金曜が消えた
金曜が消えた。
三週間連続で。
次は休日が消えた。
一月の間、丸ごと。
その次には、月曜が消えた。
2週間。
そんな変わった日の進みが続く。
そして今度は、木曜が消えた。
消えてからちょうど、二月と6日。
薫る風から春が消え、夏の気配がする5月の頭、昼下がり。
ざわめきと足音が絶えずこだまするオフィスで。
淡々と綴られた文字を前に、頭を抱えた神経質そうな男が、舌打ちをこらえ、部下を呼んだ。
「田淵!」
意図せずして大きくなった声量に、オフィスの音が途切れ、呼ばれた相手は慌てて返事をした。
「は、はい!」
ばさばさと机の上にあったのであろう資料を落としながら谷地上がる。
「任務だ、支度してこい!」
「は、はい?え、僕が、ですか?」
「そうだ、支度できたら資料室に来い。」
言いたいことは山ほどあると言いたげな相手を無視して話を進めた。
こればかりは仕方が無い、なにせこれ以上時間はかけられないのだから。
慌てて部屋から駆け出していく田淵の背を送ってから資料室へと向かう。
報告が来た土地の管理者は確か―染井、か。
名を浮かべ、ふと頭を掠めたある事件について、伝えるかを悩んで手を止める。と、
バタバタバタ、バタン、!
慌ただしく部屋に駆け込んで来た音がした。
「すみません、支度できました!」
「…早かったな。これが、くだんの管理者の家についてのものだ。くれぐれも、軽率な行動は慎むように。分かったな?」
「はい!えと、それで、同行者は…?」
「…いないぞ?」
「え?」
「人手不足だ。悪く思うな。」
「えぇ…。」
「というか一昨日の朝礼で言ったよな?一体何をk」
「すいません、すぐ向かいます!」
追及を逃れるように駆け出してく部下の背を見送りながら、男はため息をついた。
そして自分の机に向かい歩き出してから、もう一度深くため息をついた。
デスクの上に山積みの仕事が見えて。
管理者に気を配るのはもちろんだろうが、こちら側の人数も何とか増やせないかものか、とどうにもならない事を考えてながら歩いていた、からだろうか。
後ろかくる。見知った男に気づかなかったのは。
「あれ?田淵サン、もう行っちゃったんですか?」
「ああ。というか何でお前がここにいる?黒田。」
「いやぁ、珍しいところでズレが起きたって聞きまして…何かお力になれないかと。」
「嘘つけ。」
間髪入れずに突っ込むとえぇ、ヒドイな~と気の抜けた抗議が返ってくる。
「お前が興味あるのはズレを起こした家の方だろ。」
「あれ、バレてました?まあでも、興味があるのは僕だけじゃないと思いますけどね。なんせ、あんな事があったんだから。」
「黒田。」
咎めるように名を呼べば、肩をすくめてごまかされる。
「貴方だって、多少は思ったんでしょ?だから―」
目敏く手に持った1枚を見つけて言い募る。
「彼に渡す資料から、それを抜き取ったんだ。」
「…。」
手に持った一枚。
それは、おそらく今回の問題に深く関わっている―。
あくまで勘だが、男はそう思っていた。
だからこそ、部下に持たせなかったのだが。
「ご丁寧に抜いちゃって…困るんじゃないですか?」
「持っていくほうが問題になるだろ。それにあいつは―下手に教えたほうが失敗する。」
「あー確かに。気を使いすぎちゃう、と。」
「そういうことだ。」
「へえ。珍しく心配してるんですね。」
「うるさいもう帰れ。」
―――――――――――――
ガタン、ゴトンと重く音を震わせながら鉄の塊が走る。
振動を背に感じながら、田淵は渡された資料を開いた。
染井家―波瑠里の一体の時を管理する地主。
地域民との関係は良好。
良好すぎるあまり、第二十六代目当主が子供の願いで曜日を消し、咎めを受ける。
二十七代目当主は生涯で一度もズレを起こすことなく役目を全う。
その実子で二十八代目当主もまた、問題を起こすことはなく生涯を終える―
淡々と綴られた文字を追う。
と、捲る手が止まった。
続きがない―?
三十七代目当主のあと、三十八代目当主の就任については書かれているが、その後約一頁ほどの記録が消えている。
そして次にある頁には、三十九代目当主、染井 佳乃についての記録。
と言っても就任したのは半年ほど前だからか、大した情報はなかった。
あるのは血筋の正当さを示す冷たい文字の羅列と、家族構成のみ。
家族は当主でもある父とその妻である母、5歳年の離れた兄―。
パタン、と資料を閉じる。
見る前は軽くも感じたそれは、今やとてつもなく思い物となっていた。
深く長くため息をつきながら、田淵は黙ってこめかみのあたりをさすった。
おそらくは意図的であろう落丁、ちらりと見えた当主の誕生年。
そして今回起きた問題。
間違いなく、何かがある。
思ったより難しい任務だった、どうしたものかと思案する頭に、アナウンスが響いた。
―次はー波瑠の里ー波瑠の里ー。
もうついたのか、と少し驚きながら、鞄を持って出口に向かう。
プシューと息を吐きながらおとなしくなった塊はホームに滑り込んだ。
ホームに降り立ち、体をほぐすように伸びをしていると、遠慮がちに声をかけられた。
「あの、田淵三等時官でしょうか?」
「んえ?あ、はい、僕、じゃなかった私が本部から参りました田淵です。して、貴方様は…?」
若干の疑いがにじんだ声で問うと、慌てたように相手が名乗った。
「っ私は、波瑠里専属五等時官、染井明です。名乗りが遅れて申し訳ありません。」
「いえ、お気になさらず…それで当主様はどちらに…。」
「当主様は、ここから少し離れた本邸に居られる…筈です、多分!」
随分と煮えきらない返答をする明に、戸惑いながら、荷物を抱え直す。
せかされるようにして乗り込んだタクシーの運転席から、ぶっきらばぼうに行き先を問う声がした。
「どこまで?」
「染井の本邸まで、お願いします。」
途端に車内の空気が張るのがわかった。
「お客さん…もしかして、本部の方ですか?」
「…なぜ、それを。」
驚き、思わず問い返したものの、すぐさま愚問だったと思い直した。
この場所に、自分のような恰好をしているものなど多くない。
そう考えていた田淵の耳には、しかし、想定外の答えが響いた。
「なに、来られるとすればそろそろだと、皆で話していた所なんです。」
「そう、でしたか。」
思わぬ返答に、内心戸惑う田淵を置いて、運転手は車を進めながら話続ける。
手と口を同時に動かすなんて器用な奴だ、とあきれとともに体を座席に預けた。
本邸へはどれくらいだったか、と頭の中で思い起こそうとした田淵の耳に、運転手の言葉が引っかかった。
「...評判?」
「ええ。なんでも、今度の担当は―偉く期待はずれだってね。」
「それ、は…。」
思わぬ藪をつついてしまったと、慌てて顧みた明の顔には、悔しさとも、むなしさとも、あきらめとも見える感情が浮かんでいた。
黙りこくった客二人に、何を思ったのか、なおもことばを吐き続ける運転手。
「そりゃあ、時々だったらまだいいってもんなんでしょうがね。ああも長く変わってしまうとなると…ねぇ?」
何が面白いのか、かすかに笑みを浮かべた男がだらだらと無駄話をしているうちに、車は本邸へ到着した。
口先ばかりの礼と、代金を押し付けるようにして渡し、飛び出すように車を降りる。
一つ遅れて明が下りるのを確認するなり、元来た道を帰っていく車を冷めた目で見ながら、肩を落とした様子の明にわびた。
「すみません、明さん。どうも、余計な藪をつついてしまったようで。」
「いえ、そんな…。お気になさらないでください。今この土地では、どの藪をつつこうが、同じ蛇しか出てこないので。」
きをつかうだけ、むだなんです。
そううつむいて返す明は、しかし門の前で無理やり笑顔を作った。
きっと、みんな心待ちにしています。
そういいながら門を開けられた屋敷から、悲鳴のような懇願が響いた。
「佳乃様、どうか鍵をお渡しください!そのカギがなくては、」
思わず固まった田淵に、申し訳なさそうに眉を下げた明がわびた。
「すみません、どうやらまだひと悶着が終わっていないようで…。」
「いえ、むしろ…。好都合です。今回私が来た理由はこれですから。」
すみませんが、案内を。そう言いかけたところに一人の女性が駆けてきた。
「本部の方でしょうか?すみません、今は―。」
「いえ、お気になさらず。私はただ、ご当主にお話を「話ならばここで聞きます、時官殿。どうぞ、邸宅の中には入ることがありませんよう。」
凛、と頭上に響いた声に驚き、思わず宙を見た。
邸宅の門、その両脇を縁取るようにそびえる松のこずえに、頼りなげにうつろう瞳の少女が腰かけていた。
少女の姿を見とがめた女性が青ざめ、小さく佳乃様、とつぶやくのを見て、ここで話をしろと上から告げた、この少女こそがこの家の主にして此度の元凶なのだと、田淵は理解した。
であれば、やることは一つ。
田淵は少女の腰かける松の木に向き直り、声をかけた。
「では、ここで要件を申しましょう、私は此度の一件について本部より派遣されました、三等時官、田淵桜馬と―」
面食らうことなく要件を告げ始めた田淵に驚いたのか、固まった少女の口はぽかん、と開けられたままだった。
が、気にすることなく話を進める。
「単刀直入に申しますと、染井家の方には一刻も早く正常な時の流れに戻していただきたい、との通達です。」
「できない、と申せば?」
要件を告げ終わるとようやく口を閉じ、そして問い返す。
ようやくこちらをむいた目にやはり昏い色がともっているのを見て取った田淵は一度固く口を閉じ、そして意を決したように口を開いた。
佳乃様、といさめる声は、聞こえなかったふりをして。
「この土地から、永遠に正常な時の流れは訪れなくなります。」
思った返答と違ったのか、それともこちらの意図をはかりかねているのか。
あるいはその両方か。
惑いを宿した瞳が問う。
「それは、つまり。永遠に消え去ると、そういうことか?私が今閉じている蔵に入った時は。」
「そう、なります。」
「…なぜ?」
答えてなお、惑いは消えない。
「無理やりにでも開けろと言いに来られたのでは?」
まっすぐにこちらに問う主に、同じく正面から答えた。
「最初は、そのつもりでした。」
「ならば、」
詰問の声を押さえるように答えた。
「ですが、そうあってはならない理由があるのでしょう?佳乃様。少なくなくともあなた様の中には。」
返答に詰まる子供に、やはりか、と心の中で呟いた。
意図的にちぎられた頁の詳細は知らないが、予測はできる。
そして、先ほどのタクシーで運転手が語った、この土地に古くからある伝承。
この世のものではなくなったものに会う、唯一の日。
どの曜日にも当てはまらない、空白の一日。
その日だけは、生者であろうとも死者に会える―。
そして、曜日は蔵をあけて解放されなければ、どの曜日にも当てはまらない、空白の一日となる。
「ですから、佳乃様。こうしませんか。一日だけは空白にしてもいい。だから、代わりに他の曜日はすべてしっかりと管理すると。」
約束していただけるのでしたら、一日をなくしてかまいません。
そう告げると、少し迷ったのち、小さく返された。
「約束しよう、その代わり。一週間のうち、一日だけは。」
「もちろん、しめていただいて構いません。いつになさりますか。」
「金曜日。一週間のうち、金曜日だけは、空白にしたい。」
金曜日、の一言を聞いて後ろで小さく息をのむ音がした。
田淵はうなずくと、安どしたような声が上がった。
やはり何かあったのだろう。
余計な詮索をする気はないが。
「それではその旨、本部に連絡させていただきます。」
一礼し、周りに集まっていた人々にお騒がせしましたと告げ、去ろうとした背中に、小さく声が降った。
「…感謝する。」
いつのまにやら梢からも姿を消した当主の、確かな礼に眉を下げ、田淵は邸宅を後にした。
そして、本部へと、確かに伝えたのだろう。
波瑠の里には、いらい金曜日が消えているのだから。




