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抱きしめたまま離してくれない

「ん……」


 嗅ぎ慣れない、けれどすごく呼吸が楽になるような香りがする。

 ぼんやりとする目で辺りを見回すと、それはどうやら香のようだった。僅かな空気の流れに、煙は自在に進路を変えて揺らいでいる。


(良い香り。柑橘の香りなのに少しスパイシーで、不思議な…)


「ルナレスカ」

「…シエル、フォード様」

「良かった…今、医者を」


(良かった?何が…)


 シエルフォード様に手を握られていたことを知って、「あ、」と声を出した。


「申し訳ありません、私…倒れて?」

「まだ起き上がらない方がいい。すぐ呼んでくるから少し待っていろ」

「シエルフォード様がずっとお側に?」


 強い視線を向けると、再び椅子に腰掛けた。

 手の甲に、シエルフォード様の頬が擦り寄せられる。


「すぐ目覚めると聞いていたが…君は、三日も寝ていた」

「三日……三日!!?大変!!雨の間隔がすごく空いて……」

「良してくれ。また倒れられたら困る」


 起きあがろうとする私にシエルフォード様が覆い被さったので、再びベッドに沈んでしまった。


「困らせてしまって…申し訳ありません…」

「違う。すまない、僕の言い方が良くないんだな。…僕が嫌なんだ。君が傷ついてしまうのが」

「またそのような…」

「……話をしよう、ルナレスカ」


 捨て犬のような瞳で優しく微笑まれて、すごく残酷なことをしている気持ちになる。

 その瞳はまるで、崖っぷちに追いやられて尚、一筋の希望を見つめているかのようで…


「ルナレスカ、僕は…」

「失礼します!!」


 突然、シエルフォード様の側近が慌てて入室して来た。ちょうどシエルフォード様に隠れてしまって良くは見えない。


「殿下、アクアクォーレの火の聖女・ローズナリアが聖女を騙った罪で捕えられたようです。やはり、火の聖女の性質は一人が受け継いだら…」

「っ!おい、よせ」

「え…?」


 ひょいと側近が顔を覗かせる。私とばっちり目があって、両手で口を塞いだ。


「ローズナリア様が…?」

「ルナレスカ、君は気にしなくて良い」

「そういうわけにはいきませんわ。どういうことなのですか?」

「君はもうデューべの王太子妃だ」


 怠い体を無理やりに起こして訴えた。


「だからです!だからこそ、きちんと知りたいのです。シエルフォード様は、そんなに私がアクアクォーレに戻ってしまうのではとご不安なのですか?」

「君は病み上がりなんだ。体に障る」

「隠された方がよっぽど体に障ります!どうして教えてくれないのですか!?」


 シエルフォード様は、側近を下がらせると唇を噛んだ。


「…正直に言ってほしい。アクアクォーレが心配ではないか?」

「私は……あの地で育ち、能力を搾取されない日はありませんでした。ライウス様が今どのように過ごしているのか、微塵も興味はありません。…でも、やっぱり私…渇きに飢えている人がいると思うと…耐えられないのです。初めは、アクアクォーレの人たちなんてみんな苦しめば良いと思っていました。でも…」


 シエルフォード様は見たこともないほど優しく微笑むと「良く、話してくれた」と言って抱きしめた。


「ルナレスカ、君は…本当は一国の聖女ではいけないのだろう。誰も渇きに苦しむことがないように、世界中に雨を齎す存在なのかもしれない」


(ああ……)


 シエルフォード様は、ローズナリア様が火の聖女ではないことを知って、きっと、どこかにいるはずの火の聖女を探し出し、妻に治めるつもりなのだろう。

 つまり私は、遂にデューべの国からも追われるのだ。


 もう、疲れてしまった。


 私は精一杯に微笑んで言った。


「世界に…それができたらどんなに良いことでしょう。方法は分かりませんが、どの国も私の雨が干渉できるように話し合えれば…良いですわ」


 そうしたら、私がデューべにいなくてもこの地に雨を齎すことができる。シエルフォード様は、きっとそれをお望みなのだろう。


(なのにどうして抱きしめたまま、離してくれないのだろう)

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