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火の聖女を妃に迎えるそうで

 王宮には、何の思い入れもない。

 ただ王太子妃となるために、日々厳しく教育された場所。それだけだ。


『水の聖女が市井の出身なんて、神は何をお考えなんだ』


 私が初めて登城した時、国王がため息混じりに言った言葉は、まだ胸の奥に刺さっている。

 目の前が歪んで、涙が溜まっていくのが分かった。


 くよくよしていても仕方がない。私は私の矜持を貫いただけ。何も恥じることはしていないのだから。


(そうよ、国外追放なんて、むしろラッキーだわ!もうダンスの練習も、マナーレッスンも、歴史の勉強も、あれもこれも全部投げ出せる)


 けれど…


 虚しくなるほど軽い鞄を持って、廊下の最奥を見た。


(最後に挨拶だけ…)


 息を整えて、その部屋の扉を叩いた。

 返事は、ない。


「…ルナレスカです。失礼します」

「……どう、ぞ」


 か細い声が返ってきた。


「ミューレ様…」


 先代聖女にして王妃であるミューレ様は、珍しくベッドに座っていた。


「顔色が良いみたいですね。お加減はいかがですか?」

「ええ、今日はね、とても気分が良いの」

「それは何よりでございます」

「…あら?その荷物…」


 ミューレ様に指摘されてドキリとした。

 一呼吸置いて、胸に手を当てる。


「っ…。ミューレ様、私」

「朝からなんだか騒々しいわ。こんなに晴れているのに、なぜだか貴方の心模様は違うみたいね」

「…水の聖女がこの国を離れたら、アクアクォーレはどうなるでしょう?」


 目を丸くして私を見たミューレ様は、全てを悟ったように微笑む。


「一度だけ、あったと聞くわ。その昔水の聖女が他国の男性と恋に落ちて…。でもすぐに新しい聖女が産まれたのよ」

「そう、ですか」

「死んだのね。殺されたのよ」

「え?」

「同じ時代に聖女が二人いるなんて、例外中の例外だわ。私が若くして病に倒れたからよ」


 優しい手つきで私の頭を撫でるミューレ様は、本当の母親のようだった。


「ごめんなさいね、私が長い間伏せるようなことがなければ、貴方は今頃普通の女性として暮らしていたでしょうに…」

「そんな…それは違います!私が…もっと非情にならなければ、ならないのでしょう…」

「…ライウスに何か言われたのね?自分の子どもながら情けないわ」


 ミューレ様は、ごく軽くため息をつくと窓の向こうに広がる青空を見た。


「私だけは貴方の気持ちを分かってあげられる。けれどね、二人でめそめそしていても仕方がないわ」

「仰る通りです」

「私たちは傀儡じゃない。聖女である前に、一人の女だわ」

「はい」

「…出て行くのね?ここを。それは貴方の意思?」

「いいえ。ライウス様は、火の聖女であるローズナリア・カタン伯爵令嬢様をお妃に迎えたいと」


 優しかったミューレ様の目は怒りに震え、大きな瞳は溢れんばかりに見開かれた。


「なんて馬鹿な子…!!」

「…私が市井の出身だからいけないのです。今まで貴族令嬢に継がれた聖女の御霊が、なぜ私のような下賎な者の魂に寄り添ったのでしょう。神は…何をお考えで…」

「いいえ。出身がどうであれ、貴方はこの国になくてはならない存在だわ。そう思わなきゃ聖女なんてやっていられないもの」


 それは重ねた年月の分だけ、深みのある言葉だった。

 ミューレ様は、胸の辺りを押さえた。荒い呼吸になる。


「火の聖女っっ!この国に産まれるはずのない聖女…!私はずっとローズナリア殿を危険視していたのに…!なんて馬鹿な子なのかしら!!」

「ミューレ様…落ち着かれてください!誰か呼びますか?」


 私が背中をさすると、ミューレ様は重い咳を何度か繰り返して、息を整えた。


「…彼女が火の聖女として産まれた時、私は何度も国王に掛け合ったわ。なのに…あの人は取り合ってもくれない」

「そう、だったのですか?」

「聖女が何人もいればその分国が豊かになると盲信している。貧困に喘ぐ国を傍目に、自分たちだけはぶくぶく肥えて、まだ足りぬと言う」


 ゴブレットに出現させた水を差し出すと、「私のために力を使わなくて良いのよ」と言って微笑んだ。


「自分の体を乾かないようにするくらいの力なら、まだ残っているの。でも、ありがとう」


 そう寂しそうに言うけれど、だからなのだろう、ミューレ様のお世話はとても限定的だ。


(もっと手厚くしてあげたら良いのに)


 私が会釈をすると、縋るように袖を掴まれる。


「私…行かなくては…」

「……っっ。貴方が娘だったら、どんなに良かったでしょう…。そんなこと言っても仕方がないわね。行く宛はあるの?」

「わかりません。なにせ、国外追放ですから」

「追、放…?」


 ミューレ様は、呆けたように口を開いて、わなわなと震えた。

 とてもその様子を見ていられず頭を垂れる。


「裁判もなしで決定したそうですから、ここを即刻立ち去らねばなりません。ミューレ様にはお世話になりました」

「ルナレスカ…」

「……もう、言葉もありません」


 涙がとめどなく溢れて、顔を上げることができない。何とか扉へと駆け出した。

 後ろでミューレ様の声がする。


「どうか、どうか、幸せに…」

「ミューレ様も」


 扉を閉めて、駆け出す。もうここには戻らぬのだ。


 こんな馬鹿な国、頼まれたって二度と戻らない。


 ただ一つ心残りがあるとすればそれは、ミューレ様のことだけだった。

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