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僕に何かついているかい?

「こちらのお部屋をお使いください」


 当てがわれた部屋に入るなり、度肝を抜かした。


「このように素敵な部屋は、私などにはとてももったいないわ」


 専属侍女のルードアンはぺこりと頭を下げた。


「そのようなことはございません。……様々なご事情は伺っております。不自由なく過ごせるように揃えたつもりですが、アクアクォーレでお使いだったものや、足りないものがあればなんなりとお申し付けくださいね」


(鞄一つだけ持って追放されたのを不憫に思ってくれているのかしら)


「お気遣いありがとう。でも、元々その鞄に収まるだけの荷物しか持っていないの。だから私には本当に十分すぎるくらい」

「…え……」


 絶句した侍女は、ハッとしたように「出過ぎたことを申しました」と頭を下げる。


「ルードアン、と呼んでも良いかしら?」

「勿論でございます、ルナレスカ様」

「後で王宮内を見てまわっても良いかしら?」

「鍵のかかっている部屋以外はお好きに見てまわって構いません。しかし、長く馬車に揺られてお疲れではございませんか?お茶をお持ちしますので、お寛ぎ下さい」

「そうね、そうさせてもらうわ」


 ルードアンが退出すると、部屋は一層広く感じられた。


(アクアクォーレでは、こんなに豪華な部屋に案内されたことすらないわ)


 凝った意匠の三面鏡の鏡台には、色とりどりの化粧道具が置かれている。道具一つとっても、どれもが洗練されていた。


(私、少し痩せたわ)


 鏡をすっと撫でる。どうしてか、妙にシエルフォード様に会って話がしたいと思った。


(私に求婚した本当の理由も、まだ教えてはくれないでしょうね)


 というより、何だか少し警戒されている気がした。私は隣国アクアクォーレを追放された聖女。当然と言えば当然である。


(それにしても、あんなに長い時間馬車に揺られることなんかなかったから正直少し疲れたわ…)


 ふかふかのソファが私を誘っている。

 一息ついて腰を下ろすと、想像の五倍はふかふかである。

 改めて部屋を見渡すと、心の底からホッとした。当分私を追ってくる者はいないだろう、そう思うと眠れぬ日々の疲れが瞼を重くした。




「失礼します。ルナレスカ様、シエルフォード様がお茶に誘って……あら?」

「おや、眠ってしまったようだな。これは残念だ」


 せっかくふわふわの雲を抱きしめる夢を見ていたのに、ぶつりと暗転した。遠くでシエルフォード様の声がしている。


「…こんなところで寝ていたら風邪を引く。っ、随分軽いな…」


 力強い腕に抱かれているのだけは分かった。夢半ばを漂っている心地よさに、瞼を開けることは叶わない。


(ああ、そういう夢か)


 雲よりもふわふわのベッドに寝かされて、いよいよ体が重たく夢に沈んでいくのが分かる。


「おやすみ、かわいいひと」


 額に落とされた口付けに、ああ、そのかわいいひとというのは私のことなのかしらと思って、ごく薄く瞼を開けた。

 まるで、水中のように景色がおぼろげだが、何かに慌てているのはルードアンだろうか。人差し指を口元に立てたのはシエルフォード様だろう。

 静かに閉められた扉と同時に、私の意識もまた遠のいていった。





「……ん、」


 反射的にガバッと起き上がる。窓の外を見ると青空の下で小鳥が飛び交っていた。


「そんなに時間は経っていないみたいだけれど…つい眠ってしまったわ」


 飛び起き、鏡台の前でボサボサの髪を梳かした。こういう時、侍女を呼ぶべきなのは分かっているのだが、多分動揺していたのだろう。やはり庶民だ、気質まではそうそう変わらぬ。


 髪の毛がマシになったところで、呼び鈴を鳴らしてみる。


(あれ?)


 ところが、何度鳴らしても何の音沙汰もない。


(どうかしたのかしら?)


 そろり廊下に出てみることにした。ルードアンは鍵のかかっている部屋以外なら見てまわって構わないと言っていたはずである。


 廊下を歩いて使用人を数人見つけたので声をかけてみることにした。


「あのう」

「…ん?あら、見ない顔だけど…もしかしてアクアクォーレの聖女様のお付きの方?」

「…え?あの…」

「ちょうど良いところに来たわ。貴方、これを聖女様とシエルフォード様のところへ持って行ってちょうだい」

「これは?」

「見ればわかるでしょうに、お茶とお茶菓子よ。すぐにサロンへ持って行ってちょうだい」

「あ、ちょっと!」

「ああ、サロンの場所はこの廊下の突き当たりを右よ。よろしく頼むわね」


 使用人達は忙しそうに散り散りになっていく。「なにあれ、鈍臭いわね」「聖女様のお付きだから、自分の仕事じゃないと思っているんじゃない?」「ここでのこと、しっかりやってもらわなくては困るわね」とぶつぶつ文句を言って行ってしまった。


(…まあ、この格好では侍女に間違われても仕方がないわね。王宮に着いてすぐ眠ってしまったから着替えもしていないし…)


 ガラガラとサービスワゴンを押して、サロンへ向かった。


(というか、サロンに私とシエルフォード様がいることになっているの?)


 そういえば、と思う。夢の途中で誰かが私をベッドに運んだ気がする。

 その時、シエルフォード様が私をお茶に誘いたいと言うようなことを聞かなかっただろうか。


 サロンの扉を開くと、大きな窓から漏れる光に思わず手を翳した。


 頬杖をついたシエルフォード様がぼんやりと外を眺めているようだった。


(そうだ、夢の中で私の額にくちづけを…)


 そう思った瞬間、シエルフォード様が私を見て、優しく微笑んだ。一瞬とてもどきりとして、立っているのも難しくなった。


「目が覚めたのかい?」

「あっ……」

「…で、君は何をしているのかな?」

「えっと…お茶とお茶菓子を運んでいます」

「うん?」


 私は何度か咳払いをして、「細かいことはお気になさらず」と言った。


「これでも、お茶を淹れるのはうまいんです」

「しかし…。まあ、君が起きたらお茶がしたかったのは事実だが…」

「私が起きるまでここで待っているつもりだったのですか?」

「…考え事をしていたんだ。つまらない、小さなことだ」

「そうですか」


 淹れたての紅茶を二つ、テーブルに並べて席についた。


「…うまいな」


 耳にかかった黒髪が、窓からの光を受けて輝いて見える。


(なんて綺麗なんだろう)


 そんなことを漠然と思った。


「?…僕に何かついているか?」

「いえ、ごめんなさい、じろじろ見て」

「ぷっ!あははは!君は時々どきっとするとようなことを言うなあ」

「すみません、失礼でしたでしょうか」

「いや、そうじゃない。見つめてくれているんだろう?少しは僕のこと、気になってきたかな」

「え?それってどういう…」

「僕はいつまでも君を見ていたいけれど」

「っ…」


 この方は、本当に私のことを愛していると言うのだろうか。


『貴方を見つけた時、恋に堕ちてしまった』


 求婚の時の言葉が頭をぐるぐる駆け巡る。


(心臓がどきどきして、とても…)


「あ、目ヤニがついてる」

「えっ!!!?」


 咄嗟に目をゴシゴシと擦った。シエルフォード様はにこにこと笑っている。


「冗談だ冗談。はははは!」

「なっ!!シエルフォード様!!」

「いやあ、すまない。寝顔があんまり可愛いので、つい」


(え?)


 シエルフォード様は頬杖をついたまま、私を見つめて微笑んでいる。


(待って、じゃあ、あのおでこのくちづけは、やっぱり…)


 夢じゃなかったんだと思うと、目の前の人の本心がいよいよわからなくなった。

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