第54話 グルンクルス会戦(正午)
「まずいな」
シルバ遠征軍第一輜重隊、隊長のレニエ大尉である。予備の望遠鏡を目に押し付けたまま。
「どうしたんですかい、大尉。異教徒が殲滅したんですかい?」
副官のドルス兵長である。違うと思うけど…ハンスは思ったが口には出さない。
「馬鹿野郎、逆だ」
「ガストーネ軍が…押している…んですね…」
「マジかよハンス伍長!」
「ハンスの言う通りだ…準備しとけ、お前たち」
「ちっ、塩っぱい話だぜ。戦場漁りで一儲けしようと思ったのによ」
「生きてりゃ機会はあるさ。ハンスも、早くしろ」
「あの…戦場漁り、って…?」
「なんだよ伍長、しらねぇのか? これだからおぼっちゃまは…。戦で死んだやつの装備を剥ぎ取るんだよ。いいカネになるんだぜ?」
「おい、お喋りしてる暇はないぞ」
「だったら…その…ガストーネ軍も欲しい、って事だよね…。例えば、あのワインとか、着替えの法衣とか…」
「なるほど」
レニエ大尉が頷いた。
「ハンス、そっちはお前に任せる。ドルス、さっさと準備しやがれ!」
「な、なんだよ一体…?」
「おめえは筋肉で逃げろってんだ、ハンスは頭で逃げるからよ!」
「益々わかんねぇよ!」
「ハンス伍長よぉ、こんな無駄なもん、どうすんだよ」
モーリスがぼやく。悪いけど、あんまり説明している時間…なくて。
「いいから言われた通りにしろ! 敵を撹乱する!」
「なんかかっこいいっすね! のった!」
「…」
か、カール君…相変わらず話してくれないよ…。
まずは輜重の仕分けをしなきゃ。僕らと…あと、多分逃げてくる兵隊さんの食事は分けないと…。フランソワなら、どうするかな…。多分…。
「チーズと赤ワインはドルズ兵長に渡せ! それから穀物、干し肉の類もだ! 白ワインとシャンパン、法衣と金貨は徴収する!」
ぎ、銀貨は持っていこう…もしかしたら、使う場所があるかもしれないし…。
馬車に積み込んで、移動。森の入り口とか、少し高い場所とか。目立つ場所に置く。
こ、これで良いのかな…?
「…かんばん」
え、誰の声? と思ったんだけど。
「カールがしゃべったあああああああ!」
一番驚いていたのはニルスだったよ。でも。
「そ、そうか…! ニルス、木の板を用意しろ! ペンキも!」
「な、何をするんです!?」
「カールが教えてくれた!」
筆を取って、一気に書き切る。
シルバの高級ワイン
一銀貨相当
「他も行くぞ! 早くしろ!」
ハンスと三名、戦場を駆け巡る。
マクシミリアンは時を伺っていた。
無論、反転構成の機ではない。
自分が逃げるための機である。
「マクシミリアンさま…」
寵愛している稚児が朧げにマクシミリアンへ寄り添う。この男、戦場に稚児を連れる程度の男であった。
「おお、愛いやつめ。安心せい、敵は我らに指一本触れる事叶わぬわ」
機は、一度限りよ。
全軍が突撃し、本陣に空白のできる、その一瞬のみ。兵らに撤退を気付かせず、我らが戦場を脱するまでの時間稼ぎをしてもらわねば困ると言うもの。 直下の騎士らはすでに準備を終えている。あとはシルバに戻り、敗戦の原因を他になすりつければ良い。例えば、ヨハンの奴が裏切った、などと…。
それまで、三万の兵が我らを守るであろう。天上では神を守りし英傑として、酒池肉林の来世を約束されたようなもの。悪い条件ではあるまいよ。それに、いくらガストーネと言えどもこの兵力を突破できるはずもなく…。
しかし、マクシミリアンの「策」は一瞬で崩れ去ることになる。
「敵襲!」
伝令兵が駆け込んだ。
「く、黒い騎士団が…!」
マクシミリアンは見た。
黒き暴風を。全てを薙ぎ払う壁の如く、一つの巨大な野獣のような塊を。
ガストーネ精鋭騎士団、敵本陣へ一直線。
「な、なぜだなぜだ! 我が聖光燦然騎士団がなぜ紙のように切り裂かれるのか! 貴様ら、止めろ止めろ! やつを止めろ! 奴こそ仇敵、ガストーネであるぞ! 誰ぞ勇者はおらんのか! 奴を殺せば戦功第一である!」
「拙者が!」
一団を率いて、武者がガストーネへと向かう。聖光燦然騎士団でも名うての武者である。
だが。すれ違った瞬間に、その武者の首が天を舞った。
もはや、マクシミリアンに理性は残っていなかった。死の恐怖が瞬時に脳髄を支配する。だが、身体とその口は的確に反応した。
「撤退じゃ、体制を立て直す!」
マクシミリアン、逃亡。麾下の騎士らもその後に続く。誰も彼も生きた心地がしなかった。目を瞑り、股間の汚水にも顧みず、ただ逃げた。
だが、マクシミリアンはもう少し、後わずか待てば良かったのだ。
ガストーネが、その獲物を唐突に変えたのだから。
そう。
北方より、ヨハン率いる氷壁重歩兵団が乱入してきたのである。
「マクシミリアンなる俗物に興味無し! フェンリル・ベルクと雌雄を決しようぞ!」
ガストーネの指示で、騎士団が北に転ずる。
一方。
「ガストーネを弾き返せ! フィヨルドのために!」
ヨハンも吠える。
フィヨルド最強の矛と、最大の盾が衝突する。
矛盾、と言う言葉がある。
「全てを貫く矛」
そして
「全てを防ぐ盾」
では、その矛で、その盾を突けばどうなるのか。
結果は、矛は盾を傷つけるも貫くに至らず。
初撃をファランクスで迎え撃った氷壁重装歩兵団は数名を失うも、突破を許さなかった。一方の黒鋼疾風騎士団も、何名かが落馬し首を折ったが、崩壊には至らず。
だが。
「ヨハン!」
ガストーネが一騎、風魔法の力を借りて、天に飛んだ。人馬一体の神技である!
ファランクスの壁を越えて、風と重力をそのまま勢いに変え、背後に控えるヨハンへ青龍刀を振り下ろす。
「ガストーネ!」
ヨハン、土魔法でその硬度を高めた大楯で防ぐ。瞬間、衝撃波が起きた。
ずしん、とヨハンとガストーネの周りにクレーターのような凹みが生まれる。氷壁重装歩兵団の何人かが吹き飛ばされた。ヨハン、そのまま身を捩り、大槍を放つ。大地に下りたガストーネの愛馬が踊るようなステップを踏んで、ヨハンの槍を虚空に泳がせた。
「腕を上げたな、ガストーネ!」
「貴殿もまだ耄碌しておらんな! せいぜい最後の忠義を果たすが良い! 決戦はクルスクにて!」
「承知よ!」
愛馬が吠えて、一目散に離れていく。騎士団らも一矢乱れぬ動きでその場を去っていく。
「ヨハン辺境伯…!」
「追うだけ無駄よ、我らには追いつけぬ。きゃつの言う通り、忠義を果たそうぞ!」
おう、と鬨の声。
だが、戦場はもはや、崩壊していた。
マクシミリアンは、逃亡が早すぎたのだ。
兵士らに目撃される程度に。




