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彼女は彼

 シエルフォード殿下は、水の聖女を迎える準備が整うまで、診療所で過ごして欲しいと言う。

 シャーナさんは信頼されているのだなと思う反面、淡々とそれを受ける彼女にも慣れているなという印象を受ける。

 ぼんやりとそんなことを考えながら、昼食の皿を洗っている時だった。


「シャーナ!」


 子どもを抱えた母親が、血相を変えてバタバタと走って来た。


「落ち着いて。何が?」

「や、屋根…屋根から落ちたのよ…意識がなくて…頭から血、血が!!」


 ベッドに運ばれた少年は、ぐったりとして反応がない。

 シャーナさんは傷を診たり、瞼の状態を診てから私を呼んだ。


「新鮮な水を桶に」

「はい、すぐに」


 桶に出現させた水に、布を浸すと、傷口を拭ってからまたよく観察している。

 母親はおろおろとして今にも崩れ落ちてしまいそうで、私は子どもの母親を支えた。


「うん、大丈夫」


 シャーナさんは笑顔で母親に向き直ると、ちょいちょいと手で招き寄せた。


「表面が切れただけ。頭皮は出血量が多いから大怪我に見えるかもしれないけれど、見て、実はこんなに浅い」

「で、でも意識が…」

「軽い脳震盪ね、間も無く目覚めるはずよ」

「ほ、本当に…?」

「ええ。彼が起きた時に驚かないよう、処置してしまいましょう」


 手早く止血して頭に包帯を巻くと、血のついた布を蓋付きのゴミ箱に始末してしまった。


「さあ、これでもう大丈夫。驚いたでしょう?すぐに連れて来てくれて良かった。貴方が助けたのよ」

「あああっ、なんとお礼を言ったら良いか」

「お礼はこちらのルナレスカに。すぐに綺麗な水が用意できたから、助かった」


 母親は私とシャーナに交互に頭を下げて、丁寧にお礼を言ってくれた。


(アクアクォーレで、こんな風に感謝されたことなんて、ないや…)


 心が暖かくなるのを感じる。デューべの人はこれが普通だというシャーナさんの言葉が蘇った。

 ベッドから、か細い声がする。


「う、うん…?」

「カイリ!?カイリ!!目が覚めたの!!?」

「え、ぼく、屋根から落ちて…あれ?」

「もう!登っちゃ駄目だって、あれほど注意したでしょう!?馬鹿ね!!!」

「母ちゃん、泣いてるの?ごめんなさい、ぼ、ぼく…うっ、泣かないでよ母ちゃん!うわぁーーーー!」


 こうしてカイリという少年は、大事をとって一晩診療所に泊まることになった。


「ルナレスカ、水の聖女様なんだな!すげーや!」

「こら、カイリ!ちゃんと寝てなさいと言ったでしょう!」


 シャーナさんが少年を追いかけ回している。いつも強気なシャーナさんが、たじろいでいるのはなんだか新鮮である。


「なんだよ、シャーナ!自分ばっかこんな綺麗な人と一緒にいてずるいじゃんか!」

「私だって綺麗よっ!ちょっとルナレスカ…この生意気なクソガキを見ててちょうだい。少し休憩するわ…」


 奥に引っ込んだシャーナに、たははと笑って手を振った。

 ふんふんと鼻息荒くベッドに潜り込んだカイリは「全然寝れねえ!」と言って、がははと笑っている。


(あー、お泊まりで楽しくなっちゃったのね)


「カイリくん、あなた怪我人よ?安静にしてなくちゃ」

「むー、だってさぁ…」


 不貞腐れた様子のカイリは、私のことをチラリと見た。


「?」

「なあなあルナレスカ、シャーナのことどう思ってんの?」

「…ん?綺麗な人だなって」

「はあ!?あいつ……!!」

「ほらほら、明日の朝お母さんが迎えに来るんだから、早く寝なくちゃ」

「まだ眠くないってば!」


 灯りを少し落として、アクアクォーレに伝わる聖女伝説を話すことにした。



 その昔、人々は仲良く全てのものを分け合って生きていた。

 少しずつ文明が発展して人々は地を耕し作物を作るようになる。

 すると、水によって争いが始まった。

 こっちの畑に水を引けば、あっちの畑の分が少なくなると言った具合に。

 遂に人々は、そもそも誰の持ち物でもない土地を所有し始めた。

 すると一本の川にも、区画によって所有する者が異なることになった。

 川は下流に行くに連れ、汚れた。


 水の神はお怒りになった。精霊の魂を呼び出し「人間に生まれ変わって水を管理するように」と言った。


 こうして、水の聖女が生まれた。




「…アクアクォーレに伝わる、聖女伝説よ」


 いつの間にかカイリは寝息を立てていた。

 ホッとして、お風呂を借りようと思い立つ。


(シャーナさんに一声かけようと思ったけど見当たらないや…)


 仕方なく、がらりと浴室の扉を開けると、髪の毛を拭いている全裸の男性とばっちり目が合った。


「!!!!!?????!!??」

「あら、やだ」

「きゃ、きゃああああああ!!!!????」

「あたしあたし!シャーナよ!」


 腰にタオルを巻きつけた男性は、腰を抜かしている私に「やあねえ」と言って手を取った。


「ひっ!!!」

「大丈夫?ルナレスカ、ごめんなさいね、驚かせて」

「シャ、シャーナさん?ほ、本当に?」

「ええ。あたし、本当の名前はシュナイドっていうの」

「お、おと、おと、おと…」

「そ、男よ」


 私は衝撃のあまり卒倒してしまった。


「やだ!ルナレスカ!!ルナレスカ!!!?」





✳︎ ✳︎ ✳︎





 シャーナ…いや、シュナイドさんの寝巻き姿を初めて見る。

 彼女…いや、彼は朝早く夜遅いのだ。


(この姿を見ていたら早々に気づいたかもしれない…)


 ラフな服装からは、華奢ながら鍛えられた胸元が覗いている。


「ごめんなさいね、大丈夫?」


 冷たいハーブティーを持って来てくれたシュナイドさんは、私の反応を楽しんでいるのか、わざわざ後ろから覗き込んだ。


「っっ!…な、なんで、その…」

「あら、良いじゃない。別に」

「そうだけど…」

「それにね、王都と違ってここの辺りには医者があんまりいないの。そうすると女性とか子どもがなかなか医者を選べないでしょう?」

「な、なるほど?」

「そ、かかりやすいかなと思って。そしたら、あたしって綺麗じゃない?すっかりハマっちゃって」

「そう、そうですか」

「あら、うふっ。やあね、でも恋愛対象は女性よ」

「は、はははっ…え!?じゃ、じゃあ殿下はそれもご存知で…」

「そうよ」


(シュナイドさんが男性だと知っていながら、好きだという女性を何日も男の人と滞在させるかしら!?)


 やっぱり、あの大袈裟なまでの求婚には別の思惑があるのだ。


「…俺と一緒にいるのは、嫌だった?」

「!!?え!!?シュ、ナイド、さん?しゅ、主語が…」

「ふふ、なんてね」

「か、揶揄わないでくださいっ!!」

「さ、今日はもう休んで。大変な一日だったでしょう?」


 ひらひらと手を振ったシュナイドさんは、寂しそうに微笑んで寝室のある奥に引っ込んでしまった。

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