『ソムリエの影響力』
◆◇◆◇◆
テールの地下2階、今最も出会わないと思っていた人に思ってもみないタイミングで出会ってしまった
「イバさん…」
兎の耳が揺れ動いている。作り物であっても前後左右に動くのは分かる。しかし、イバさんのそれは捩れもする
大凡僕の知る限りその様な『本物』じみた挙動をするつけ耳を僕は知らない
「でっどぉぁにんじん」
「…」
さて、どうしようか
人参を渡すのはやぶさかではない。なにしろ既にいい数が揃っているし、この口ぶりからして渡さなかったら手刀が飛んでくる
面倒くさい、これで人参が不味いならまた狙われかねない
「くれないの?前はくれたのに」
「その節はどうも」
腹立つな。奪っておいて『くれた』と言うか
「ですが今回は少し猶予を下さい」
「?」
「生産者側が一度も食べてない人参
なんて食べたいですか?」
「関係ない」
「…」
安全性とか気にならないのか?人参を味見して、恵みの享受に卸す仕事がある以上、無償で渡すばかりでは溜まるのは疲労だけだ
「僕には関係があるので」
「むぅ」
「(危な)」
手刀が徐にとんできた。やはりと言うかなんと言うか、手刀そのものに反応ができるようになっていた
と言っても『勘』から『認識』に変わっただけで意識してなければ攻撃が飛んでくるのを感知できない。危険極まりないことには変わりはない
「…」
「(危な)」
無言の追撃が振り下ろされる
「…?」
「(危な)」
コイツ急所ばかり狙ってきやがる。なんか人参あげる気なくすわ。しかし、どうしたらいいだろうか
逃げたところで逃げ切れる保証はない。と言うか逃げ切れないという確信がある。かと言って人参を渡すにしても『全部食べたい』なんて言われたらたまったもんじゃない
「よく使う換金場はどこですか?」
「『燕の子安貝』」
グレーさんのよく使う換金場だ。場所も分かる───仕方ないか
「午後にそこで落ち合いましょう」
時間制限の様なものがある僕にとってこれ以上のロスは稼ぎに問題が出る。邪魔をしてくれるな
「本当?」
「本当です」
「にんじんくれるの?」
「ちゃんと買って下さい」
「えぇ」
「(何故そこでぶーたれる)」
「…分かった」
◆◇◆◇◆
テールの地下2階、あそこの厄介さが身に沁みて分かった。地下1階まで退避できていなければなぶり殺しにされていたと思う
「頭痛いな…」
優先順位の強制もさることながらギリギリまでテールでの狩りをしてしまった。問題なのは眠りスライムの索敵能力と『眠気』の有効範囲だ
索敵能力───目標を見つける力。この場合獲物を見つける能力と言い換えれる
範囲───ある程度の距離で効果を与える。個体ではなく空間を対象としている
眠りスライムの『眠気』の範囲はかなり厄介だった。壁越しにでも範囲内であれば眠気に襲われる。遮蔽物が意味をなさない
加えて眠気に襲われようものなら眠りスライムが即跳んでくる壁越しにでも迷宮を探って首に跳んでくる───執念といえる厄介極まりない索敵能力を有している
「約束…するんじゃなかった」
バテバテになりながらも少し休憩をして街へと歩き出す
◆◇◆◇◆
イバさんが既に待ち構えていた
買い取り客でごった返しになってる店内で、ひとりちょこんと座ってるイバさんを見つけるのにそれ程苦労はしなかった
バニースーツ姿と特徴的な耳とツラの良さ、そして彼女の周りに空間が空いていたからだ。理由は恐らくグレーさんの言っていた。彼女の特異性に起因する物だろう
『低◾️◾️嫌い』『人参の評論家』
「はぁ…」
「低◾️◾️?」
「その呼び方、やめて頂けませんかね」
「じゃあにんじんの人」
「…」
まぁいいか、別に長い付き合いになるわけではないだろうし、人参なんて誰でも取れるだろうし、人参を差し出すと周囲が騒めき始めた
「ニンジンだと」
「あいつわかってるのか?」
「何をしてんだよ。死にたいのか」
「…(見せもんじゃねぇぞ)」
少し周囲の視線が不快に感じていると手の重みが軽くなった
「自分の手で待って下さい」
「もぐもぐ」
イバさんは人参をかじり出していた。生の人参をだ。驚きはした───元々情報あってのことだったので表に出す程でもないと言うか
まんま兎的な食い方には多少は驚いた。嘘ではない
「…」
「ニンジン、だいしゅき」
「食べるか話すかどちらかにして下さい」
「…」
黙々と食べ始めたイバさん、僕達で言うところの蟹なのだろうか?
音からして普通の人参だ。大きさやほのかに香る人参独特な匂い───何の変哲もない人参だ
茹でたりでもしたら美味しそうだが、生で食べようとは先ず考えないのは種族が違うからだろうか?
「な、なんだと!」
「あのイバが!!」
「こうしちゃいられない!」
まだ居たのか野次馬どもめ、散れ散れ───何が楽しくて他人の食事を眺めてんだコイツら
「なぁあんた」
「はい?」
そう思っていたら見知らぬ人に声を掛けられた
「そのニンジンを売ってくれないか?」
「え?はい?」
「おい!ずるいぞ」
「俺が先に目をつけていたんだ」
状況が飲み込めない間にも勝手に競りが始まった
「おい!何を勝手に話を進めてんだよ
これはイバさんに…」
「にんじん!」
「イバさん!?」
そもそもこの人参はイバさんに持ってきた物であって他人に売る気なんてない。と思っていたらイバさんも競りに参加を始めて辺りは一瞬にしてお祭り状態となった
相場が分からない間にも値段はあれよあれよと吊り上がっていくのを僕はただ見守ることしかできなかった
「(なるほど)」
あの視線は一種の目利きだったのか、ソムリエというのは難儀だなぁと思いながらも当の本人は僕の目の前で楽しそうに競りの値段を吊り上げていた
◆◇◆◇◆
「にんじん!むふぅ」
「…」
結局のところ3万ロールを受け取り、人参は全てイバさんの懐に金銭の代わりに収まっていった
野次馬のぼやきを聞く限り通常の3倍の値段らしい。周りの落胆ぶりがソムリエ───評論家の欲する代物の価値を如実に知らせてくる
通常の3倍。それだけの価値が付加される。ソムリエの認めたという『ブランド』。これは帰ったら料理して、早速食べないと
「にんじんの人」
「何です…」
一瞬の油断───振り下ろされた手刀
それによって切り裂かれた。人参
両断された生の人参が僕の口に突っ込まれた
「何を?」
「にんじんの人、魔力ない
お腹減ってる」
「…確かに昼は食べてないですけど」
イバさんに人参を渡した後、食事をしようとは思っていたがまさか切っただけの人参を頬張ることになるとはね
一人暮らし初日でもそんなことはしなかったっていうのに───どうしよう、これ。何はともあれ食わず嫌いは良くないなと手で掴み改めてひとかじりした
消化に影響はないとわかっていても抵抗が…?
「え?美味」
「むふぅ」
糖度の高い品種、リリィやベビーと言った、究極的には生で食べられる人参の品種がある。調理できるのであればやはりそれに越したことはない代物なのだが
僕が食べたこの人参はそれとは何処か違った。確かに人参なのだがエグみや渋みが感じられなかった
しかも絶妙に柔らかい
「どう言うことだ」
「【キャロットカリバー】」
「え?」
「むふぅ」
イバさんが手刀を構え、鼻を鳴らす
僕は自分が咥えている人参を眺めた。これは驚き、あの手刀は武器にして『料理道具』だった
あの一瞬、手刀の一撃により人参は僕が食べられる状態に変わったのだ。俄には信じられないが
「これがソムリエ…か」
その道を極めると言うのはどの分野においても凡人には見当のつかない妙技を会得しているモノなんだなと感心を持った午後最初の食事の共だった
◆◇◆◇◆
「つまみとしてはいいですが」
人参の『手刀一閃』を食べ終え空腹感は紛れ、倦怠感は無くなったもののこれだけと言うのは流石にと思い、立ち上がりイバさんを見る
イバさんは『もうあげない』と言わんばかりに袋いっぱいの人参を僕から見えないように隠して見せた
「ご馳走様でした、後これを」
元々イバさんにあげようと持ってきたモノだし、僕は2万ロールをイバさんに差し出した。正規料金は一本100と少し、単価はもやし以上なのは言うまでもない
量が取れる点、討伐の難易度を考えると人参だけと言うのは些か生産性が落ちる気はするがそこは時と場合によるとは思う
「かえさない」
「違いますよ。お代を受け取り過ぎてますので」
3倍というのは流石にぼったくりだ。換金場での正当な価格設定ならいざ知らず、他人の勝手に始めた競りなら受取手が拒否すれば軋轢はないだろう
「ダメ」
「え?」
が突き返された
「報酬、ちゃんとうけとって」
「…」
そう言ってイバさんは人参を頬張った
仕事と報酬───実に良い言葉だ。イバさんの口からそんな言葉がでるとは驚きだった。彼女もまた生産者のひとりということか
なら僕が言うべき言葉はただひとつ
「テールでの1本分の代金は?」
「…」
おいこら、目を逸らすなや
「イバさん?」
「…でっどぉぁにんじん」
手刀が飛んできた
命の対価ってか、図々しいな?おい
◆◇◆◇◆
さて
「かえるの?」
「はい、僕も帰って
何か食べて来ます」
背伸びをして街の出口へと向かう
『燕の子安貝』ではなにやら新しい騒ぎが起きていたっぽいが、下手に首を突っ込むモノではないなと早々に帰路に着いた




