お宅訪問
まずはとりあえず私の家へ行くことになった。
どうやって行けばいいのだろうか。
まさかバスや電車を使うわけにはいかないだろう。
考え込んでいると糸目さんが私の手をとる。
男の人と手をつなぐなんてここ数年無かったことだったので少し緊張した。
「では、あなたのお宅をイメージしてください。難しかったら強く思うだけでいいですよ」
言われて目を閉じた。
自分の部屋である離れを思い浮かべた。
初めはぼんやりとした印象だったが少しずつ鮮明になり、はっきりとまぶたの裏に像が結ばれた。
すると一瞬自分の体の中を風が通り抜けたような印象を受けた。
その直後、急に体が不安定になった感じがした。
この状態を体があるというのかどうかは分からなかったが。
なんとなく怖くなり、目をきつく閉じて無意識に糸目さんの手を強く握り締めた。
糸目さんの手は予想以上に暖かで大きく、安心できた。
ほんの一瞬だったのか、それとも実は数分間続いていたのか分からないがふいに体に感じていた不安定感が消えた。
「もう大丈夫ですよ」
糸目さんの声にそっと目を開けると、見慣れた扉が目の前にあった。
次いで、糸目さんの手を強く握っていたことに気づいて慌てて手を離し、謝ると糸目さんは気にしていないらしくいえいえ、と首を振った。
そして離れを見上げ、母屋や周りの景色を見つめた。
「純和風ですね~」
糸目さんがほうっと感嘆の息をついた。
祖父の家は広い敷地をもつ日本家屋だ。
敷地内には箱庭もあり、一見すると旅館のようにも見える佇まいで、国から文化財にしていされるという話しも出たことがあると聞いた。
文化財に指定されると簡単に改築も出来なくなるので祖父が手を回して反故にしたらしい。
私が使わせてもらっている離れは、元々あった離れを改築したので扉は引き戸だ。
周りには敷石と玉砂利が敷き詰められており、脇には花が植えられている。
母屋から見える位置にあり、隣には蔵がある。
「それにしても広いお屋敷ですね」
糸目さんが離れから見える母屋や庭をキョロキョロと見渡し、旧家のお屋敷みたいですね、と糸目さんがつぶやいた。
あながち間違えでは無い。
この屋敷の原型は古くから続く商家であった高祖父、つまりはひいひいおじいさんが建てたものなのでかなり旧家ではある。
士族でも華族でもないが。
軽く説明すると糸目さんは私をじっと見てから首をかしげた。
「ひょっとして芳澤さんはお嬢様ですか?」
「違います」
糸目さんに私と父方の実家との間の詳しい事情を話す気はないが、そこだけは否定させてもらう。
私は居候させてもらっているだけなのだから、その誤解は困るのだ。
父方の親戚は私が祖父に媚を売って財産を分けてもらおうとしているのではないかと、懸念しているらしく、今でもしょっちゅう釘を刺しにくる。
お前はお情けでおいてもらっているだけなのだ、自惚れるな、と。
分かっていることを何度も何度も繰り返し言われると流石に疲れる。
思い出してついため息をつく。
とりあえず離れに入ろうと扉に手をかけるが
掴めない。
一瞬びっくりしたが、すぐに自分の状況を思い出した。
今の自分は実体ではないのだから触れられるはずがないのだ。
扉が閉じた状態で思い切って突っ切る。
目の前に扉が見えたときには思わず目を閉じたが次に目をあけた時には見慣れた自分の部屋が広がっていた。
朝出てきたばかりだというのに、まるで何年も帰っていなかったかのような懐かしい思いが心に染み渡った。
扉の前で待っていたがいつまでたっても糸目さんが入ってこない。
「糸目さん?どうかしたんですか?」
すると扉の向こうから戸惑った糸目さんの声がした。
「いやあ、若い女性の部屋に入るっていうのはちょっと緊張しちゃいまして・・・」
人の記憶を覗いておいていまさら何を言う。