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紫陽花

 子どもたちが、紫陽花の花を髪につけて駆け回っている。


(そうか…もう間も無く、梅雨祭りだわ)


「水の聖女様だー!」「ルナレスカ様!」「これ、あげる!」


 まだ幼い子どもたちは、私の髪にそっと紫陽花をさしてくれる。


 幼い子たちはこんなにも純真な心を持っている。そう思うと、この国の未来は決して暗くないはずだ。


(けれど…)


 大人たちの視線は恐ろしく冷ややかだ。

 無理もない。あちらにしてみれば、私が悪なのだ。正義など、見る方向でいくらでも変わり得る。

 私は私の正義を貫き、立ち向かっただけ。


(…さようなら、アクアクォーレ)


 生まれ育った故郷を離れる辛さは、ある。

 けれどそれ以上に他国民を人と思わぬような、この国の政策には我慢できぬ。水を人々に恵むために私は生まれたのだから、その思いは揺るがなかった。

 それでこの国を追われるのなら、本望である。


(ライウス様には心から失望した。ミューレ様のお子だとは到底思えない)


 王宮を振り返り見た。ぎゅっと拳を握りしめて、歩き出したその時。


「……貴方は…」

「先ほどは、ありがとうございました」


 水を飲ませたあの旅人が声をかけてきた。泥だらけの衣装を脱ぎ去り、身綺麗な出立で、すっかり元気を取り戻している。頭に巻かれたターバンで、目元が暗くてよく見えないけれど。


(本当に良かった)


 ほっと胸を撫で下ろした。


「あれから嫌な思いはされていませんか?」

「ええ、汚れていなければ普通に接してくれました。相変わらず水は高いですが…」

「そう、それはよかったですわ。アクアクォーレにはまだ滞在する予定ですか?」

「…せっかくのご縁ですから、梅雨祭りを見てから経とうと思います」

「?」

「水の聖女様がご活躍になるでしょう?」

「……それは…」


 水の祭典、梅雨祭りは聖女が天に祈りを捧げてバケツをひっくり返したような大雨を皆で浴びる。

 大人も子どもも濡れることを厭わずはしゃぎ、天と水に感謝を捧げる、年に一度のお祭りである。

 旅人は、ターバンの隙間から目を細めた。


「…はは、水のお礼にと思って紫陽花をお渡ししようと思ったのですが、先客がいたようですね」

「あ、これは…」


 髪にささった紫陽花に触れる。アクアクォーレの象徴である花。


「ご婚約者であるライウス様からですか?」

「いえ、そんなんじゃ…。あそこにいる子ども達にもらったのです」

「…そうでしたか、邪推をお許しください」


 旅人は私に紫陽花の花束を渡す。

 それを受け取ろうとした時、不意に涙が溢れた。


「聖女様?」

「ごめんなさい、今年の梅雨祭りは……」

「?」


 ぎゅっと唇を噛む。婚約破棄をされて国外追放なんて言えるわけがない。ましてやアクアクォーレの民でもない人に。


「激しい雨が空から注ぎますよ。それを全身で受けて、天に祈りを捧げるお祭りです。楽しんで、くださいね」


 精一杯の笑顔でそう言った。


「お花、ありがとうございます。私が水を絶え間なく与えるので、切り花でも枯れないのですよ」

「聖女様、あの…」


 深く頭を下げて、泣いているのが悟られないように立ち去った。


 歩いて歩いて、気がつけば駆け出していた。涙が後ろへ流れていく。


(アクアクォーレの国境を越える時、振り返って故郷を目に焼き付けよう)


 そう思っていたのに、いつの間にか祖国から随分と離れた森で、息をあげていた。

 夕方には森を抜けられるだろう。森を抜ければ砂漠だ。


(いっそのこと、砂漠をオアシスにしてしまおうかしら)


 木の根元で蹲る。木の根元で声をあげて泣いた。

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