出会い
「こ、こんにちは……」
背後から声を掛けられ、エルドレッドは驚いた。
気配察知も気配遮断も、闇ギルドの中では群を抜いている。
これまで何度も建物へ侵入し、誰かに気づかれたことなど一度もない。
ましてや、部屋の中に誰かがいることに気づかず、その存在をしばらく見落とすなど初めてだった。
今回の依頼は、イェネーブル王国の魔法塔を破壊すること。
他国の重要施設を狙う危険な依頼だ。
失敗は許されない。
そのため今日は下見だけのつもりだった。
緩い警備を掻い潜り、誰にも気づかれずここまで辿り着いた。
あまりにも順調すぎて罠を疑ったほどだが、どうやら本当にイェネーブル王国の警備は甘いらしい。
だからといって、エルドレッドが気を抜いていたわけではない。
魔法によって守られているこの国には、当然ながら強力な魔法使いもいる。
自分の存在に気づく者がいてもおかしくはない。
イェネーブル王国は、魔法によって守られ、魔法によって栄えている国。
しかし、その力を過信しているせいなのか、国全体の警戒心は驚くほど低かった。
(魔法使いが多い国だと聞いていたけど……魔法を満足に扱える奴が少ないのかもしれないな)
魔法国家と呼ばれるイェネーブル王国。
その魔法の脅威を知る他国は、迂闊にこの国へ手を出せない。
魔法による報復を恐れているからだ。
そのため、イェネーブル王国は他国に対して尊大で傲慢な態度を取ることも多く、周辺国から快く思われていなかった。
今回の依頼も、そんなイェネーブル王国を少しでも弱体化させるためのものだった。
だが――。
実際に魔法塔へ侵入し、内部にある巨大な魔力球を目にしたエルドレッドは、破壊するのは不可能だと判断していた。
あれを無理に破壊すれば、おそらくこの国だけでは済まない。
下手をすれば、世界そのものを巻き込む。
それほどまでの膨大な魔力が、あの魔力球には凝縮されていた。
多くの死線を潜り抜けてきたエルドレッドでさえ、初めて恐怖を感じたほどだ。
苦々しい思いで黄金色に輝く魔力球を見つめていた、そのときだった。
「こ、こんにちは……」
突然、背後から声を掛けられた。
エルドレッドは反射的に振り返る。
そこにいたのは、小さな少女だった。
「……」
言葉が出なかった。
少女は細く、まだ幼い。
どう見ても、この魔法塔にいるはずのない存在だった。
(この子は……一体何だ?)
魔法塔に人がいるなど、そんな情報は聞いていない。
ましてや、こんな幼い子供がここにいるなど想定外もいいところだ。
エルドレッドが黙って少女を見つめていると、少女は不安そうに尋ねた。
「あの……ここはどこでしょうか?」
「……」
どうやら少女は、自分がどこにいるのか分かっていない。
それどころか、自分が何故ここにいるのかさえ知らないようだった。
子供が苦手なエルドレッドは、少し迷った。
だが、怯えさせるわけにもいかない。
できるだけ声を柔らかくして尋ねる。
「君……名前は?」
「……」
少女は困ったように眉を下げた。
そして、小さく首を横に振る。
「分からない……」
「……名前が分からない?」
「うん……」
エルドレッドは眉を寄せた。
記憶を失っているのか。
それとも、何か別の事情があるのか。
これ以上聞いても答えは得られそうにない。
そう判断したエルドレッドは、少女の足元へ視線を落とした。
細い足首。
そこには金色の輪が嵌められている。
そして、その輪から伸びた鎖が魔力球へと繋がっていた。
「……」
その瞬間、エルドレッドの中で一つの考えが浮かんだ。
(まさか……)
魔法塔に集められている膨大な魔力。
そして、それに繋がれた少女。
(もしかして……この少女が魔力の源なのか?)
そう考えれば、全てに説明がつく。
イェネーブル王国が何故これほどまでの魔力を蓄えられるのか。
何故、この少女が誰にも知られず魔法塔に閉じ込められているのか。
そして何故、少女がここで何も知らずに生きているのか。
(この子こそがイェネーブル王国の弱点だ)
いや。
弱点どころではない。
国を守るための、最大の切り札。
そして、誰にも知られてはいけない、最高の宝。
エルドレッドは、少女をじっと見つめた。
部屋にやって来た青年に声を掛けると、青年は驚いたように振り返った。
そして『彼女』の近くまで来ると、優しい声で名前を尋ねてきた。
(名前……)
前の自分の名前も。
今の自分の名前も。
何一つ思い出せない。
困った『彼女』は、ゆっくりと首を横に振った。
「……分からない」
青年は少し驚いたようだった。
けれど何も責めず、何故か優しい目で『彼女』を見つめている。
同情なのか、哀れみなのか。
それは分からない。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
それよりも、人に会えたことが嬉しい。
それが今の『彼女』の正直な気持ちだった。
自分が何故ここにいるのか。
これからどうなるのか。
そんな不安でいっぱいだった心が、目の前に人間がいるというだけで少しだけ軽くなる。
(ここには、人がいるんだ……)
そして青年が驚いたということは、自分が奴隷として普通に扱われているわけではないのかもしれない。
少なくとも、この青年にとっては想定外の存在なのだ。
そんなことを考えていると、青年の視線が『彼女』の足元へ落ちた。
金色の輪。
そこから伸びる鎖。
そして、その先にある魔力球。
青年はしばらくそれらを見つめていた。
やがて首元のスカーフを下ろす。
初めてはっきりと見えた青年の顔は、とても綺麗だった。
青年は『彼女』を安心させるように、にっこりと微笑んだ。
「ここはね、魔法塔と呼ばれている場所なんだ」
「魔法塔?」
「そう。国を守るための魔力を蓄えておく塔だよ。ここが一番大きな塔で、王城の中にあるんだ。ほかにも北と南に一つずつあるけれど、そっちは予備みたいなものだから、ここよりずっと小さい」
「そうなんだ……」
青年の説明を聞き、『彼女』は目を輝かせた。
(魔法があるんだ……!)
その事実が嬉しかった。
(やっぱり異世界転生かもしれない)
そう思っていたけれど、実際に魔法が存在する世界だと知ると、胸が少しだけ弾んだ。
「お兄さん、お兄さんは魔法使いなの?」
「ああ」
「さっき魔法でここに入ってきたでしょう?」
青年は少し驚いた顔をした。
けれど、すぐに笑った。
「よく分かったね」
「だって、扉が開いてないのにお兄さんがいたもの」
そう言うと、青年は小さく笑った。
「そうだね。僕は魔法使いだよ」
「やっぱり!」
嬉しくなって、『彼女』も笑った。
この人は怖くない。
そう思えた。
「僕はエルドレッド。魔法を使ってここに侵入した、他国の諜報員ってところかな」
「諜報員?」
「そう」
「ふふっ……なんだかカッコいいね」
自然と笑い声が漏れた。
その瞬間だった。
中央の魔力球が、ゆっくりと動き始める。
「……っ」
体の奥から何かを抜き取られるような感覚。
急に力が入らなくなり、『彼女』はふらついた。
「大丈夫かい?」
エルドレッドが慌てて近づいてくる。
けれど『彼女』は、もう立っていることができなかった。
「……うん。ちょっとだけ……だるい……」
どうにか笑ってみせる。
すると、エルドレッドの表情が曇った。
心配してくれている。
そのことが、何故か嬉しかった。
『彼女』はベッドへ戻り、ゆっくりと横になる。
体は辛い。
けれど、もっとこの人と話していたかった。
そんな思いとは裏腹に、睡魔がどんどん強くなっていく。
「お兄さん……」
「ん?」
「もう……行っちゃうの?」
気づけば、エルドレッドの服の袖を掴んでいた。
寂しかった。
もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない。
そう考えるだけで、胸が苦しくなる。
エルドレッドは一瞬驚いた顔をした。
それから、少女の小さな手を見つめる。
「うん。今日はこの魔法塔を調べに来ただけだからね」
「……そっか」
声が沈む。
それを見たエルドレッドは、少しだけ困ったように笑った。
「でも、また来るよ」
「……本当?」
「うん。そうだな……一週間後に、またここへ来る」
「一週間後?」
「そう」
「本当に来る? 絶対?」
「絶対だよ」
「……約束?」
「ああ、約束だ」
エルドレッドはそう言って、少女の頭にそっと手を置いた。
どこかぎこちない。
けれど、その手は優しかった。
『彼女』は安心したように目を細める。
「僕の名前はエルドレッド」
そして、少女の金色の髪を見る。
「君の名前は……髪が黄色いから、フリージアにしようか」
「フリージア?」
「そう。フリージア。愛称はフィシィでどうかな?」
「フィシィ……」
小さく呟く。
「……可愛い」
自分の名前。
それを、この人がくれた。
何も分からない自分が、初めて手に入れたものだった。
「うれ……しい……」
眠気が強くなり、瞼が閉じていく。
「フリージア。僕は必ずまた来るから、安心してお休み」
「……うん……また……」
エルドレッドの優しい声を最後に聞きながら、フリージアは、穏やかな眠りへと落ちていった。
こんばんは、夢子です。
お読みいただき有難うございます。
皆様からの応援、とても励みになっております。




