第20話 フェンリル・ベルク上陸
「この入江が一番マシだな」
翌日の薄明のころ…というか、ずっと薄明みたいな明るさなのだけれど、バルタザールさんが東側を指差したわ。
「ガレ場だけど」
ガレ場というのは、石ころが一面を覆っている、歩きづらい場所のことよ。
砂浜らしいものが見つからなかったの。他は入り組んだ断崖絶壁ばっかりで。
「爺さんよ、奥の崖地は厳しいんじゃねぇか?」
バルトロメのいう通り、ガレ場の奥は傾斜がキツそうね。
「ざっと五メートルだ。おめぇさんならいけるだろ。縄梯子持ってけ」
「ち、人使い荒いぜ」
バルトロメがぶつぶついいながら縄梯子を用意したわ。他にも、お兄様から背嚢を渡されたの。
「一応な。色々役に立ちそうなの、いれといた」
「ありがとう、お兄様」
エラリーが絶望的な顔をしていたけど無視するわね。
◇◇◇
上陸したら、思った以上に足場が悪かったわ。
コケっぽいのがそこら中に生えていてね、とにかく滑るの。軍用靴もお借りしたのだけれど、慣れないと重くて硬いのよ、あれ。
「シオン、いける?」
「このくらいなら」
シオンを先頭にしたの。シラカ山脈もこういうガレ場が多いからね。バルトロメは最後尾。エラリーの補助をお願いしたわ。
三十分ほど歩いて、崖地に着いたわ。
見上げると壮観ね。
「ここ、登るの…?」
エラリーはすでにバテバテだったわ。背嚢、バルトロメに預けているし。
「お嬢、行ってくるぜ」
バルトロメが崖に手を置いたわ。
「あ、待って。シオン、どうかしら?」
シオンも崖を見上げていたわ。
「普通だな」
「だよね」
前に見たことがあるのよ。アマアズミ近くの崖地をひょいひょい登ってく姿。私も少し、登坂のやり方は教わったの。
「こういう岩場はシオンが一番慣れてるわ。シラカ山脈はこの比じゃないもの」
「全部が全部、じゃないけどさ。じゃ、行ってくる」
背嚢に縄梯子を入れて、ぺっ、と両手に唾をつけるとシオンがすいすいと登って行ったわ。
このくらいの傾斜なら私でもできそう。取っ手になる岩も多いし。
「シオン、わたしも登っていい?」
シオンがちら、と私を見たわ。
「いいよ」
「バルトロメ、お兄様には内緒ね」
「もちろんだ。気をつけてくだせぇ」
お父様には内緒にしていたけれど、アマアズミには丁度いい岩場があるのよ。三メートルくらいで、手足を置きやすいの。目的なんてないわ。ただ登って、渓流を眺めるのが好きだっただけ。
その岩場よりは高いけれど、誤差の範疇だわ。
登坂、つまりクライミングの基礎は三点確保よ。
右手、左手、右足、左足のうち、三点を固定するの。動かすのは残りの一箇所、ということ。
最初は右手で岩を掴んで、右足を別の岩の隙間に差し込む。次は左手。この岩が掴みやすいわ。これで三点ね。
左足をやや高いところにある岩の出っ張りに引っ掛ける。ぐい、と押してみたわ。たまに浮石といって、グラグラする岩があるのよ。そういうのは避けないと、岩ごと滑落しちゃうの。
次は右足を上に。続いて右手。
シオンと同じルートを取れればいいのだけれど、あいにく手足の長さが違うのよね。少し手前を確保しないと。その場その場でルートを見つけていくのよ。
これがパズルみたいで面白いのよね。
「よっと」
「速くない?」
無事に頂上でシオンと合流。
「ふふん、大したことはなかったわ」
「だな」
二人で縄梯子を設置する。
最初にニコラス、続いてエラリー、最後にバルトロメが登ってきたわ。
全員が集まったところで、周囲を確認。
ステップ地帯というのかしら?
見渡す限りの平原だったわ。
「フェンリル・ベルクってどこかしら?」
「南東に三里程度だと思いまさぁ」
バルトロメが言ったわ。
「それなら夕暮れまでに着きそうね。早速出発しましょう!」
◇◇◇
フランソワを見送って数刻。
ノイエ・エーテル号はすでに沖合に出ていた。
海流に身を任せる。水平線に近いところに漁船が一艘。フェンリル・ベルク沖は漁場としても有名であった。何しろアリアから遠征するほどである。あの漁船も、おそらくアリア船籍だろう。
「ヨナス。何かわかった?」
セシルが声をかけた。小柄で細身の男性である。
ヨナス・オーシャンという、アリアの没落貴族である。セシルとは学生以来の友人であった。現在はノイエ・エーテル号の海洋研究主任として同乗している。
「色々と。暖流はこの付近まで流れているね」
「漁師たちは『潮目が変わるところが最適』と言っていたけれど、関係があるのかな?」
「証明はされていないけれど、仮説の存在である『寒流』を証明できる機会かも」
「面白そうだ。では、もう少し北上しよう。通常航行でいいか?」
「そっちの方が調査、しやすいね。バルタザール殿も測量でしょ」
「ああ。沿岸部を沿うように北上する格好になるな。やれやれ、バルトロメがいないと面倒だ」
よいしょ、とセシルが船長椅子から立ち上がった。そして扉をいつもより激しく、わざとらしく、演技ぶった仕草でぶち開けた。
「野郎ども、耳をかっぽじって聞け、出航だ!」
それまで甲板でのんびりだらりと酒を煽っていた乗組員らが、セシルの怒声に全員がビシッ、と直立不動になった。
「トロトロしてんじゃねぇぞ、俺様の魔法で氷漬けにされたいか! テメェら、俺達はなんだ!」
「アリア一の海賊でさぁ!」
「海軍だ馬鹿たれ! ノイエ・エーテル号はミルドガルド最速だ、鳥よりも速く、蜂よりも機敏に動け! わかったらさっさと帆を上げろ、舵を北に取れ! 俺が満足するまで一時だって手を休めるんじゃねぇぞ!」
「アイアイサー!!」
ノイエ・エーテルは途端にまどろみから目を覚まし、ぎぎぎ、と船首を北へと向けた。
「猶予は一週間…長いようで短いわ」
そこでヨナスは独り、ポツリと呟いた。




