7.敵は図書館にあり?
本日は作戦会議の日である。
議題は勿論、どうしたら「彼」とお近付きになれるか、だ。
エナとフリッツには、火・水・木の三日間で、情報を集めてくるよう指示してある。それまでは経過報告などは一切受けず、木曜日――つまり今日の夕食後に、纏めて話を聴くことにしていた。そうでないと、いちいち気になってしまうからだ。
今のマリィは、ひとまず「彼」のことは置いておき、目の前の事態に対処する必要に迫られていた。
観察するに、敵であるグランティシェクは、宮廷図書館によく出入りするようだ。昨日も後をつけて行くと、宰相宮を出て図書館へと入って行った。一緒に中に入ろうとしたところ、館内から人(執務室にいた連中と思われる)がわらわらと出てきたので、その行為は断念するより他になかったが。
(今日も、行っているのかしら)
昨日とは違い、執務室の扉は閉ざされている。これを破って突入する勇気はないので、出待ちをするか、別の場所に移動していることを期待して、その場に行ってみるしかない。
(叔父様は勤勉家だと仰っていたけれど)
とは言うものの、それだけで図書館を連想するのは、あまりに短絡的だ。
しかも図書館に通っているからといって、勤勉家とは限らない。サボって惰眠を貪っているだけかもしれないし、勉強するフリをしてノートに落書きでもしているかもしれない。
(もしそうなら、叔父様にお伝えする必要があるわ)
教師に告げ口する生徒の如き思考で、マリィは一応図書館に向かうことにした。
宮廷図書館は王宮敷地内にある。現在の王宮に建て替わる以前に建設され、これまでに何度か改装をしているものの、当時の外観をそのまま残す。
時の国王がこだわって造ったという図書館。
今よりも経済的に豊かであった時分に建てられたものだから、無駄に凝った造りになっていて、維持が大変らしい。新築するときは後世のことも考えて造りましょう、という教訓にもなっているとか。
宮廷図書館へと続く道は、ちょっとした憩の場になっている。
六月の下旬ともなると日差しが気になってくるが、気候が良いときには、散歩がてら図書館を訪れる人も多い。今も、噴水の脇に腰かけて本を読んでいる人がいた。……サボリか?
図書館の周辺に並べられた彫刻は、定期的に磨かれているのか、相変わらず豪奢である。マリィはそれらを鑑賞することなく、真っ直ぐエントランスへと向かう。神々を描いたとされる美しい天井画や、もはや支柱ではなく美術品に分類される柱には目もくれず、一直線に受付へ。
勝手知ったる何とやら、だ。
初めて来た人間は、あまりの壮美さに、当初の目的を忘れて美術鑑賞に走るらしいが、何度も来たことがある彼女にとっては、珍しくも何ともない。
受付で知り合いの司書に声をかけると、簡単にパス出来た。
ここは一応、関係者以外立ち入り禁止となっている。関係者といってもその幅は広く、要は一般に公開されていないだけである。秘匿性の高いものは書庫に収められていて、マリィですら見ることは叶わないものの、あとはわりと自由に閲覧できるのが便利だ。
なお、城下には先代が設立した王立図書館があるが、こちらは一般庶民も利用出来る。規模としては王立図書館の方が大きいものの、宮廷図書館の方が希少性の高い蔵書を揃えていることから、こちらの方を利用する者は多い。
(やっぱり、この時間だと少ないわね)
業務もそろそろ終わろうかというこの時間帯。新たに調べものをする人間は少ない。
(いるとすれば……“第二”かしら)
第二閲覧室は、法学に分類される資料が揃っている。そこだろうか。
当たりをつけて、その部屋へと足を踏み入れる。
利用者を装って、飽くまでも不自然にならないように。
そのために、カモフラージュとして勉強道具を持ってきたのだ。ペンとノートを持って現れれば、立派な“勉強熱心な王女殿下”の完成だった。
……まあ、周囲がマリィを王女として認識しているかどうかは、かなり怪しいが。
(あっ)
先客がいた。
マリィは慌てて、書架の間に身を隠す。堂々としていれば怪しまれることはないし、逆にこそこそする方が不審なのだが……それを指摘する者はいない。
(気付かれては……いないようね)
そこにいたのは、まだ若い男性二人組だった。当然ながら、面識はない。マリィの目には、貴族B・貴族Cとして映った。
二人組は、何か話をしているようだ。それほど大きな声ではないものの、静かな室内である。盗み聞きをするつもりなんてなかったのに、その会話は、必然的にマリィの耳に入ってきた。
「何で俺らが、こんな地味な仕事しないといけないんだ」
「知らねーよ。上に言ってくれ」
「その辺、あの人は分かってないよな。あいつばかりに、いい仕事回して」
「ああ、まったくだ。俺らの価値を分かってない。これだから下級貴族は困るんだよなぁ。……って、おまえ何やってんだよ」
「こっからこっちは、おまえな。俺はこれをやる」
「てめっ、卑怯だぞ! 俺がそれやる。寄越せ!」
…………子供か?
おたく貴族ですよね、と思わず確認したくなるような言葉遣いと台詞と行動だった。特に貴族C。
見なくても、彼らが何をしているのか容易に想像出来るところが、何だかとても嫌だ。
仲間内ではこんな会話をしているのか。貴族って何だろう。
マリィはやや幻滅した。――いや、彼らが少数派であることを切に願う。
書架が邪魔をして相手の顔は見えないが、それは向こうも同じはず。このままやり過ごそうか、と思う。
図らずも盗み聞き状態になってしまった彼女は、完全に出ていくタイミングを逸していた。今飛び出していったら、さぞかし目立つことだろう。そして気まずい。
そんなこと、出来ない。
サボリ魔二人組の愚痴・悪口大会は、延々と続く。全部は聞いていないが、主に仕事上の不満のようだ。特に一人の上司と同僚に、攻撃は集中していた。
(くだらない)
聞いている者全員に不快感を与えるレベルの会話は、当然マリィにとっても、「不快」以外の何物でもなかった。なるべく耳に入らないように、別のこと(今後の作戦とか)でも考えようかと思っていたところ、それは不意にもたらされた。
「平民のくせに」
(……え?)
その声が、一際大きく耳に響く。
「だな。平民は平民らしく、大人しくしてりゃいいんだよ。あいつらが政に口出しするのが間違ってんだ」
「ああ。奴らに、政のやり方が分かるとは思えない」
(何ですって?)
今、何と言った。
平民に政治は行えない、とか言わなかったか。
続けて、学がないだの、貴族社会が分かってないだの……言いたい放題の二人に、マリィの顔は険しくなる。それらの発言は聞き捨てならないものだった。
(「学がない」? あの方は王立学院に通われているじゃない!)
国内では最高の高等教育機関である、王立学院に。
だいたい、幼児並みの会話を繰り広げていたこの二人にだけは、絶対に言われたくない。
(身分なんかで、人を判断して! あの方を侮辱するなんて許せないわ!)
そして一番頭にきたのは、平民には政治がどうこう、のくだりだ。
くだらない。そんなわけが、ないのに。
(あの方はとても優秀で素晴らしい方……宰相にだってなれるのよ!)
叔父は、別に身分なんてもので人を判断したりしない。相応しい人間に宰相位を譲ると言っていたから、それがたとえ平民でも、何の問題にもならない。
もし叔父が彼らの会話を聞いたら、烈火の如く怒り狂うだろう。
もう我慢出来なかった。
想い人を莫迦にされて、黙っているわけにはいかない。
「黙りなさい」
気付けば、彼らの前に飛び出していた。
そんなマリィの姿を見た二人組は、見事にぽかんとしていて――。
気まずい――あまりに気まずい空気が流れたのを、三人ははっきりと感じ取った。
(うっ)
思わず逃げ出しそうになる気持ちを、マリィは必死に抑え込む。
――怖い。
でも、ここで引いては駄目だ。今までと、何も変わらない。
せっかく、「彼」に手を引いてもらったのだから。
変わるきっかけをもらったのだから、それを無駄にしてはいけない。
「貴方たち」
(良かった……言えた)
声が震えていないのを確認して、マリィは安堵する。
大丈夫。このままいけそうだ。
「先ほどから、庶民だ貴族だと、随分と身分に縛られた発言をしていたようだけれど、その考え方は古いのではなくて? 時勢にそぐわない発言は、貴方たち自身の学のなさを証明しているように思えるわ。バルトン公のお考えは、もっと違っていたように思うのだけれど、わたくしの思い違いかしら。どちらにしても、このような公共の場でするような話ではないわね、誰が聞いているのか分からないのだから。軽率な言動は、身を滅ぼすことを覚えていた方が良くってよ」
出来るだけ偉そうに。上から目線で。
隣の席のアデーラ嬢の喋り方を思い出しながら、言葉を重ねていく。確か、こんな感じの口調だったはずだ。普段はこんな喋り方をしないだけに、集中しないとボロが出そうである。
何とか正論っぽく言えただろうか。叔父を引き合いに出したのが良かったかどうか微妙なところだが……悪い方向には動かないと信じたい。
「貴方たちのような考えは、はっきり言って、」
そこで一旦区切って、少し間を置く。
彼らの虚ろな目をしっかりと捉え、相手に最もダメージを与えることが出来る絶妙なタイミングで、最後の言葉を言い放った。
「くだらないわ」
そこまで言って、自身の緊張を和らげる。勿論、相手には分からない程度に。
突如現れて説教を始めるこの少女は何者か――。
彼らの中でそんな考えが巡らされていたに違いなく、二人は反論せず、静かにマリィの叱責を受けていた。
当初は単にぽかんとしていたようだったが、その表情はだんだんと青ざめていき、最後には震え出す始末。様子を窺っていたマリィは、上手くいったようだと安心した。
「そうではなくて?」
固まったままの二人に、マリィは問いかける。わざと、同調を求めるように。
「あ、いえ……その……」
もごもごとする貴族Cの横で、復活したらしい貴族Bが慌ててフォローを試みた。
「で……殿下、の仰る通りでございます。私共が軽率でございました。殿下におかれましては、私共の至らなさ故にご不快な思いをされましたこと、誠に――」
長々と続く謝罪の言葉に、マリィは別の部分で驚いた。
(わたくしのことを知っているの)
意外だった。てっきり、身元が割れていないと思っていたのに。
(後で叱られるかしら……)
不安になる一方、ここまで来たらどうにでもなれと、開き直る気持ちもある。
結局、後者の気持ちが勝った。
一通り謝罪と釈明の言葉が並べられたところで、貴族Bが、何故マリィがここに来たのかを尋ねてきた。
「わたくしは、調べものを」
「それはお邪魔をしてしまい、申し訳ございませんでした。私はこれにて」
「私も、失礼いたします」
そそくさと去っていく二人。その場を去る口実が欲しかったことに気が付いたマリィだったが、追いかけていって身元を問い詰める気はなかった。
何故なら。
(終わった……)
こちらの方が、よっぽど逃げ出したかったのだから。
彼らと対峙している時――特に一方的に喋っている時は、必死だったため、恐怖は忘れていた。
けれど彼らが立ち去った後に、それまで抑えていた弱い感情がどっと溢れてきた。
(良かった。悪いことにならなくて……良かった……。もう、大丈夫よね……)
心臓が、これでもかというくらい動いている。
静かな室内に、自身の鼓動の音だけが響いていた。
(帰らないと……早く、帰らないと)
この場に留まるのは、精神的に良くない。早く自室に帰って休んだ方が良い。エナやミラダに会いたい。
廊下に出たマリィは、逃げるようにして図書館を出る。途中階段で誰かとぶつかりそうになったが、そんなことを気にする余裕はなかった。
薄暗くなり始めた空は、今の自分の顔を隠してくれるので助かる。こんな顔、誰かに見られでもしたら――。
(落ち着いて、落ち着いて……。皆に心配されてしまうわ)
小走りで王宮内を通りながら、必死に平常心を言い聞かせる。
自室までの距離が、酷く遠くに感じられた。
次は敵さん視点です。
6話・7話と対になるお話ですので、併せて読んで頂けましたら。