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インターバル ある王女の追憶


 いつの頃だったろうか。自分の世界に限界を感じ始めたのは。


 わたくしが自分の立ち位置を正確に理解したのは、五歳に満たない年齢だったように思う。当時はまだ母と一緒に暮らしていたし、父もよく会いに来てくれたから、自分がこの国の王女であると自覚するには十分だった。そして周りも、わたくしをそのように扱っていた。


 それでも子供の頃はわりと快活だったようで、部屋を抜け出して王宮内を探索することもしばしばだった――らしい。この頃のことは、まるで覚えていないことはないけれど、いくつか記憶が薄い部分がある。特に自分に都合の悪いことは忘れているようで、その部分に関しては後々叔父から聞いて知ったりもした。


 けれど大人になるにつれて、自由に王宮内を行き来することは少なくなった。誰に止められたというよりは、自然とそうなっていったという方が正しい。それは、より正確に自分の立場を理解し始めたという意識的なものもあっただろうし、曲がりなりにも一国の王女としての責務なんてものが出てきた所為でもあっただろう。

 つまるところ、わたくしは順調に、“王女らしく”仕上がっていったのだ。


 この頃はおそらく、色々なことに何の疑問も感じなかったのだと思う。与えられるものをただ受け入れていれば良かったのだから、深く考えることもなかった。

 そして気付けば、自分で作ることを忘れていった。


 人間関係についても、例外ではなかった。自分から外に出て行く機会はなくなり、限られた人としか関わらなくなっていった。

 そうしていつしか、わたくしの周りには“知らない人”がいなくなっていた。

 いつの間にか、世界はどんどん狭くなっていたのだ。


 わたくしが、そのことをはっきりと――前々から違和感はあったのかもしれないが――自覚したのは、一年ほど前のことだった。





 忘れられない記憶というのは、確かに存在すると思う。

 日常生活の合間に起きた、本当に些細な出来事なのに、酷く鮮明に頭に焼き付いて離れない――そんな記憶。

 わたくしは、その記憶には別の.呼び方があることを知っている。

 すなわち、“後悔”であると――。



 もう一年以上前のことになる。

 王宮内を歩いていると、見慣れない侍女が廊下を右往左往している現場に出くわした。

 彼女の様子からして、迷子だということは直ぐに分かった。それほど複雑な作りにはなっていないはずだけれど、王宮という慣れない場所に対する戸惑いもあったのだろう。普段は来ないようなところに迷い込んでしまった、という印象だった。

 しかも運の悪いことに、周りには誰もいない――わたくし以外には。


 このとき、わたくしが取るべき行動は一つしかなかったはずだ。それなのに。

 声を掛けられなかった。

 彼女が困っているのは、一目瞭然だったにもかかわらず。



 一歩を踏み出す勇気がなかったことに気付いたのは、暫くしてからのことだった。

 そのときは逃げるようにして彼女の傍を離れた。見てはいけないものを見てしまったかのように。


 それっきり、彼女を見ることはなかった。だから、その後彼女がどうなったのかも知らないままだ。

 臨時で入っていた者なのか、それとも辞めてしまったのか。考えてもどうしようもないことだけれど、時折頭から離れなくなることがある。

 それはたぶん、もう二度と会うことがないと分かっているから。

 記憶の上書きが出来ないから。

 ずっと、心の中に残ってしまうのだと思った。

 あのとき、助けてあげていれば、と。



 思えばそれが、直接のきっかけだったかもしれない。わたくしが王立女学院に行きたい――王宮を出たいと思うようになったのは。

 勉強が好きだったわけではない。

 庶民の生活に憧れていたわけでもない。

 ただ、自分で自分の世界を広げたかった。

 そういうことなのだと思う。


 自分から何かをしたいと強く願い出たのは、これが初めてだった。

 いくら良家の子女が通うお嬢様学校とはいえ、これまで王族が通った例はない。当然反対されるかと思いきや、意外にもあっさりと願いは聞き届けられた。後で聞いたところによると、叔父が尽力してくれたらしい。



 そして入学式の日、わたくしは出会った。



 久々に出た外の世界。周囲は随分と心配していたことが、今となっては懐かしい。


 早く着き過ぎたので、学校の周辺を散歩しているうちに、わたくしは王立学院の敷地へと迷い込んでしまった。

 王立学院と王立女学院は隣接しているため、結構間違えやすいらしい――と知ったのは、身を以てのことだ。


 最初は何とかなるだろうと楽観視していたものの、時間が経つにつれて、このまま王宮にも帰れないのではないかという気にさえなってきた。慣れない場所に一人という状況は、予想以上に心細かったのだ。


 このときわたくしの脳裏に、ふと彼女のことが浮かんだ。

 一年前に迷子になっていた侍女。

 彼女のことが、助けてあげなかったという事実とともに思い出された。

 そして思った。ああ、彼女はこういう気持ちだったのかもしれない、と。


 彼女と自分を重ねて後悔していると、突然声を掛けられた。

 見慣れないその人は、しかし王立学院の学生だと分かった。敷地内にいるのだから、そうに決まっている。


 ――もしかして、迷った?

 

 問われて、わたくしはただ頷くしか出来なかった。久々に知らない人に話しかけられたのだ。とっさに上手く対応出来ない。

 その後もいくつか言葉を掛けられたが、緊張していてろくな反応が返せなかった。今でも、何と言われたのか覚えていない。

 覚えているのは、戸惑うわたくしに、あの方が微笑んでくださったことだけだ。わたくしを安心させるかのように。

 そして、立ち止まって動けなくなっているわたくしの手を引いてくださった。


 ――こっち、と。





 わたくしが出来なかったことを、あの方はいとも簡単に行った。それが誰にでも出来るような行動でないことは、自分が一番よく知っている。

 本当に、素晴らしい方。

 わたくしも、あんな人になりたいと思った。


 そう。わたくしも――誰かの手を引ける人間になりたい。

 今はまだ、全然あの方のようにはなれないけれど。

 でも、いつか――。

 少しでも、あの方に近付けるようになりたい。


 最初の一歩を踏み出す勇気がほしい。




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