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通う心(後半、シエルフォード視点)

「カイリ!そろそろ聖女様を休憩させてあげなさい」


 

「今、バッタ捕まえたんだ!番で獲らないと可哀想じゃん!ルナレスカ!それ逃すなよ!」

「はいはい、虫籠にでも入れときなさい」


 シャーナさんは手際良く蓋を開けて、私の手に収まるバッタを虫籠の中に閉じ込めてしまった。


(準備がいいなあ…)


 しげしげと無駄のない所作を見つめる。シャーナさんはそれに気がついてか「殿下はお疲れのご様子、見て差し上げて」と小さな声で言った。


「え?は、はい」


 ちらりと見えた前髪の隙間から、心を押し殺したようなシャーナさんの笑顔が見えて、それ以上の問いかけはできなかった。


(お疲れ、であることはわかっているけれど…一体どうされたのかしら)


 患者のいない平和な診療所に似つかわしくない、一抹の不安と、疑問。


「シエル?ルナレスカです」


 寝台と寝台とを区切る薄い布を引くと、シャーナさんの言う通り、シエルが横たわっていたので、まさか体調でも崩したのかと思わず駆け寄る。

 胸が上下しているのに安堵しつつ、きっちり結ばれているタイを解くことにした。

 タイが緩まる毎に、何かいけないことをしている気持ちが募る。ふりふりと頭を振って雑念を捨てた。


「…あら?」


 見覚えのある、白い布。そこに珍妙な配色が見えた。


「これは……」


 いつぞや捨てたきり、果たしていなかったはずの約束が、彼の胸ポケットから覗いているのだ。


「私が刺した…猫の、刺繍」


 すうすうと寝息を立てている王太子は、思えばここ数日の激務を全て片付けて、私のために休日を作ってくれたのだ。


(たった今、はっきりとわかった)


 つまり私は、シエルの愛を信じきれず、感傷に浸りたかっただけなのである。ただそれだけのために、自分自身でハンカチを捨てた。屑籠からそれを見つけたシエルは、それを私に言うでも無く懐に忍ばせていたのである。


「こんな…こんなこと……」


 顔が熱い。心臓が突き動かされる。言いようのない感情の発露が、私の喉元を圧迫した。


(苦しい)


 もしシエルが起きたら、私は何を伝えることができるだろう。このまま逃げ仰せてしまいたい。

 でも、安らかに眠る整った顔から、目を逸らすことができなかった。





✳︎ ✳︎ ✳︎





(暖かい)


 遠くで子どものはしゃぐ声がする。


(ルナリーはまだ子供と遊んでいるのか)


 起き上がるにはあまりにも勿体無いほどの心地よさ。

 清潔な寝具と、程よい微睡み。消毒液の匂い。


(身体が重い)


「シエル…?」


 くらくらする。靄のようにルナリーの幻影がくねる。


(身体が変だ)


 妙に熱っぽい。いつもより鼻が効く。甘く爽やかな香りが消毒液の匂いに打ち勝った。

 このまま寝入れば、恐ろしく魅惑的な夢が見られるに違いなかった。


「シエル?」


 急に視界が明瞭になる。優しく問う血色の良い唇に目を奪われたのだ。これは、幻影などではない。ルナリーが僕の顔を覗き込んでいるのだった。


「〜〜〜っっ!ルナリ…ッ」

「あの、どうしたのですか、シエル?お疲れならば、時間まで休まれては?」


(やはり、あのお茶か……)


 はあ、と盛大にため息をついて、胸の底から湧き起こるものをなんとか踏みとどまらせる。

 診療所の窓は、乾いた風を良く通す。昨日の雨で少し気温の下がった、涼しげな風が一陣吹き抜けた。

 ルナレスカが齎した雨。

 僕の女神が、この地を濡らした。


 そう思うともう、駄目だった。


「ルナリー」

「え……」


 有無を言わさずその唇を奪って、清らかな寝台の上に、羽のような身体を押さえつけた。


「シ、シエル…」


 ルナリーは、驚くでも無く、ただ困惑した顔で僕を見つめている。


「っ!」


 思い切り床にへたり込んで、頭を抱えた。


(そうだ、僕はルナリーを困らせている)


「シエル、どうしたのですか?大丈夫ですか?」


 差し出された手を、受けるのが怖い。僕はきっとまた君を傷つけるのだろう。


「……すまない、シャーナに変なものを飲まされたらしい。どうやら、眠っていたのだな。お陰で疲れは取れたが…」


 ルナリーの手は、所在なさげにするりお落ちていく。


「シエル、ごめんなさい。勝手なことをしました」


 何のことだかわからずに、ただ眉根を寄せる。ルナリーが差し出したのは、あの猫の刺繍が入ったハンカチだった。


「その、タイを緩めようとしたら…これが。どうして、シエルがこれを持っているのでしょうか?私はこれを捨てて……」


 照れているように笑っているのに、なぜかルナリーの瞳からはぼたぼたと涙が落ちている。


「そうだ。捨ててあった。君の想いがこもったものを、そのまま捨てておくなんて、僕にはどうしてもできなかったんだ。君を泣かせるつもりはなかったんだが…僕はいつも間違える」

「間違えてなんか…!私は、勘違いをしていたのですね、シエル。貴方が私を愛していると言う言葉を信じようともせず、いつも突き放して…」


 君の名前を呼ぶより早く、腕の中に閉じ込めた。諌めていた感情が熱くない炎となって、ゆらゆらと二人を包む。


「ルナリーは、どうして僕が君を愛しているのか、理由をいつも探している」

「そう、ですわね」

「既に君に会っていることは話したが…ルナリーが追放される前、僕に水を恵んでくれた」

「えっ…まさか、あの旅人が…」

「僕に水を与えた事がきっかけとなって国外追放されたのではと…君に申し訳ないことをしたと思うと同時に、苛烈に君に惹かれていった」

「シエル…」


 戸惑うルナリーを、これ以上困らせないように、精一杯笑って見せる。


(今の僕の顔はさぞかしなさけないのだろうな)


「こんな理由じゃ、駄目だろうか?」


 君はいつだって、僕の予想を裏切る。


「ルナリー」


 愚かな僕は、柔らかな唇に触れられて「どうして」と問うた。君は唇を僅かに触れたまま、小さな声で僕の疑問を反復する。


「どうして?…例えば、そう、私がシエルの気持ちを深く知る事ができて…貴方をあ、愛し始めている、としたら?」


 デューべの太陽よりも、君を眩しく感じた。僕は後にも先にも、この日以上に自分の運命を神に感謝したことはない。

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