地下鉄・忘れ物、ペン
私は地下鉄車内の椅子にそっと置かれた。私を置いた男は左右をこまめに見て、周囲に誰もいないことを何度も確認している。
男は仕事帰りによくこういうことをしていた。彼は人間の純粋な善意を見るのが好きなのだ。仕事で荒んだ心を少しでも癒そうとしているのだろうか。
今日も多くの人間は私を見て見ぬふりをして、拾うことはない。
男は私のいる席の正面に座り、スマホを見るふりをしてその様子を眺め続けている。
それから数時間経ち窓の外が完全に暗くなった頃、一人の男の子が私の横に座った。
制服を着ているから高校生くらいだろうか。
彼は座って5分ほどしてからようやく私に気が付いた。そして私を見続けたままじっくり悩む。
拾うならさっさと拾ってほしい。私はもう男の異常な趣味に付き合うのはうんざりしていた。
高校生は覚悟を決めた顔をして、やっと私をそっと拾った。
彼は周囲を見回してみたり、私を眺めたりして持ち主のヒントを探し始める。持ち主が目の前に居るとも知らずに。可哀想に。
彼はしばらく情報を探していたが車内にはこの高校生と私を置いた男しかいない。何も得られなかった男の子は持ち主探しを諦めたのか、スマホを開いていじり始めた。
目の前にいるのに。可哀想に。
彼は私を手に持ったまま電車を降りた。私としてもくたびれた男に使われるよりはまだ高校生に使われる方がマシだ。誠実そうなこの男の子はきっと私を長く使ってくれることだろう。私は新たな生活に無い胸を膨らませる。
彼は駅のホームで駅員を探し、私を落し物として渡した。くそ。




