9.まずはお友達から
「どこか可笑しなところはない?」
「大丈夫です。ありませんよ」
「本当に、本当に、可笑しなところはないのね?」
「大丈夫です。本当に、本当に、ありませんよ」
この手の会話が、何度繰り返されただろう。
三十三古書店近くの道端で、問答を続ける二人。当然、通行人からは好奇の目を向けられている……かと思いきや、優秀な護衛役(但し傍観に徹している)によって、彼女達の姿は巧妙に隠されていた。通行人は、フリッツという壁に目を止めることはあっても、その奥まで覗き込もうとはしない。
「では、次は自己紹介ね」
やっと外見チェックを終えたマリィは、胸に左手を当てて息を吸った。目の前のエナを対象に見立て、緊張した面持ちで口を開く。
「はじめまして。私の名前はマリィです。――こんな感じで良いかしら」
まるで、習いたての異国語で自己紹介をするかのような挨拶に、エナは少し首を曲げて助言した。
「ええと、ちょっと硬い感じがしますね……。もう少し砕けても良いのではないでしょうか? 普段の、マリィ様の話し方で良いと思いますよ」
普段の、と聞いてマリィは考える。
実際にはあまり使うことはないものの、幼少期より、一通り仕込まれている挨拶があった。
「お初にお目にかかります。わたくしは、アウストリツ王国第十四王女、マリーヴィエと申します。――こう、かしら?」
「ええと……いえ……その、中間のようなものは、ないのでしょうか?」
そんな、がっつり感満載な自己紹介されても……とは言えず、エナは曖昧な笑みを浮かべた。普段通りにすれば何の問題もないのに、どうしてこう、間違った方向へ進もうとするのだろう。
エナの言葉に、「中間って何なの」と本気で悩み始めるマリィ。そこに、これまで口を挟むことのなかったフリッツの声が加わった。
「マリィ様。今はまだ、ご身分を明かされるのはお控えください」
「あ……。そう、そうだったわね」
言われて気付いた。「マリーヴィエ」を名乗ってしまえば、自分が王女であることを暴露しているようなものだ。
ずっと隠し続ける気はないが(計画遂行のために)、いきなり「実は王女です」なんて言えば、相手が困惑するのは目に見えている。そこから、友人関係に発展するはずもない。
そう。まずは、友人関係にもっていくこと。
それが、マリィの目標だった。
昨日の作戦会議において、フリッツは実に有益な情報をもたらしてくれた。
すなわち、「彼」の名前が判明したのだ。
(ダリオ様)
昨日の夜から、心の中で呼び続けている名前。
実際に声に出してもみた。侍女達のいなくなった、深夜の自室で。こっそりと。
これは練習。明日、お名前をお呼びするための練習なの――そう、言い聞かせて。
(やっと、お話ができる……)
これまでは、物陰からその姿を視界に収めていただけだったのが、遂に顔を合わせることになるのだ。嬉しくないはずがない。
昨晩はなかなか寝付けなかったので、実はかなり寝不足なのだが、それを周囲に気付かせないほど、マリィの気合は十分だった。
(でも、そのためにはまず、彼女の協力が必要だわ)
壁になっているフリッツの横で身体をずらすと、その先に三十三古書店が見えた。
計画はこうだ。
三十三古書店店員のユカコと親しくなり、彼女を介して、ダリオとも仲良くなる。
ユカコには全てがバレてしまう形になるが、仕方がない。多少のリスクは覚悟しなければ、成果は得られないのである。――と、マリィは自身に言い含めた。
フリッツが言うには、「さる貴族の令嬢が恩人であるダリオに会いたがっている」ということになっているらしい。彼が協力を求めたユカコは当初驚いていたものの、事情を話すと、快く仲介役を引き受けてくれたそうだ。
やっとマリィの準備が整った頃、三十三古書店入口にて、フリッツは「よろしいですか」と最終確認をした。
「ええ、いいわ」
主の言葉を合図にして、彼はドアノブに手を掛ける。きぃと音がして、その扉は開かれた。
(ここが……)
これまで外観しか知らなかった店を、マリィは眺める。
商品を傷めないようにするためだろう。店内は薄暗く、見通しはあまり良くない。良く整頓されていると言って良いが、さほど広くない店内に商品が敷き詰められているせいか、雑多な印象を受けた。
息をすると、書物特有の匂いがした。埃っぽさが混じっているのは、古いものが多いせいか。
(良いところね)
こういう雰囲気は、嫌いではない。整然とした王宮よりも、こういった場所の方が落ち着く気がする。
はしたなく視線をあちこちにやっていたマリィは、店の奥からした声にはっとした。
「いらっしゃいませ。――――あ」
「お邪魔します、ユカコ」
顔を出したのは、マリィとそう変わらない年齢の少女だった。
黒目黒髪の、小柄な体躯。名前と容姿から考えるに、やはり異国の出のようだと、マリィは判断した。
「えっと、こちらが?」
一緒に入店して来たマリィを見て、ユカコがフリッツに問う。彼女がその令嬢なのか、と。
「はい。この方が、私の主のマリィ様です。…………マリィ様?」
「えっ、あ、ええ……。あの、わたく……いえ、私はマリィ、です」
練習したわりに、全然上手く出来なかった。相手はユカコなのに、これではダリオと会う時が思いやられる。
落ち込むマリィとは反対に、ユカコはにこりとした。
「はじめまして。ここでバイトしてますユカコです。あ、バイトって言っても、お祖父ちゃんがやってるお店なんですけど。
マリィ様はダリオに会いに来られたんですよね。今日はちょっと遅くなるって言ってて……でも、もう直ぐ来ると思います。あ、それまで奥で待たれますか? こんな狭くて空気悪い……って、自分のお店ですけど……とにかく、こんなところじゃなくて、奥でお茶でもどうぞ。お口に合うか分かりませんけど、最高級の玉露をお出ししますから」
すらすらと笑顔で応対してくれる彼女を見て、マリィは気分が沈んでいくのを感じた。
(わたくしとは、全然違う……)
初対面なのに、こんな風に話せるなんて。自分とは大違いだ。
そもそも今回の対面だって、フリッツが尽力してくれたからこそ、実現したものだ。彼がお膳立てしてくれなければ、こうして彼女と話す機会も訪れなかっただろう。
だから、まだ成長出来ていないのかもしれない。あの時から、何も変わっていないのかもしれない。
それでも。
(わたくしは、変わりたい)
顔を上げると、見事にユカコと目が合った。
ユカコは、反応のないマリィに戸惑っていたが、目が合ったことでほっとしたらしい。「どうぞどうぞ」と言って、奥に案内するため手で促そうとして――途中で遮られた。
マリィの、切羽詰ったような呼びかけによって。
「あのっ!」
「はい?」
「私と、お友達になってくださらないかしら!」
「はいっ!?」
突然のことに一瞬ぽかーんとなったユカコだが、慌てて目の前の令嬢を見る。
彼女の目はとても真剣で、若干潤んでいるような気もする。頬も赤い。不安が大半を占めている表情で、ユカコの反応を待っていた。
「あたしで良ければ……ええと、喜んで?」
「本当に?」
あっさりと承諾したことが不思議だったのか、マリィは驚いた表情で見返した。即刻拒否されることはないにしても、こんなにも早く承知して貰えるとは思っていなかった。
「実はあたし、毎日毎日店番ばっかりで、友達あんまりいないから……うん、そう言って貰えて嬉しい、です」
ふふっと笑うユカコ。それを確認して、マリィはやっと安堵の息を吐いた。どうやら、本心でそう言ってくれているのが分かったから。
* * *
一度打ち解けると、マリィにとって、ユカコは話しやすい部類の人間のようだった。
年齢が一つしか違わないということだけではなく、ユカコのパーソナリティに因るところが大きい。彼女は、いわゆる明朗快活なタイプのようで、マリィが貴族だと知っていても、あまり畏まった態度は取らない。「普通に話して」と言えば、その通りにしてくれた。
「二人の関係は、その……」
「幼馴染ってやつかな」
すっかり友達口調にチェンジしたユカコは、最初よりも随分と話しやすそうである。敬語や堅苦しい言葉を使うのは苦手なのだろうと、マリィは思った。
「ということは、知り合ってから長いのね?」
「うん、もう十年以上の付き合いかな」
「つ、付き合い!?」
「え、うん。そうだけど……どうかした?」
付き合い。付き合い。
その言葉を、脳内で復唱する。
別に深い意味はないのだろうけれど。というか普通に交流がある、という意味なのだろうけれど。
(わたくしったら、何を考えているのかしら)
変に過剰反応してしまう自分を恥じていると、きぃと音がして店の扉が開いた。
「あ、ダリオ」
ユカコの声色は全く変化がなく、ともすれば聞き逃してしまうほどのものだったが、マリィは彼女の言葉をしっかりと捉えた。
ダリオ。
その名前を聞き逃すはずがない。
深呼吸して、自身を落ち着かせて、これからの展開をしっかりと考えて。
手順を間違えないようにと集中力を高めているところで、再びユカコの声がした。
「ダリオ。こっちがほら、昨日話した、ダリオに会いたがってる子」
「ああ、うん」
いまいちよく分かっていないような声。何故自分に会いたがっているのだろうかと、戸惑っている様子がありありと見て取れた。
店内の狭い通路で控えているエナとフリッツを見て、更に疑問符を浮かべながら、ダリオは奥へと進んでいく。
近付いてくるダリオに、マリィは胸が高鳴るのを抑えきれなかった。こんなに近くで、しかも正面から彼を見るのは入学式以来である。
(ダリオ様……相変わらず素敵な方……)
あの日から、ちっとも変っていない。
傍にいると無条件で安心出来るような、そんな存在。優しくて、温かくて、広い心の持ち主――。
(さあ、いくのよ)
マリィは自分を奮い立たせる。
ここで何の行動も起こせなかったら、絶対に後悔する。それに、協力してくれた皆にも悪い。
逃げては、駄目だ。
「あの……ダリオ様」
勇気を振り絞って出した、呼びかけ。しかし、
『ダリオ様っ!?』
二人分の声が、見事にハモった。叫んだのは、ダリオとユカコである。
ちなみにエナとフリッツも内心、「その呼び方は!」と思っていたが、少なくとも声には出さなかった。主の言葉を遮るべからず。
「ど……どうか、なさいました?」
まさかそこで反応されるとは思わず、マリィは動揺した。せっかく集中力を高めていたのに、これで一気に崩れた感じがする。
「いや、その、呼び方に驚いて……。あのさ、普通にダリオで良いよ」
「そんな! それはいけません、ダリオ様」
「いやもうほんと止めて! ダリオで良いから!」
ダリオはぶんぶんと手を振る。慣れない呼ばれ方に、拒否反応が出ただけだったが、それを聞いたマリィは酷く傷ついた顔をした。誰が見ても分かるほどに。
「あ……」
さすがに言い方が不味かったことを自覚したのだろう。ダリオもばつの悪い思いで目前の少女を見やるも、しかしながら上手いフォローが思い浮かばない。
店内に流れ始めた気まずい空気を入れ替えたのは、店員たるユカコだった。
「じゃあ、間をとって「ダリオさん」ってのは?」
マリィとダリオ、二人分の視線を受けながら、ユカコは続ける。
「ほら、ダリオは二年生でマリィは一年生でしょ。学校は違うけど、先輩後輩みたいな感じでどうかなぁ、って」
「そっか、王立女学院なんだっけ?」
「は、はい!」
途端明るい表情になったマリィに、ダリオはほっとした。ユカコが事前に教えてくれた情報を口に出しただけなのだが、これで気まずい空気は払拭されたようだ。
「なら、出来ればユカコの言うように「さん付け」の方が有難いんだけど……駄目かな」
「だ、駄目だなんて! そんなことありません!
では……ダリオさん、と呼ばせていただきます」
実際に口にすると、何だかしっくりきた。悪くない。
こうして、両者が納得したところで、呼称の件はようやく解決をみた。
学校のことが話題に出たので、マリィは一番言いたかったことを口にすることに決めた。
こういうことはタイミングが重要だ。時機を逸しては、いつまで経っても伝えられない。
「入学式の日のことを……覚えていらっしゃいますか?」
「入学式……?」
記憶を辿るようにゆっくりと復唱するも、ダリオの表情はなかなか晴れない。その様子から、思い当たることがないようだと、マリィは思った。
それもそうかもしれない。彼にとっては、記憶に留める必要のない、些細なことだったのだろうから。
(けれど、わたくしにとっては――)
とても大きなことだった。
「迷子になっている私を助けてくださいましたよね。あの時は、ありがとうございました。とても助かりましたので……その、もう一度、お礼が言いたくて」
「――ああ。そういえば、そんなことあったっけ」
(良かった……思い出して貰えた)
どこまで思い出してくれたのかは不明だが、記憶を共有出来ただけで十分だ。彼の中に、少しでも自分の存在が残っていたことが、単純に嬉しかった。
しかし、これで終わりではない。この先がもっと重要なのだ。
(言わなければ)
今、言うしかない。
これからも親しくさせてください、と。
お友達になりたい、と。
ユカコとダリオのような関係に、少しでも近付ければ――。
「それで、あのっ」
言わないと、何も始まらない。
ユカコとダリオのように、長い付き合いにもなれない。
付き合えない。
付き合いたい。
付き合い。付き合い。付き合い。
「付き合って!」
何言ってるのわたくし――――!
何言ってるんですかマリィ様――――!
と、彼らは思ったに違いない。
脳内に響いた謎のエコーによって、つい口から出てしまったトンデモなお願いに、マリィは真っ青になった。
しかしそれ以上に、その場の誰をも震撼させたのは、当の本人であるダリオの言葉だった。
「いいよ」
何言ってんだこいつ――――!
と、マリィ以外の三人は思ったに違いない。
事実、ユカコは早速ツッコミの準備に入り、エナは「あわわわわわ」となり、フリッツの目は険しくなった。
周囲が、無責任発言をしたこの男をどうしてくれようかという心境になってきた頃、再びダリオの呑気すぎる発言が投下された。
「何処に?」
一気に静まる一同。
その雰囲気には全く気付かず、「あれ、何処か、行くんじゃないの?」との言葉が、これまた呑気に告げられた。
その、あんまりな発言にいち早く反応したのは、彼の幼馴染だった。
「ちょっとダリオ! なんてお約束なボケかましてるの!」
「ボケって……何の話?」
「ああもうっ!」
「え、何でそんな怒られないといけないわけ?」
「鈍感!」
何も分かっていないダリオにツッコミを入れ続けるユカコ。一方のダリオはといえば、幼馴染の言動が理解できないらしく、目を白黒させている。
エナは苦笑いを浮かべ、フリッツは溜息を吐いた。
静かだった店内が、途端に騒がしくなる。
マリィはそんな二人のやり取りを見ているうちに、肩の力が抜けていくことを自覚した。そして今日初めて、自然な笑みが出ていることも。
「王立図書館まで」
『え?』
ぱっとマリィの方へ向き直るタイミングと、その声。どちらも示し合わせたかのようにぴったりで、マリィは思わず吹き出しそうになる。
笑いを堪えながら、彼女はもう一度、お願いした。
「王立図書館まで、付き合ってください」




