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熱花《ねつはな》

 真っすぐな瞳に憧れた。眼差しも、性格も、真っすぐなひと。その視線の先にあるのはあたしの姿ではなかったけれど。そのひたむきな姿が、大好きだった。

 昼ごろから少し熱っぽいかな、と思った。勉強は好きじゃない。でも塾は好きだった。しかも、今日はあの子が来る日だから、絶対に塾を休みたくなかった。なのに。

「夕路くんこないよー」

思わずため息と一緒に呟きがこぼれた。風邪をおしてまで塾に来たのは、ひとえに恋する松浦夕路くんに会うためだ。待ち続けて三十分。まだ、会えない。

「本当だね」

と、目の前に座っていたいづみ先生も書く手をとめて、首を小さく傾げた。あたしはぼんやりとしたまま、先生の束ねた髪先がやわらかに揺れるのを眺めた。

 色が白くて、小柄ないづみ先生は、とりたてて美人なわけではない。美人な先生なら他にもいると思う。でも、笑うと花がふんわりほころぶような、優しい空気を持っている。どんなにつらいときでも、ぽっと灯りがともるような。そんなあたたかさでまわりを満たす、そういう笑顔だった。当然みんなに人気があって、ことに生徒は自然にいづみ先生のまわりに集まった。そしてほかでもない、あたしの恋する夕路くんも例外ではなかった。彼の視線の先にいつもたたずんでいるのは、いづみ先生だった。

「あたし、夕路くんに会いにきたのにー」

 講師室で駄々をこねてみた。どうしようもないのは百も承知。悲しいからやつあたりをしようと思った。まわりの先生たちの詳しい年齢は知らないけど、少しぐらい甘えさせてくれたっていいじゃない。

 ところが、他の先生たちみんなは、また藤島のわがままが始まった、というように慣れた様子であっさりとやり過ごす。みんなひどい。あたしがますます仏頂面になりそうになったそのとき。

「きっともうすぐくるよ」

と、とびっきりのスマイルをもらった。もちろんいづみ先生だ。その笑顔があまりにも可愛らしくて、優しくて、だからこそ悔しくって、私はその笑顔を直視できなくなり、思わずうつむいた。めまいがするようだった。じんわりと視界が少しにじんだ。でも、会いたい。好きなひとに会ったら元気になれると思うから。

 うつむく視線の先で、いづみ先生の咳が苦しそうにいくつかこぼれていった。


 授業開始時間は刻一刻とせまっている。でもやっぱりあの子はまだこない。がっかりするのと、今までの疲れとで力が抜けて、頬を冷たい机にくっつけた。

 ふと、向かいに座っているいづみ先生の表情が、視線の先に何かをとらえて一瞬華やぐのがわかった。あれ?と思った。しかし、先生は視線をはずさないままなのに、次の瞬間、浮かべた華やぎはかき消えて、曖昧に微笑を散らせた。

「高遠、おまえ顔色悪くねーか」

先生がおさえた頬の陰で、耳がみるみるうちに紅色に染まる。

「えっ。そうかな?」

「風邪か?」

心配そうに曇る声。振り返るまでもなかった。夕路くんの声だ。先生の正面に座っていたあたしには気にもとめず、夕路くんがそのまま教室へと向かうのがわかった。

 あたしの知っている松浦夕路というひとは、いつでも自由なひとだった。笑いたいときに笑って、やりたくないことはやらない。誰に何を言われても、何にもとらわれることがなく、走り抜けていく。その奔放さに憧れて、どんどん惹かれていったのだ。でも。その夕路くんが、唯一立ち止まる場所。それが、いづみ先生だった。

「あたし、帰る」

頭もぼうっとしていたからか、絞りだした声は、思っていたよりずっと静かに響いていった。

 いづみ先生の顔色が悪いなんて、あたしは何も気付いていなかった。さっきからずっと、正面に座っていたのに。よくよく考えてみれば、先生は確かに、さっきから時折咳き込んでいたのだ。私は気にもとめなかったけれど。夕路くんは、一部始終を見ていたわけじゃない。通り過ぎるだけの、ほんのわずかな時間で先生の体調の悪さを見抜いた。それが、夕路くんのいづみ先生への想いの深さを表している。それだけ大切な、存在なのだ。


 ベッドに入ってからも、夕路くんといづみ先生のことが頭から離れなかった。熱のせいで、少しだけ息苦しかったけれど、気持ちはとても穏やかだった。夕路くんと先生が、お互いを大切に想っていることをあたしは知っている。だてに夕路くんのことを追いかけていたわけじゃない。年齢の差がいくつあるかはわからないけれど、相手を想うことに年齢は関係ないんだと思い知った。先生だから生徒だから…、ということではなくて、あの二人はお互いを一個人として認め合っているから。それは、とても素敵なことだと心から思う。

 失恋をしたわけだけど、先生のことを夕路くんが好きだったのは前からわかっていたことだったし、何よりもあの二人のような対等の関係に憧れたから、悔しいという気は起こらなかった。

 あたしも、相手を一人の人間としてありのままに受け入れるような、そんな恋をしたい。そう思えた。もちろんあの二人が結ばれるには、たくさんの苦労があるのだろうけれど。世間からは反対される恋だろうとは思うけれど。あたしは、うまくいってほしいと願う。あたしはあたしで、新しい恋をしよう。あの二人に負けないような。

 まどろみの中で、熱が身体の内側でとけていくのを感じた。

夕路くんへの淡い恋心も、あたしの胸にじわりと広がり、しみ込んでいく。たとえ、失恋をしたとしても、想いは忘れられていくのではなく、こうして次の恋を花咲かせるための肥料になる。あたしは、次こそ誰にも負けない、きれいなきれいな花を咲かせよう。あなたとの恋は叶わなかったけれど。あなたと出会えて、本当によかった。

「ありがとう…」

大切に大切に紡いだ言葉。どうか、あなたのもとに届きますように。――

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― 新着の感想 ―
[一言] 文章は別に問題なかったのですが、作品全体を見るとかなり問題ありそうな気がします。 というのは、日本語としては完璧に意味が通っているのに、この作品全体で見てみると話が見えてこないんです。 だか…
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