4.夜中に考えることは、ロクなことがない
今日という日が終わってしまう。
そんな意味深な台詞を吐きたくなるくらい、今のマリィは迷走していた。
熟考に熟考を重ねていたのは、本日出された課題――ではなく、明日の放課後についてである。
(明日は一人なのよね)
毎日エナを付き合わせるわけにはいかないので、明日は別の侍女が付き添ってくれることになっている。エナにお願いするのは、基本的に月曜日と金曜日にしていた。
彼女はマリィ付きになったばかりなので、覚えなくてはいけないことが山のようにある。それなのに毎日付き合わせていては、他の仕事が疎かになってしまう。残念だが、明日は大人しく帰ってきた方が良いだろう。
(それに……計画を練らないと)
下手に単独で動くよりかは、じっくりと策を練る時間に充てた方が良い。これまで闇雲に取ってきた行為が、どれだけ進展をもたらさないものなのかを悟った今、計画的に行動を起こす必要性を感じていた。
窓を開けて、風を入れる。
部屋にはマリィしかいない。勉強中は放っておいてと頼んでいるから、夜はたいてい一人で過ごす。気楽なこの時間が、彼女は結構好きだった。
(さて)
今日の出来事を整理しないと。
まず、収穫といえば、「彼」の行き付け? の店が判明したことだ。
三十三古書店。
文字通り、古書を取り扱う店――と聞けば、マリィにも何となく理解できる。近年の印刷技術の発達に伴い、書物は庶民にも手の届くものとなりつつあった。
アウストリツ王国において、古物商は少なくないが、古書店というのは珍しいようだ。フリッツも、三十三古書店しか知らないと言っている。だからこそ、最初に三十三古書店を見付けて以来、マメに通っているとのことだった。
しかも取り扱っている物のほとんどが、異国の書物だというから、猶更興味をそそられるらしい。異国では和紙という特殊な紙に文字を書くようで、何百年も前に書かれた文書が、状態良く保存されているのだとか。
それらを聞いて、マリィは純粋に三十三古書店に興味を覚えたが、より重要なことは別にある。
すなわち、「彼」に関することだ。
マリィとしては一刻も早く知りたい情報だったのだが、あれからフリッツには延々と説教され(まるでカレルのようだった)、「あの店に好きな人がいるの。彼に関することを報告しなさい」とは、とても言える状況になかった。だから、未だ名前すら知らない。
(でも、フリッツの協力は必要不可欠だわ)
近いうちに、彼をこちらの陣営に引き込む手筈を整える必要がある。また何だかんだ言われそうだが、
(騎士が怖くて王女なんてやってられないわ!)
夜中というのは、異様なテンションになることを、彼女はまだ知らなかった。
気合が入ったついでに、ここで明るい未来を想像してみよう。
例えば、「彼」と親しくなったとして。
彼の元へ行き、「貴方を愛しています。結婚を前提にお付き合いして下さい」と言ったとしよう(エナが貸してくれた恋愛小説で、相手役の男性がヒロインに対して言った台詞が、確かこんな感じだったはずだ)。
この後、想定される結果は――。
(駄目。良い結果になる予感が全くしないわ)
マリィは机に突っ伏した。明るいどころか、一気に暗黒の未来が思い浮かぶ。
そもそも、「愛しています」なんて台詞が言えるのだろうか。
「あ、あい……して、します」
間違えた。「してします」って何だ。
もう一度、と深呼吸する。
「あいっあいしています」
さっきよりかは、マシ……いや、どっこいどっこいか。「アイアイする」とか意味不明過ぎる。
もう一度。今度は一文字一文字、区切ってはどうだろう。
「あ、い、し、て、い、ま、す」
(言えたわ!)
発音練習みたいになってしまったが、意味は通じる。後は繰り返し練習していけば、いずれスムーズに言えるようになるだろう。
思わず顔を綻ばせたマリィだったが、次の瞬間、その顔はその表情は一変する。
「…………………………マリィ様?」
侍女のミラダだった。
いつの間にか、背後にいる。飲み物の載った盆を手にして、彼女はその場にいた。
振り返ったマリィは、まず、ミラダの表情に注目した。すなわち、彼女が自分をどういう目で見ているのかを。
(変に思われて……るわよね、絶対)
ミラダの表情は読めない。
彼女は優秀な侍女だ。二十四歳という若さながら、既にベテランの域に達していると言って良い。そんな彼女は、少々のことでは動揺などしない。たとえ、主が可笑しな言動をしていようとも。
だから、少し探ってみることにした。
「な、何かしら?」
「お疲れではないかと思いまして、お飲み物をお持ちしたのですが、お声を掛けてもお返事がなかったので……何かあったのかと思い、失礼ながら勝手に入らせて頂きました」
お許し下さい、と頭を下げる侍女。しかし今のマリィはそれどころではない。
「心配してくれたのね。ありがとう。集中していて気が付かなかったわ」
何に、とは言わない。集中というより妄想していただけだが、それも言わない。
「さようでしたか。何もなければ良うございました。お取込み中のところ、申し訳ありません」
「いいえ、構わないわ」
寧ろ、現実に引き戻してくれてありがとう、とマリィは思った。
「お召し上がりになりますか」
「ええ、頂くわ」
さっきのアレは、スルーなのか。
ミラダは何事もなかったかのように、机に飲み物を置く。
彼女の表情は、依然として読めない。奇妙なものを見る目とか、同情的な目とかを向けることもなく、至って普通に業務をこなす。
この辺りがエナと違うところだと、マリィは思った。仮にエナであったなら、「ところで、先ほどは何をされていたんでしょう?」と訊いてきそうである。
聞かれたら聞かれたで恥ずかしい思いをすることになるのだが――。
「待って」
一切の突っ込みをすることなく、礼儀正しく退出しようとする侍女を、マリィは敢えて呼び止めた。
「はい」
「先ほどの、あれなのだけれど……」
様子を窺うように侍女を見るが、相変わらず彼女は普通の反応だった。
こうなったら、こちらから言うしかない。マリィは覚悟を決めた。
「その……あれは、学校の課題なの! 男女間にみる恋愛に対する姿勢の違いを考察してまとめるというものなのだけれど、わたくしは告白の形態の違いから、それが証明できるのではないかと考えているの。だから、その……実際に、自分で言ってみないと分からないこともあるでしょう? わたくしだって、声に出すのはどうかとも思ったわ。でも課題をこなすには仕方がなかったの。貴女も驚いたでしょう?わざわざ言うことではないかもしれないけれど、何だか誤解されそうな気がしたから。――つまりは、そういうことよ」
とんでもないデタラメが出てきた。恋愛に対する云々とか……どんな授業だ。
途中で、何言ってるのぉぉぉ!! と思ったものの、訂正出来ず……というか、ますます可笑しな方向に行きそうだったので、止められなかった。
自分で自分に突っ込みたい。つまり、どういうことだ。
それを聞いたミラダは、一瞬驚いた顔をしたが、
「はい」
余計なことは口にせず、主の言葉を承知する。
本当に納得してくれたのか、そうでないのか。表面上のことしか分からない。
やはり、相変わらずの反応だったが――。
「きょ、今日はもういいわ。貴女も疲れているでしょう。休みなさい」
「はい。――おやすみなさいませ、マリィ様」
その表情は、どことなく微笑んでいるようにも見えた。
ベッドに入り目を閉じるものの、全然眠れそうにない。
明るい未来を夢見ることを断念したマリィは、今度は現実に目を向けることにした。
(あの方は、平民でいらっしゃるのでしょうね)
これは、少々問題になるかもしれなかった。自分は仮にも一国の王女だし、平民との結婚がそう易々と認めてもらえる保証はない。
たとえ気楽な末っ子といえども。
たとえ存在感が薄くとも。
いくら平和ボケしているようなこの国でも、そこまでは楽観視出来ないのではないか。十二人の姉は殆どが政略結婚、もしくはそれに近いものだったのだから、猶更難易度が高く感じられる。
(そこだけは、妙に“王族”な考え方なんだから)
例外的に、完全な恋愛結婚で結ばれた姉はいるが、彼女のときも結構な騒動になったというし、相応の覚悟は必要だろう。
ちなみにその姉は、今では立派な酪農家の嫁だ。時々送られてくる乳製品を、マリィも美味しく頂いている。
マリィにも、覚悟はある。
父は反対するだろうが、絶対に説き伏せてみせる。姉がそうしたように。
なお、母はたぶん賛成してくれるだろうから心配ない。
と、そこでふと、叔父の顔が頭に浮かんだ。
――叔父はどうだろう。
賛成してくれそうな気もするし、そうでない気もする。
叔父には子供がいないので、どこからか養子を貰うことになっていた。王族の中で誰か、という話もないではないが、今のところ有力な候補はいない。
本来なら、バルトン家と親戚筋にあるマリィの母が生んだ子供――つまり、マリィの兄が養子に入るのが妥当なところだが、生憎彼に宰相位を継ぐほどの素養はない。本人も嫌がっているから、ほぼ確実に実現しないだろう。
どうでもいいが、この前会った時には職人になりたいとか言っていた気がする。周りから穀潰し扱いをされるのだけは嫌だから、早く手に職をつけて自立する、と。案外、近いうちに王宮を出ていくかもしれない。
とすると必然的に、他の異母兄を迎えるか、もしくは他家から迎えて、その者とマリィとを娶せるかになる。実は、後者を叔父は望んでいると言っていたが、果たして本心なのだろうか。
(待って)
今、とても大切なことに気が付いた……気がする。
がばぁっと起き上がり、マリィは真っ暗な空間を見つめた。
(そうよ!!)
閃いた。これは名案だ。
(あの方は勤勉で、頭脳明晰で優秀な方。それに人格的にも、とても素晴らしい方だわ。きっと、この国の宰相になって下さるはずよ)
他家から迎えると言っても、叔父は未だその者――後継者を明確にしていなかったはずだ。
つまり、叔父に「彼」を後継者として認めて貰えば良い。そうすれば、バルトン家に養子に入り、マリィは何の障害もなく、「彼」と結ばれることが出来る。
完璧だ。
暗闇の中、マリィは満面の笑みを浮かべる。寝る間を惜しんで、熟考した甲斐があったというものだ。
さっそく、この計画をエナに打ち明けよう。
マリィは朝一番に、彼女を呼ぶことを決めた。