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君が僕を愛さなくても

「…はあ、」


 デューべの水路が全て復旧した夜、しとしとと雨を降らせる私のそばを、シエル様は慣れようとしない。


(ため息ばかりついて、お疲れなのよね)


 連日各地を回っては、民衆を労っていらっしゃった。

 瞼の裏には輝くような笑顔。私も共にこの国を守りたいと強く思った。


『聖女様!』『ルナレスカ様!』『ルナレスカ様のお陰で、水に困ることなく生活ができます』『ずっと、デューべにいてくださるんですよね?』


 町々を回るたび、たくさんの声に私もつい嬉しくなって、張り切ってしまった。


(疲れていないといえば嘘になる…。でも、今日雨を降らせなければ、また貯水池が枯れてしまう)


 暫くの間は三日に一度、雨を降らせなければならない。

 水路が整備されている分、アクアクォーレに較べれば水のコントロールは格段に楽になったと思う。


(以前は満遍なく水を行き渡らせるのに苦慮したから…)


 祖国・アクアクォーレ。水路の水は、常に満々と流れ、その多くは海へと排水されていく。人々が耕す大地や緑の芽吹く山々に定刻通り雨を降らせ、少しでも時間がズレれば不満が紛糾する。

 そこには少しの工夫もなく、ただ水の聖女に寄りかかった生活のあり方は、長い長い時を経て人々を堕落させたのだろう。


『国民が渇きに苦しんでいるんだぞ!?』


 ライウスの言葉が頭から離れない。時折ちくりと胸が痛んでいる。


(私も、水の聖女に生まれなかったら、傲慢になっていたのかもしれない)


 私は今、祖国の危機にとても揺れていた。そんな自分が一番許せない。

 私の気持ちを知ってから知らずか、コツンと私の肩にシエルの頭が乗った。


「…少し、話がしたいんだ。いつ終わる?」

「えっと…難しくない話なら、このままできますが…」

「なら、邪魔にならぬよう気をつけよう」


 きっと、ライウスやアクアクォーレのことに違いないと思った。水路の復旧を最優先に動いていたため、なかなかそのことについて触れることができなかった。


「君がライウス殿を愛していたと、彼はそう勘違いしていたみたいだが」


(そ、そこ!?)


「えっと…そのようですね」

「ルナリーは刺繍をするのか?」

「刺繍といっても、イニシャルくらいですが」

「好きなのか?」

「え!?」

「刺繍が」


(な、なんだ…びっくりした。てっきりライウスのことかと)


「そ、そうですね。集中できるので、好きです」

「イニシャル以外に何ができる?」

「やだ…私絵心ないんですから…難しいのは……シエル?」


 後ろから抱きしめられて、びっくりしてしまった。少し、雨が強まる。


「嫌か?」

「い、嫌とかじゃ…」

「雨音が聞こえる。問題ないと思って良いか?」

「えっと、あの…」

「…笑わないで聞いて欲しいのだが」

「はいっ」


(吐息が耳にかかって…っっ)


「猫がな、好きなのだ」

「ね、猫、ですか?」

「もともと砂漠では猫は神聖な生き物として崇められているのだが、僕は愛でる対象として好きなのだ」

「はあ…」

「猫の、刺繍を刺して欲しいのだが、お願いできるか?」

「わ、私にですか?」

「来月、誕生日なんだ」

「だったらもっと良いものを贈りますのに」

「駄目だ。ライウス殿には手刺しの刺繍を渡したのに、僕は違うものなんて、ずるいだろう!」

「お揃い…とも解釈できますが」

「ゴホン!だから、イニシャル以外なんだろう。君が好きなこと、得意なことを僕に一つ教えて欲しかった。それが刺繍なら、ひと針に込める想いを感じられるじゃないか」

「込める、想い、ですか?」


 一体、何を言っているのだろう、さっきから。離してくれない上に、耳元で囁くなんて恋人同士みたいなことをして。


(全然分からない)


 きっと、嫌われているわけじゃない。でも、お互い利害が一致していただけの結婚だ。


(時々、本当に愛し合っているみたいに思えて……)


「………」

「ルナリー?」

「シエル、私、本当に絵が下手くそなんですよ。文句は受け付けませんからね」

「勿論だ。楽しみに待っている」


 振り向いて見た、シエルの笑顔。こんなふうに愛しいものを見るような目、初めて見る。


「ルナリーの誕生日を聞いていなかったな」

「六月です」

「全然違うじゃないか。何をもって十二月だと勘違いしたんだ、ライウス殿は」


 シエルは「今月だな」と言ってから少し考え込んでしまった。


「シエル?話が終わったなら離れてください、あの…」

「ああ、嫌だが?」

「だって、おかしいです、こんなにくっついて。それに、ライウスに嫉妬しているみたいな言い方…」

「嫉妬?ライウス殿に?しているに決まっているだろう」

「え…?」


 どうしてか押し倒されて、シエルが私に覆い被さっている。

 状況を理解するまでの数秒の間に、コップが倒れて床に水溜りを作った。

 水滴の落ちる音よりも、自分の鼓動の音が大きくなったのに驚いて、シエルの顔を見るとどうやら怒っているらしかった。


「シエル……?」

「君が、僕を愛することはないかもしれない。…でも、僕が君を本当に愛していることを、知ってくれないか」

「…なぜ?だって、私たち、求婚されるまで会ったことも…」

「……」

「シエル?」

「…結婚式ではくちづけも交わさなかった僕たちだ。これ以上迫ったら君に嫌われるのではないか、そう思うと怖い」


 言葉と表情に、乖離がない。本心なのだろうか。


「いつか、君は僕の子を成すだろう」

「勿論、その覚悟を持っております」

「…僕が愛されることなどなくても、君がいてくれさえすれば良いと思っていた。でも、君からの愛を望んでしまうんだ。なんて欲深く、醜いのだろう。君を求めれば求めるほど、こんなにも、虚しい」


 シエルの手は、震えていた。


「頼むから、僕の心を否定しないでくれるか」

「っっっ…」


 それで、自分でもよく分からないのだけれど、シエルの頬に触れる。

 シエルは悲しい笑顔で微笑むと、柔らかくくちづけをくれた。

 ぽたぽたと頬に温かい雫が落ちる。

 シエルが泣いているのを知って、ゆっくり目を閉じた。


 雨音が一層強くなったことには、気がつかないふりをした。

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