突然の求婚
「邪魔をする」
しゃん!と突然玄関口のカーテンが開かれた。ふわりと緩い風が入る。
「患者さんがいらしたみたいだわ」
と言って立ち上がる私をシャーナさんは制した。
艶やかな黒髪の、長身の男性は身体をやや屈めて玄関をくぐると、私とシャーナさんを見比べているようだった。
数人の護衛が後方で中の様子を伺っている。その気配や身なりから只者ではないとすぐに分かる。
(…どうやら、診察に来た訳ではなさそうね)
シャーナは跪いて、頭を垂れている。ならば彼女がそうするように、私も倣った方が良いだろう。
そう思って膝を折った時、黒髪の男性は私の手を取った。
「!」
「水の聖女・ルナレスカ殿とお見受けする」
その一言に、警戒心を最大限高めた。生唾を飲み込んで、必死に問う。
「……失礼ですが、貴方は?」
「申し遅れました。僕は、デューべの王太子、シエルフォード・デューべ。以後、お見知り置きを」
デューべの王太子だと名乗った男性は、私の手を取ったまま跪くと、手の甲にくちづけを落とした。
シャーナさんは首を垂れたまま。彼が王太子だということに偽りはなさそうだ。
「っ!…恐れながら王太子殿下、アクアクォーレではそのように跪き手の甲にくちづけを落とすことは求婚する男性が行うこと。どうか立ち上がって頂けませんか?これでは王太子ともあろう方のお立場が…」
王太子・シエルフォードは、ふっと微笑むと強い視線で私を見た。
「ご安心を、聖女殿。デューべでもアクアクォーレと同じ、これは求婚する男がやることです」
「…っ。揶揄っていらっしゃるのでしょうか?それとも、アクアクォーレへの牽制のおつもりでしょうか?残念ながら、私は婚約者であるライウス王太子殿下に国外追放されたばかり…」
私の言葉に、シャーナは下を向いたまま動揺したのが分かった。つい言葉にしてしまったことを猛烈に後悔する。
(シャーナさんには、きちんと話したかった…)
しかし、シエルフォード殿下は違った。余裕の笑みで、私を見つめ続けている。
(…国外追放の噂が隣国の王太子の耳まで届いている、ということね)
私の予想通り、彼は動揺を見せずに言った。
「存じております」
「ならばやはり」
「…ルナレスカ殿は、僕が女性を使って他国を牽制するような下劣な男だと思っているらしい」
「そういう訳では…」
「僕は、貴方を見つけた時、恋に堕ちてしまった。叶うなら貴方を妻に迎えたい」
(なるほど)
「…シャーナさん、私を助けてくれたキャラバン隊を率いていたのが、シエルフォード王太子殿下だったのですね?」
「ええ。倒れているルナレスカを助け、殿下自ら腕に抱えてここまで連れて来たのよ」
(恋に堕ちた、ですって?)
つまり砂漠にたまたま落ちていた聖女を見つけて、デューべの聖女にしてしまおうという魂胆だろう。
「…シエルフォード殿下、助けて頂き感謝申し上げます。ですが…」
「失礼ですが、ルナレスカ殿はライウス殿と婚約破棄されたと聞き及んでおります。ならば、求婚しても問題はない、はずだ」
「あんまりにも、急なことで…」
「貴方が回復するのを待っていた。大事にならず、本当に良かった…」
なぜ、心底ホッとした顔をしているのだろう。
「水の聖女を、いずれ砂漠の国の国妃にしたいと、そう仰れば良いではありませんか」
「ああ、なるほど。どうやら誤解があるようですね。水の聖女であるからこの国に迎えたいと」
「違うのですか」
シエルフォード殿下はぽつりと「舐められたものだな」と言ったので、思わず肩を跳ねさせた。
(これがこの人の本性なの!?っっ…怯んでは駄目だわ)
「見初めたとお伝えしているのに。一人の男が愛する女性へ求婚する理由に十分ではありませんか」
「…それは、アクアクォーレでは聖女がどんな出自であろうと王族と婚姻関係を結んできた歴史があります。しかし、ここはデューべ。私は市井の出身ですから、とてもではありませんが、デューべの王太子殿下と添い遂げるなど、分不相応でございます」
「……そう、ですか」
(良かった、これで諦め…)
何やら詠唱を始めたシエルフォード殿下の足元に、紋章が浮かび上がる。ものすごい波動と眩しさで、目を開けていることができない。
「っっっ!!」
「シエルフォード・デューべは、ただ一人、水の聖女・ルナレスカを愛すると約束する」
「なっ!!!…シエルフォード殿下!それは…その契約魔法は…!!」
「これで貴方への愛が偽りでないことの証になりますか?」
「とんでもないことを!生涯たった一度だけ王族のみが使える契約魔法ではないですか!!もう二度と私以外と子を成せないのですよ!?国王陛下や王妃殿下が知ったら…!!」
「…僕は、感情に任せて闇雲に契約を結ぶほど、愚かではない」
「っ!」
手の甲に、再び落とされたくちづけにたじろぐ。
(そうまでして水の聖女を、この国に迎えたいの…?なら、国王陛下や王妃殿下までもシエルフォード殿下に契約魔法を使用するよう言い含めたのかもしれない)
シエルフォード殿下が私の目の前で今やって見せた契約魔法は、本来属国となった国の王族が婚姻した際に使用するものだ。
(降伏した支配国に忠誠を誓う為の…契約魔法)
そうまでして、喉から手が出るほど欲しいのが水の聖女なのだろう。
(幸いにも婚約破棄した上での国外追放。願ってもないことだろう)
結局、国が変わっただけ。聖女としての天命は変わらないのだ。
ミューレ様の言葉を思い出す。
『他国民と恋に堕ちて、国を離れた聖女は…殺されて…』
この数日、恐ろしくてなかなか眠ることができなかった。でも…
(これで、アクアクォーレからの追っ手に殺される可能性が低くなったと思えば…)
王太子殿下御自ら人生を賭けての求婚。ここまでされて、私如きが断れるはずもない。
(私は私自身を守るために、シャーナさんの優しさに応えるために、デューべの聖女となろう)
一つの決意をひっそりと胸の奥にしまい込む。そして、観念したように、その瞳を見つめ返した。
「…謹んで求婚をお受けします」
こうして私は束の間の自由を終えた。




