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12.王女らしいこともやってみる


 レンツラウ城――かつて王族の居城だった場所は、いまや一人の王女の為の住まいとなっていた。


 城下を一望できる小高い丘に位置し、麓には国のメイン河川が流れる。その昔、自然の要害として機能していた城も、今となっては観光名所だ。王都に来た人間ならば、一度はこの場所を訪れるという。

 堅牢さは取り払われ、すっかり開けた城。その外観を眺めながら、マリィは坂を上っていく。

 新王宮の建築が始まったのは、今から百年ほど前のことである。それまでは古い王宮と王城が並立し、それぞれに王族が住まうという奇妙なスタイルだったが、新王宮の完成により全員が一箇所に居住することになった。

 これにより廃城となったレンツラウ城だったが、破却に反対する意見は多かった。長らく国のシンボルとして存在してきたから、との理由によるものだ。とはいえ城壁に囲まれた城は衛生的によろしくない、時勢にもそぐわないというので、城壁のみは直ぐに撤去され改修工事が施された。

 リニューアルされた元王城は、その後行事のときくらいにしか使われていなかったのだが、数年前にようやく新たな主を迎え入れた。マリィの姉、第十三王女のマリーヴィエである。



「本日はお招きありがとうございます」

 テーブルを挟んで向かいに座る姉に、マリィは行儀よく挨拶をする。母親が異なるため、容姿は全くといって良いほど似ていない。幼い頃はまだ姉妹に見えなくもなかったが、成長するごとに、二人の違いは顕著になっていった。

 ますます綺麗になっていく姉は、とても同い年には見えないと、マリィは思う。

 姉といっても数日しか誕生日は変わらない。それなのに、こうして並んでいると、どちらが姉でどちらが妹なのか分かってしまう。身体的な面だけでなく、マリーヴィエの持つ落ち着いた雰囲気もまた、彼女を大人びて見せていた。

「いらっしゃい、マリィ。来てくれてありがとう」

 マリーヴィエは、妹の言葉に柔らかく微笑んだ。離れて暮らしているため、こうして誘いをかけない限り、なかなか彼女と会う機会がない。貴重な時間を割いて会いに来てくれた妹に対するお礼を述べ、それから謝罪を口にした。

「この間はごめんなさいね。お兄様が無理を言って」

「気にしないで、お姉様」

 「この間」というのは、一週間前のお茶会の件だ。マリィが課題に追われているところに突然兄がやって来て、マリーヴィエの代わりに参加しろとか言い出した、あの。

「皆さん、マリィとお話が出来て、とても喜んでいらっしゃったそうよ」

「そ、そう……。それなら良かったわ」

 マリィは微妙な笑みを浮かべた。

 実は何を話したか、全く覚えていない(適当に相槌を打っているだけだったため)。が、相手に不快感を与えていなかったようなので安心した。立派に、とまではいかなくても代替を務められればそれでいい。

「その後、体調は?」

「ええ。ここ最近、とても気分が良いのよ。気候が良いからかしら」

 言いながら、遠く空を見る。

 彼女は気候が良いと言ったが、実際は外に出れば汗を掻くぐらいの季節である。長らく外に出ていないのだろうと、マリィは姉の白い肌を見て思った。


 直射日光が当たらない位置に設置されたテーブルと椅子は、身体の弱いマリーヴィエに配慮してのものだ。二人はテーブルを挟んで向かい合う形で座る。

(綺麗……)

 テラスから見える庭には、色とりどりの花が咲いていた。夏に咲く花は、そう種類豊富なわけではない。しかし主を飽きさせないよう工夫が凝らされていることは、花には造詣が深くないマリィにもよく分かった。

(たまには、こういうのも良いものね)

 姉にこうして誘われなければ、わざわざ庭園を眺めることもない。

「綺麗ね。これは、お父様が?」

「ええ、そう。こちらへいらっしゃる度に、手入れを申し付けてくださるのよ。先週まではね、あの辺りが少し寂しかったのだけれど……今は、ほら」

 姉の示す方を見ると、一面に薄桃色が広がっていた。花弁が小さく派手さはないが、控えめな美しさは姉の持つ雰囲気によく合っている。

「わざわざ探してくださったみたいなの。お父様もお忙しいでしょうに……」

「お姉様のためだもの。そのくらい、喜んでしてくださるわ」

「……ありがとう。

 ねえ、マリィは最近お父様とお話ししているの?」

「先月……お会いしたかしら」

 おそらく。よく覚えていないけれども。

「……」

 妙な沈黙が流れた。まずいわね、とマリィは思う。

 別に親子関係が悪いわけではないと思う。好き勝手させてもらっているし、一か月に一回くらいは顔を合わせる……こともある。一般的な関係ではないにしろ、さほど特異な間柄というわけでもないだろう。


「ねえマリィ」

 先に沈黙を破ったのは、マリーヴィエだった。

「一度お父様とゆっくりお話ししてはみてはどう? マリィも、もう直ぐお嫁にいくのでしょう? そうしたら、そんな機会はなかなかないのよ。だから今のうちに……ね?」


(ん?)


 マリィは静止した。今、さらりと可笑しな発言がなされなかっただろうか。

 穏やかな口調で、さも公然の事実とばかりに言われた言葉を反芻する。


 もう直ぐお嫁にいく――とかなんとか。


 思考が固まらないうちに、姉の言葉は続いていく。

「お父様がぼやいていらっしゃったわ。ヴィレム叔父様にマリィを取られる、って」

「まさか」

「マリィは叔父様にばかり懐いているもの。お父様も複雑なのよ」

「……そうかしら」

 確かに叔父には良くして貰っているが。だからといって父を蔑ろにした覚えはないし、そもそも同列に考えてもいない。父は父、叔父は叔父ではないか。

 それを話すと、姉は困ったように微笑んで、「それはそうなのだけれどね」と言った。


 いや、そんなことよりも。


「それよりもお姉様。さっき、わたくしがお嫁にいくって、仰らなかったかしら」

「ええ。そうでしょう? まだ公にはされていないようだけれど……言わせて頂戴」

 そこで一度区切って、困惑する妹に視線を合わせて言う。

「おめでとう」

「……」

 かつて、これほどまでにお目出度くない「おめでとう」があっただろうか。最近言われた祝いの言葉は入学式のものだったが、あの時とはえらい違いだ。


 全く嬉しそうにない妹に気付いたのだろう。マリーヴィエは不思議そうに妹の名を呼んだ。

「あ、え、ええ……その……それは、誤解よ」

 姉の呼びかけに辛うじて答え、何とか否定の言葉を絞り出す。

 何故姉の耳にまで入っているのか。どこまで伝わっているのか。何より、どれだけ暇なんだこの国――色々な疑問やらツッコミやらが交錯するなか、マリィは姉の反応を待つ。これで、「あらそうなの」で終わってくれれば良いのだが、残念ながらその希望は打ち砕かれた。

「そんなはずないわ。お父様がそう仰っていたのだから」


 父(というか国王)公認か。


 決定的な事実を突き付けられ、衝撃を受けたのも一瞬。マリィははっとする。こんなこと、許されていいわけがない。

「わたくしは承諾した覚えはないわ!」

 つい熱く主張すると、目の前には姉の困ったような、咎めるような顔があった。

(あ……)

 しまったと思ったときにはもう遅い。

「そんなことを言っては駄目よ」

 静かだが、やけに耳に残る声。こういう時の彼女は、有無を言わせない強さがある。素直に謝っておくのが吉だ。

「ごめんなさい……。でも、本人のいないところで勝手に話が進められるのはどうかと思うの」

「それは仕方がないことだわ。マリィだって自分の立場は分かっているのでしょう?」

「勿論……分かってはいるけれど」

「心配しなくても大丈夫よ。マリィは可愛いもの。相手の方も、きっと気に入ってくださるわ」

 そういう問題ではない――と言いたかったが(切実に)、口にしたところで、またお小言がくるのは目に見えている。

(それに、気に入って貰わなくて結構よ)

 嫌われたいとは思わないが、別に好かれても嬉しくなんかない、……と思う。たぶん。

「相手の方には、もうお会いしたの?」

「え……ええ、まあ」

 姉が想像だにしないような、珍妙な出会い方ではあるが。

「あら、どんな方だったの?」

 意外にも興味があるようだ。彼女がそんなことを言い出すとは思っておらず、マリィは少なからず驚いた。こういう話題が好きなのだろうか。

(でも……「どんな方」と言われても……)

 彼をどう表現すればよいのか。


 初めて会ったのは――そう。三十三古書店の前だ。あれから一週間も経っていないのに、随分前のことのように思える。色々と濃い一週間だったからだろう。

 そのときの印象は良く覚えていないが、どこにでもいそうな貴族Aみたいな感じだったと思う。特に悪印象ではなかったはずだ。

 次に会った――というか一方的に見たのは、宰相宮の執務室だったか。ごくごく普通に職務を遂行しており、これまた悪い印象は抱かなかった。


(――あ)

 よくよく考えると、直接的に批判すべき箇所が見つからない。

 彼が何かしらよからぬことを企んでいるのでは、というのは飽くまでもマリィの仮説で、確かな証拠はないのだ。

 ついでに言えば、その人格を表現する言葉も思いつかない。どんな人物かと問われて、それに答えられるほど彼のことを知らない。


 そのことに、今更ながらに気付いた。


「マリィ?」

 不思議そうな姉の呼びかけ。それに促される形で、マリィは口を開いた。

「……普通の方よ」

 迷った挙句、そう答える。正直、それ以外に形容仕様がない。これといって目立った特徴はないし。何より知らないし。


 よくよく考えたら不公平だと、マリィは思う。向こうは自分のことを知っているのに、こちらはろくに情報を持ち得ないなんて。

 一方的に知られていることに対する、何とも言えない不快感。この感情を表する言葉を探すなら――そう。一番近くて単純な言葉だと、ずるい、というやつかもしれない。


 ぶっきらぼうにも思える彼女の口調に、マリーヴィエは目を瞬かせ――可笑しそうに声をたてて笑った。

「あの、お姉様?」

 こんな風に彼女が笑うなんて珍しい。またしても驚きを隠せない妹に、マリーヴィエは「ごめんさない」と謝ってから続けた。

「マリィが可愛いから、つい」

「お姉様、それ……誤魔化しているでしょう」

「あら、そんなことないわよ。だって、さっきのマリィの顔……」

 そこでまた、くすくすと笑う。

 そうやって笑っているときの彼女は本当に美しいのだけれど、笑われている本人としては腑に落ちない。困った顔が可愛いとか。結構酷いことを言われている気がする。

「きっと、あちらもマリィのことを気に入ってくださっているわ」

「それはないと思うけれど……」

 ついさっき会ったが、好意のカケラも感じられなかった。変に媚を売られたりご機嫌取りをされたりしても困るので、ああいう態度の方が良いのは間違いないが。

(もしかして、向こうも乗り気じゃないのかしら)

 ふと、そんな希望的観測が脳裏をかすめる。今まで思ってもみなかったことだが、考えられないことではない。もしそうなら好都合だが。


 再び百面相を始めた妹に、マリーヴィエは本日何度目かの笑みを浮かべる。暫く会わないうちに、随分と妹は変わったようだ。

「マリィ。外を案内するわ。一緒に散策しましょう」

「え、ええ」

 急に出かけると言い出した姉。立ち上がる姿は、普段の病弱なイメージとはかけ離れている。その様子に戸惑いながら――今日は驚かされることが多い――マリィは自ら、姉の白くほっそりとした手を取った。



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