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10.傍観者ではいられない場合

 その日、グランティシェクは職場を離れて、王立図書館へ行っていた。

 宮廷図書館にて昨日の続きをしていたところ、どうしても見る必要のある文献が出てきたのだ。急を要するものではなかったが、今このタイミングで確認しておくのが最も効率が良いだろうと判断し、上司に外出を願い出た。つまり、王立図書館まで行って、かの文献を閲覧したい旨を。

 彼の申請は直ぐに認められたが、その際に「なら今日はそのまま上がれ、帰ってこなくていいぞ」と付け加えられた。願い出た時点で昼を過ぎていたことと、最近働き過ぎの彼を気遣ってのことである。

 そういうわけで、グランティシェクは日が落ちるよりずっと前に、職場を後にした。


 彼がこういったイレギュラーな行動を取った場合、とりわけ融通を利かせて貰ったり、気遣って貰ったりした場合、かなりの高確率で反動が訪れる。

(まったく、面倒な……)

 退出する際に向けられた、悪意の塊のような視線には気付かないふりをする。

 無視だ、無視。有象無象に一々反応していたら心身が持たないし、こちらまで彼らのレベルに身を落とすことになる。あれと同類? 冗談じゃない。


 しかし不思議なもので、こういった輩に限って、無視されるのはお好みではないらしい。

(ないがしろにされているとでも思っているのか?)

 実際その通りなので否定はしないが、だとしたら何故、我が身を振り返ることをしないのだろうか。謎だ。

 憤慨していることがありありと窺える同僚達は、ご丁寧に退出するグランティシェクを呼び止め、「労いの言葉」とやらをかけてくる。適当にあしらって(ここ数年で、このスキルは格段に上昇した)退出すると、彼は足早に王立図書館へと向かった。


 * * *


 閲覧席に座って一息吐いても、完全に疲労感は取り払えなかった。こんなにも疲れているのは、ただ単に週末だからというだけではないだろう。

(誰か、奴らを一掃してくれないだろうか)

 箒で塵を掃くように、ささっと。

(……そう簡単にはいかないか)

 吹けば飛ぶような輩なのだから(頭の中身が)、掃除も楽かと言えば、そういうわけではない。彼らが権力という面倒なものに守られている以上、おいそれと手出しは出来ないのである。出来るとすれば、それはより上位の人間のみ――。


 そう考えた時、自然と昨日のことが思い出された。

(マリーヴィエ殿下か)

 偶然あの場にやって来た、十四番目の王女。これまで宰相から話に聞くだけで、実際に姿を見かけたことはなかった。

 それもそのはずで、彼女はまだ十五歳だという。公の場に姿を現していないのだから、面識がないのも仕方がない。それに彼のような宰相秘書官如きが、易々と話しかけられる人物ではない。あの無能二人組のようになることはないだろうが、楽しく談笑出来そうな相手ではなかった。

(その王女殿下と、まさか関わることになるとは)

 これは想定外だと言って良い。

 ヴィレムの後継を自身が望んでいたことは確かで、あわよくばバルトン家に養子にとも考えていた。その件については、憶測を含め、風聞が飛び交うことは仕方がないと諦めている。それを自らが望んできたことは、確かなのだから。

 しかしその先については、全く考えが及ばなかった。


 グランティシェクは、今更ながら己の認識の甘さを後悔した。最近、自分に対する風当りが妙に厳しくなっている気がしたのは、こういうことだったのか、と。

 次期宰相の地位を約束されるだけではなく、王家に連なることが出来る――貴族連中からしたら、承服し兼ねる事態なのだろう。いや、おまえたちの承服は必要ないが。



 文献を左手で捲りながら、更に彼は昨晩のことを想起する。

 バルトン邸を訪れた際に、グランティシェクはマリィの忘れ物を預けようとした(ちなみに彼が忘れ物を手にしている理由については、適当に事実を端折って伝え、納得して貰った)。するとヴィレムは、あろうことか、自分でマリィに届けろと言ってきたのである。

 これには驚いた。そして当然断った。何故ならこの時点ではまだ、ヴィレムから決定的な言葉を聞いていなかったから。

(ここから、あの話に発展するとは……)

 ライナーから事前に教えられていたのは、不幸中の幸いと言っていい。でなければ、理解の速度は格段に落ちていた。


 しかしその所為で、食事は喉を通らない――とまではいかないものの、いつもより味を感じられなかった。しかも出されたのがカニ料理だったものだから(ヴィレムはカニが好物らしい)、食事中は殆ど無言に終わるというまさかの展開。何故、この状況でカニを出す。いくらカニ好きだろうと、明らかにミスチョイスだ。

 そしてひたすら無言でカニを貪り食った後、ヴィレムは満足そうに頷いた。その表情はカニを堪能したからなのか、はたまた別の意図があったのか――若輩者のグランティシェクには判別不可能であったが、この日ただ一つ分かったことは、自分の将来に関する確約を得たということだった。



 窓から良い風が吹いてくる。

 この時期は最も日が長い。外が明るいので時間の経過に気が付きにくいが、時計を見ると、図書館に来てから一時間以上経っていた。

(あまり進んでないな……)

 当初の目的は達しているものの、逆に言えばそれしか成果はない。せっかくなので、別の作業に必要な資料を集めておこうと思ったのだが。色んな意味で濃い内容の夕食会が思い起こされて、集中力が続かなかったようだ。

 気分転換に窓の外をぼんやりと眺めたグランティシェクは、その視界にある人物を認めると、表情を一変させた。


(あれは――)


 一瞬、幻覚でも見たのかと思った。

 まさに、つい数秒前まで思考していた人物が、眼下に現れたのだ。


(マリーヴィエ殿下?)


 風に吹かれて揺れる、明るい茶色のおさげ髪。白いブラウスに紺色のスカート、手には学生鞄という女学生スタイルは、特段目を引くものではない。言われなければ王女だとは分からないだろう。

 あまり褒められたことではないが、グランティシェクは人の顔を覚えるのが苦手だ。おそらく、他人にあまり関心がない所為だと考えている。それでも、眼下の少女と、昨日ちらりと見たマリーヴィエ殿下が同じ人物であることを確信した。

 一つ、昨日の姿と一致しないことがあるとすれば――。

(そうか。昨日は髪を下していたから……)

 印象が若干違うのは、そのためか。


 それにしても妙だ。

 グランティシェクは首を伸ばす。徐々にこちらへと近付いてくる彼女の隣には、おそらく同年代の少年がいた。身なりからすると、貴族ではないようだ。

 二人の関係性を表現する言葉は見付からない。普通に会話をしているようだが、どこかぎこちない印象も受ける。それほど親密ではないように思われた。

(――いや、違うか)

 マリィを注視していくにつれ、その認識を改める必要がありそうだという結論に達する。

 ライナーからよく指摘されることだが、自分はどうも、他人の感情には疎いらしい。まあ、これに関しては大いに認めるところである。疎いというか、興味がないだけかもしれないが。

 そんな彼でも、目に映る少女の表情からは、ありとあらゆる情報が読み取れた。少なくともマリィが隣の彼をどう思っているのかは、容易に想像することが出来る。



 昨日聞かされた話を思い出してみる。

 解釈を間違っていなければ、マリーヴィエ殿下とは、近いうちに因縁浅からぬ間柄になる予定のはずなのだが。

 これはどうしたことか。

 しかし、だからといって、今ここで二人の間に割って入っていく気はなかった。婚約者面をして出て行って、彼女は自分のものだ、などと抜かすほどおめでたくはないし愚かでもない。その後に起こるであろう展開を想定出来ないほど、愚鈍ではないつもりだ。

 つまり、そんな考えなしの行動に出たら――間違いなく王女殿下の不興を買う。ライナーの表現を借りれば、「嫌われる」というやつだろう。



 ぎこちないながらも、何やら楽しそうに談笑している二人。

 それは、グランティシェクには想像出来なかった光景――。


 それが、とても遠いものに感じられた。


(帰るか)

 あまり、見ていて楽しいものではなさそうだ。かといって、丸っきり無視して仕事を再開する気にもなれない。ここで集中力を切らしたまま無為に過ごすのは、時間の無駄というもの。

 そう思って早々に片付けの準備に入ったが、

「あ」

 思わず、間抜けな声が出た。こればかりは、どうしようもなかった。


 鞄に入れておいたノートとペン。

 持ち主は、今まさに図書館内に入ろうとしている王女殿下である。


(そうだ)

 思い出した。何故今のいままで忘れていたのか、本当に謎だ。

 仕事帰りに王宮に寄って渡そうと思い職場に持ってきたはいいが、途中で帰らされたので、再び自邸に持って帰る途中だったのだ。

 自分の記憶力を疑いながら、グランティシェクは手中のものを見つめる。


 今、渡すのか?

 あの二人の間に入って?


(いや……止めておいた方が良い)

 一応初対面になるのだから、もっと普通の状況で会うのが無難だ。というか、どんな顔をして会えというのか。やはり正式に王宮で対面するのが良いだろう。



 マリィ達と鉢合わせないように細心の注意を払って図書館を出ると、幾分か気分が落ち着いた。

 冷静になって考えてみると、彼女の行動について疑問が浮かんでくる。すなわち、何故この時間に、この場にいるのかということだ。確か、放課後は自習をしているという話で、だからこそ仕事が終わってから訪ねて行こうとしていたのだが。

(まあいいか)

 深くは考えまい。

 明日にでも返却しようと考えて、グランティシェクはその場を後にした。


 * * *


 王立学院と違って、王立女学院は土曜日が休みである。したがって、マリィも自室にいるはずだと考えたグランティシェクは、昼前に職場を抜けさせて貰った(またしても同僚の悪意を一身に受けたが、割愛)。

 ヴィレムから王宮には自由に出入りしても良いという許しを得ているので、中には簡単に入ることが出来た。なお、その際に各所から向けられた好奇の眼差しは、全て無視である。

 しかしマリィに面会を申し出たところ、


「ただ今、お出かけになっていらっしゃいます」


 どこまでも、間が悪かった。


 永遠に忘れ物を届けられないのではないかという気になってきた時、侍女は意外にもあっさりと、マリィの居所を教えてくれた。侍女の一人を連れて散歩に行っているらしい。

「そこに、私が行っても?」

「はい。チェガル様であれば、お通しするように申し付けられておりますので」

 素晴らしい行き届きようである。こういうところでも、ヴィレムの仕事は早かった。



 教えられた場所は、マリィの自室にほど近い中庭だった。

 グランティシェクが建物から出ようと足を踏み出そうとすると、中庭から声がした。とっさに足を止める。


「そんな! わたくしは、何も聞いていないわ!」


 マリィの声だ。

 一昨日聞いた声よりも若干幼い感じがする。こちらの方が地なのだろうと、彼は考えた。

 それにしても、やけに緊迫感のある声だ。何があったというのか。


「どうしてあの秘書官に、そんなことが許されているの」

「そ、それは……宰相様が、そのように、と……」

「叔父様が!? ……わたくしは、何も聞いていないのに。貴女はいつ、どんな風に指示を受けたの?」

「昨日の夜です。今後、チェガル様がマリィ様を訪ねていらっしゃったら、お通しするようにと」

「何なの、それは。わたくしは別に用事なんかないわよ。それに今はまだ、直接会うわけには――」



 思いっきり、自分の話題だった。しかも、何やら聞いてはいけない……というか、あまり知りたくないマリィの心境を聞いてしまった。確かに用事はないのかもしれないが。はっきりと断言されるのも、何やら腑に落ちない。

 そしてこの場に出て行って補足説明したいことがある。


 自分はただ、忘れ物を届けに来ただけだということを。


 何やら可笑しな方向へと広がりつつある指示は、果たして修正が効くのだろうか。

(もう……遅いだろうな)

 ヴィレムが何と言ったのかは知らないが、もう少し誤解のないようにお願いしたかった。


 マリィの緊迫した話し声は続いている。

「昨日ダリオさんとお話しして、改めて確信したところだったのに。この方なら、我が国をより良い方向へ導いて下さる、と。

 ――やっぱり、叔父様の後継者はダリオさんを置いて他にないわ」

 だから、と彼女は続けた。


「あの秘書官には何の恨みもないけれど、宰相候補の座からは降りて貰うしかないの」


(何……?)

 聞き間違い――なわけはない。はっきりと聞いた。今、この場で。

 その後も、侍女が止めるような発言をしたが、マリィの決意は変わらない。「どうやったら、秘書官の代わりにダリオを宰相位に就けられるか」を延々と語り始める。


 その過程で、彼は全てを理解した。


 先日感じた、妙な視線の正体も。

 昨日一緒に歩いていた少年のことも。

 そして何より、あの日――宮廷図書館でマリィが庇った人物が誰なのかを。


 宮廷図書館の件は、少しばかり己の思い違いを恥じた。彼女の叱責の原因は、ひょっとすると自分の為ではないかと、一瞬とはいえ考えたことがあったからだ。そのことについては、事実を知って、まあ……残念な気がしないでもない。

 しかし一方で、不謹慎かもしれないが、グランティシェクは素直に面白いと思った。実際に笑い出しそうになり、それを堪えるのに少々苦労もした。

 自分には敵が多いことを、彼は誰よりも知っている。それでも。


 まさかこんな理由で、自分を蹴落とそうとする人間がいるとは。



 グランティシェクは踵を返した。

 当然ながら、この場は立ち去るのが最良だ。この手にある忘れ物を返すのは、然るべき舞台を整えてからでなくては。


 もしかしたら、今の話は聞かなかったことにした方が良かったのかもしれない。それが正しい選択なのかもしれないが――。

(仕方ないじゃないか)

 珍しく、興味を惹かれてしまったのだから。

 彼女の計画の行き着く先が気になってしまったのだから、仕方がない。

 それにどうせ否が応でも、あちらの陰謀――そう、陰謀だ――に巻き込まれてしまうのだ。少しくらい楽しませて貰っても、バチは当たらないはず。彼女の計画を眺めるだけの傍観者でいる必要はない。


 

 だから彼は――この、王女様のささやかな陰謀に、少しだけ関わってみることにした。




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