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6.敵情偵察という名の


 やはり下宿は見送らねばならない。

 マリィが改めてそう思ったのは、目下の課題――敵の動きを把握する必要が出てきたからであった。

 すなわち、叔父の後継者と思われるグランティシェク・チェガル(やっと覚えた)の監視を。

(その為には、王宮にいた方が、都合が良いもの)

 柱の陰から、そっと対象を窺う。

 やっと彼の姿を拝むことが出来るようになったのだ。そう思うと、早くも感慨深い気持ちになる。





 当初、周囲の人間に、彼のことを訊いて回ろうと思っていた。しかし、ここで問題が浮上した。


 まず一つ。訊けるような人間がいなかった。

 実はマリィ、顔が広くない。正直言って狭い。ある種隔絶された空間の中で生活しているので、日常的に接する人間も自ずと限られてくるのだ。かといって、全く面識のない人間に、気軽に話しかける勇気はない。しかも内容がアレなだけに。


 そしてもう一つ。そんなことをしようものなら、マリィがグランティシェクに興味を持っているらしいとかいう、変な噂が立ちかねない。というか、その可能性が極めて高い。

(これ以上、噂を拡大させるわけにはいかないわ)

 極力、二次災害は防がなければ。


 こうして、仕方がなく、自分の足で調査を行う羽目になったというわけだ。


 ところが、困ったことがあった。

 彼が普段どこにいて、何をしているのか知らなかったのである。これは致命的なミスだった。

(ああもう、わたくしとしたことが……!)

 考えなしに突っ走ってしまったことを、マリィは悔いた。せめて、彼の基本情報だけでも、エナから入手しておくべきだった。

 そして、その頼みの綱は、現在ミラダにみっちり指導されている。直ぐには訊けない。

 せっかく寄り道もせずに、真っ直ぐ帰宅したというのに、成果がなければ意味がなかった。

(こうなったら、意地でも居場所を探ってやるわ)

 みなぎる熱意とは反対に、少し冷静になって考えてみる。

 叔父の目にとまったということは、彼の近くにいることが多いのではなかろうか。普段からその仕事ぶりを見ているはずだ。とすると、宰相秘書官あたりのポジションが考えられる。

(きっとそうだわ)

 では、どこに行けば会うことが出来るか。

 ――簡単に答えは知れた。



 宰相宮は、マリィの居所からは離れたところにある。公的な空間と私的な空間が、比較的はっきりと分かれているため、普通に生活していたら通過することもない場所だ。だから、王宮を歩いていたら、ばったり宰相秘書官に遭遇――なんてことは、まずない。

(でも、前に会ったことがあるような気がしたのだけれど……)

 あれは気のせいだったのか。


 叔父の執務室には、実は何度か行ったことがあった。といっても幼少時に、単に叔父がそこにいるという理由で、遊びに行っていただけだったが。

 しかし彼はそんな姪を邪険に扱うことはなく、むしろ歓迎してくれていたように思う。マリィも仕事の邪魔はせず、部屋にあるソファで、叔父が仕事をする様子をただ眺めていた。

 叔父は退屈だろうと言っていたけれど、全然そんなことはなかった。何故か、その空間が好きだったから。いくら眺めていても、ちっとも退屈しなかったのだ。


 あの頃は、今よりももっと自由に王宮の中を行き来していた気がする。

 末っ子とは、気楽で得なものだ。



 のんびりと感傷に浸っていたマリィだが、執務室が見えてくるとさすがに緊張してきた。


 この向こうに対象がいる。


 そう思うと、腰が引ける。一人で作戦を練っているときは、あんなにも闘志を燃やしていたのに、いざ敵陣突入となると尻込みしてしまう。


(いつも、そう)


 あの方にお会いするのだって。

 その時を楽しみにして、エナと二人で計画を立てていたのに、結局声を掛けることすら出来なかった。

 せっかくの機会だったにも、かかわらず。


 マリィは目を瞑った。

(駄目。変わらないと)


 そうしないと、あの日、彼に手を引いてもらった意味がなくなりそうな気がして。

 そうしないと、とても彼に近付けない気がして。


(大丈夫、大丈夫よ)

 そうだ。計画は完璧だ。もっと、自分を信じないと。

 叔父に会いに来たと言えばいい。叔父を探すふりをして、敵の動きを観察すればいい。


 決意を固め、恐る恐る近付いていくと――不意に扉が開いた。

(きゃっ)

 マリィは、それを見た人がいるならば誰もが驚愕するような速さで、柱の陰に身体を移した。

 心臓に悪すぎる。

 寿命が縮んだらどうしてくれるのかと思いながら、開いた扉を見つめる。

(もしかして、出てくるのかしら)

 だとしたら、好都合だが。


 部屋から出てきたのは、数人の男性だった。何故か全員が全員、大量の書籍を抱えている。まるで引っ越しでもするかのような光景だ。

 思わぬ事態に驚いたものの、直ぐに頭を切り替えて、彼らを刮目する。

 年齢からすると、該当しそうな者が何人かいた。しかし、顔はうろ覚えながらも、その中に対象はいないと判断する。

 一昨日出会った、あの人物はいない。

(では……まだ中に?)

 出てきた数名は、隊列をなして廊下を進んでいった。宮廷図書館に行くのかもしれないと、マリィは考える。叔父がよく、そうしていたから。

 辺りを見回し誰もいないのを確認すると、開いたままの扉から中を窺った。


 そこに、彼はいた。


 それまでうろ覚えだったはずの記憶が、やけに鮮明になる。

 確認するまでもない。見ただけで分かる。

 彼が、グランティシェク・チェガル本人だ。


(この人が……)

 以前会ったときは、単に貴族Aとしか思えなかった対象を、改めて観察する。

 彼は机に向かって、ペンを走らせていた。時折、脇に積まれた書籍を捲りながら、捲った頁をそのままに、また新たに別の書籍を手に取る。

 広い机の上は、洋紙と書籍とで埋め尽くされていた。


 彼の手は、休むことを知らない。無駄のない、流れるような動作は、どこか芸術的に感じられる。

(ああ……)

 マリィは、その光景をよく知っていた。

 とても懐かしい。いつの間にかソファはなくなってしまったけれど、近くで、もっと眺めていたいと思う。

 敵意でも悪意でも、興味本位ですらなく――マリィはただ、その姿を見つめていた。かつて、叔父に対してそうしていたように。

 見惚れていたと言っても良い。


 と、グランティシェクは一瞬動きを止めた。

 その仕草が、また叔父と重なる。だからこそ、この後どういう動作をするのかも、想像がついた。

 それに対応するため、マリィは一旦身を引いた。彼が顔を上げた途端、目が合ったのでは笑えない。……いや。逆に笑うしかない、か。


 そこでマリィは、はっと我に返った。気付けば、あろうことか排除すべき対象に、うっかり好感を持ってしまうところだった。

(あの人はわたくしの敵だわ)

 危ない危ない。ちょっと叔父に似た動作をしていたからといって、叔父に抱くような好意を向けそうになるとは。

 しっかりしないと――そう思って、マリィは再び中を覗き込んだ。今度は、冷静且つ客観的に、対象を観察せねばと、気を引き締めながら。


 遂に「敵」認識された憐れな被害者は、淡々と業務をこなしているようだった。もう書籍はほとんど閉じられて、脇に積まれている。先ほどとは違い、どこかぎこちない印象を受けるが、まあ「普通」の範囲だ。どこにでもいそうな秘書官Aに戻っていた。

 先ほどのあれは、何かの見間違いだったに違いない。

 マリィは無理やり自分を納得させた。


 暫し観察するに、グランティシェクの姿は、エナが評した如く「真面目」そのもの。あまりに普通過ぎて、つまらないくらいだ。

(何か失敗でもしないかしら)


 例えば、転んで書類をぶちまけるとか。

 例えば、飲み物を書類にぶっかけるとか。


 最近マリィの部屋でよく起こる珍事を、思い浮かべてみる。そんなことが起こったら、彼はどういう反応をするのか――想像すると、少し可笑しくなった。


 すると、彼は急に立ち上がって、手に書籍を積み上げ始めた。移動させるようだ。

 机の上から次々と手に乗せていき、腕と身体全体で書籍を支える形となる。前方から見たら、彼の顔が見えないくらいの高さに積み上がった。

(意外と体力はあるのね)

 なんとなく「頭脳労働=体力なし」のイメージがあったので、若干驚いた。フリッツあたりなら軽く持ち上げられそうだが。

(でも、崩れるんじゃないかしら)

 不安に思いながら見ていると、その心配は見事に的中した。一番上に乗せていた書籍が滑り落ちそうになったのだ。

「あっ、」

 危ないっ――そう出かかった言葉を、寸でのところで止める。口を手で押さえて、マリィは息を殺して、その場にしゃがみ込んだ。

 見つかるわけにはいかない。


(大丈夫だったのかしら……?)

 立ち上がって様子を窺うと、本の雪崩が起こった形跡はない。落下を阻止出来たのだろう。

(危なかった……)

 それは、彼が書籍を落としそうになったことに対してか。それとも、危うく声を上げそうになったことに対してか。

 どちらにしろ、マリィはほっと息を吐いた。

 今度、もし話す機会があったら言ってやろう。危ないから、あんまり本を積み上げるなと。

(怪我でもしたらどうするの)

 そうでなくても、腕に負荷をかけるのは良くない。他にも、ぎっくり腰とかになったら、どうするのか。まだ若いのに。


 態勢を整えたグランティシェクは、どうやらそのまま移動するらしかった。

(後を追わないと)

 気付かれないように、マリィも移動を開始する。

 適度な距離を保ちながら、彼の背中を追っていく。

 一度踏み出した足は、もう後ろに下がることはなかった。



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