シエル様、結婚してしまいましょう!(前半、民衆視点)
ルナレスカが王宮入りする少し前のこと。
民衆達はみな、四方に伸びる水路を前に肩を落としていた。
「水路の水が枯れてしまった…」「まだまだ農閑期といわけでもないのに、困ったもんだなぁ…」「仕方がないさ。水路を引いてくれているだけでもありがたいんだ」「だがしかしなあ…」「あれ?でも、水の聖女様がこのデューべに来ているという噂だが」「え!?」「そんなまさかあ」「あのドケチな国がどうして水の聖女様をわざわざデューべによこすんだい」
人々は枯れた水路を前にしてなお、賑やかにわいわいと農作業の合間に話の花を咲かせている。
「まあ、こうしてても仕方がないさ」「今はただ、やれることをやろう」「そうだそうだ、明日雨が降るかも知らんしな」「違いない」「あんたんとこ、水は足りてるか?」「うちは十分に。困ったらウチに言いな」「いやいや、うちはいいんだ。ジジババしかいないんだから」「わはははは!」「おぅい!みんなも、水が足りなきゃ言っておくれ!子どもがいる家庭が優先だよ」
✳︎ ✳︎ ✳︎
なんだか、時間がゆっくり流れている。昼下がりの煌めきの時間、私はいまだに冷めることのないティーカップを両手で包んでいた。
「…ルナ、と呼んでも良いかな」
その提案は突然齎された。
「父や母はルナリーと呼びましたし、ルナとも…お好きに、呼んでください」
シエルフォード様の表情が翳る。
「…そうか、なるほど。あちらの王太子殿にはルナと呼ばれていたんだな」
ぽつりと呟いた低い声に驚き「え、」とだけ言葉が出てしまった。静かに流れる動揺に、シエルフォード様はじっと私を見た。
「なら、ルナリーと呼ばせて貰おう」
「な、なんなりと」
(今一瞬、すごく怒っていた…?)
でも、だとしたら、何に?
ふるふると頭を振って、「殿下」と声をかけようといた時だった。
「僕のことはシエルと呼んでくれ」
「そ、そういうわけには」
「こうして二人きりの時なら構わないだろう?」
「あ、えっと…はい」
シエルフォード様は、どこか寂しそうな顔で、二杯目のお茶を啜っている。
「婚約したというのに、清々しいくらいに虚しいな…」
「シエルフォード…、シエル様?」
「様なんかいらない」
試されているのだろうか。
咽せそうになるのを、ごくりと飲み下した。
「シエ……」
「失礼します」
私の勇気を砕くように、血相を変えて下臣と思われる男が小走りで近づいてきた。
「ああ!水の聖女様もいらっしゃるなら丁度良い!大変でございます、農閑期を待たずして早々に水路が枯れてしまったようです」
「何?魔石は異常を報せなかったのか?」
「それが、見張りの者が報告を怠っていたようで」
「何と言うことだ……」
水路循環システムというものがあるらしいことは国王陛下から聞き及んでいる。それがどのように機能しているのか分からないが、どうやら魔石を使っているようだ。
私は「失礼ですが」と声を上げた。
「つまり、私が再び水路の水が流れるように力を使えば良いのですね?」
「申し遅れました、私はソバタ・ローロイと申します。デューべでは水が枯れることは珍しくないので、聖女様がいれば安心です!これで万事解決…」
「ですが…」
私が言いかけた時、シエル様が「そうはいかない」と下臣を制した。
「ルナレスカが今力を使ったらどうなる?枯れた水路に水が溢れたなどと噂が広がれば、みすみすデューべに水の聖女がいることを報せるようなものだ」
「で、ですが、殿下は水の聖女様と婚約なされたからには、もちろん力を使役して頂かなくては…。言葉を選ばず申しますと、何のためにと言われても仕方がないかと…」
「分かっている。だからルナレスカを何日も待たせて結婚の準備を急いだのだ。妃となればあちらもおいそれと手は出さまい」
「…早急に解決が必要ですが…」
(やはり)
恋に堕ちたなんて、わざわざ言ってくれなくても良かった。
(変に期待する前で良かったわ)
まどろっこしいことなどせず、水の聖女を迎え入れたい、しいてはデューべのために持てる力を最大限使って欲しいと言ってくれた方が、どれだけ良かったか。
(本当に、変な勘違いをしそうだったから)
私に今、できることはひとつである。
「シエルフォード様、結婚、してしまいましょう」
「…は?」
「アクアクォーレでは神殿で神官に誓いを申し立てるだけで、結婚は成立します。デューべでもそうですか?それとも、何か違いますか?」
あっけに取られていたのはシエル様だけではなく、ローロイ卿とて同じであった。
「何を驚いていらっしゃるのですか?一刻でも早く解決した方が、民のためでしょう」
「……」
シエル様は怒ったように立ち上がった。
「父上に確認してくる。果たして仮にも王太子ともあろう者の婚姻が、簡素に、しかも今すぐに行われて良いものか、僕だけの独断で答えを出すわけにはいかないからな」
去っていく長身の背中に威圧のオーラを纏っている。穏やかなサロンは、一瞬にして場が凍りついてしまったようだ。
「卿、私…何か失礼なことを……」
「いえいえ。あのような殿下は初めて見ますなぁ。いやあ、若いですなぁ」
ローロイ卿はなぜだか少し楽しそうにしていた。
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