四隅の柱と底板、敷綿をまとめて縄で括ったモノを持って、ひた走る。
最後に愛用していた棚を脇に抱え外に歩み出た。
この部屋を見つけてからずっと過ごしてきた部屋。俺は深々と一礼すると、ルカにお願いして買ってきてもらった白い花を一輪置いて、馴染みの住処を後にした。
そんなわけで新居に移ったが、ほとんどが整理に追われた。
いやさ、ちょうどいい頃かと思って溜め続けた拾い物やら略奪品で使わないモノを全て売り払い、今まで持ってなかった必要な家具を買って来てもらったのだ。
狭い部屋なので机は使えないが、小さい卓と丸い【座布団】という物を置いた。何でも東方の民族が使うらしく、机と椅子のように高さはないが狭い空間でもとても使いやすい。これを見つけてくれたルカの気遣いがちょっと嬉しかったりする。
最近打ち解けてきたのか、口数は少ないものの普通に会話できるようになった。
小さすぎる進歩にちょっと笑いながら、麻袋に入れていた本を、壁際の棚にしまう。横から突っ込まれる何冊もの本。視線を向けるとあいかわらず我が道を行くベイン。
「何コレ」
「僕の本です。僕の部屋に置き切れないので……あ、読みたければどうぞ」
堂々と言うなよ。お前どんだけ本持ってんだ。
思わず声に出かけたが自制し、題名が印刷された背表紙に目を通す。
【英雄物語】という童話じみた物に始まり、難しそうな【魔物の誕生に関する考察】、それから【魔術呪文辞典】などテーマも大きさもバラバラな本。
俺は【勇者の冒険】なる白い装丁の伝記を手に取ると、適当な場所で開いた。
一つの絵。随分と上手い絵の中に、対照的な人物が二人。
一人目は銀色の長剣と金色の盾、それに真っ白の鎧と実際に見れば目が痛くなりそうな、仁王立ちしている男。綺麗に描かれた顔に似合わず、足で血を流す魔物を踏みつけている。これがきっと、表題の勇者だろうと一人納得。思わず以前遭遇した騎士っぽい青年を思い出した。
ではもう一人。絵のは精悍な顔立ちの男は誰だろうか。真っ黒な鎧を着こみ、高みから憤怒に顔を歪ませている。その怒りに満ちた視線はまっすぐ勇者に注がれている。
説明文には『勇者と戦う魔王』と書かれている。
魔王。
『レヴィドォ! なんで魔人なんかを庇う!?』
『ふざけんな。命を何だと思ってる』
業火のように激する言葉と凍てつく冷え切った言葉。刃のような言葉たちが、頭の中で踊る。
『魔王レヴィド。貴様を、殺す』
『お前変わったな。キセナ』
『黙れ魔王如きがッ! 俺が正常で、お前が異常なんだよッ』
歪んで捻じれたような叫び声。悲しみに満ちた悲痛な声。
『頼む、グレン爺さん……俺の、仲間を』
『あい分かった。後はオレに任せ、安らかに眠れ』
掠れた声。包み込むような低い声。
頭に閃いた映像と声が終わると、微かな頭痛に気がつく。進化の時襲われたモノに近い。
俺はなぜか急に重たくなった腕をノロノロと動かして本を元の場所へ直した。コトリと本の列に吸い込まれる白い装丁の本。
ゆっくり頭を振る。少し軽くなった。
顔を戻せば、ベインが本を読んでいた。見慣れた姿に声を掛ける。
「今日はルカ、いないのか」
「ルカ、ですか? 彼女は地下一階で鍛えると言ってましたから、今もそこだと思いますよ」
「大丈夫なのか」
思わず問うと、ベインが驚いた顔を上げた。
「ジェラードさん、ホント変わってますね。魔物のクセに僕たちと普通に会話したり、心配したり」
「いや、まぁ、変わってるという自覚はあるが……」
ベインは笑いを引っ込め、立ち上がった。本を閉じると棚にしまい俺に、今度はニッと笑う。初めてみた表情に少し驚く。
「ではジェラードさんの代わりにルカの調子でも見てきます」
「そうか。じゃな」
「では、また明日」
石版を動かし出ていくベインにヒラヒラと手を振り、俺はベッドに腰掛けた。
棚を見ると【勇者の冒険】が目に留まった。一瞬身を固くするが、予想した頭痛がやって来ることはなかった。