第1話 捨て駒
初夏とも思えぬ暑さの七月初旬。
今は廃村となり、管理者が定期的に草刈りに来る程度しか人も近づかない古い農業用ため池に成人男性二人の死体が浮いていた。
遺体は死後数日。一度沈んでから浮上し……もう少し遅ければ二度と上がって来ないような状態だったらしい、と警察から聴取を受けた第一発見者の男性は言う。
管理をしている男性が草刈りのために近付かなければ気付かれず、池の底の泥に沈んでいただろう、と。
・・・
今年の梅雨は長かった。
梅雨の晴れ間の蒸し暑さの中、雑居ビル内にいた男はとあるマニュアルと観光雑誌を読み込んでいた。
「岸本さん、明日の場所って」
「あ゛あ?お前しつけーんだよ」
薄汚れたファイルと雑誌を手に苦笑いをするしかない男は今、どうしてもカネが欲しかった。
手っ取り早く稼ぐには、と身を沈めてしまったのは詐欺の実行役。まだ三十後半の小川は毎日のようにリーダー格である岸本にいびられていた。
「明日から三日間で回るんだってのに……クソ」
小川より七つほど年上の岸本も元は債務者であり、カネ欲しさに……と、いつしか口の回り方と腕を見込まれて今は詐欺グループの中核を担う者となっていた。
それはあくまでも本人がそう思っているだけである。単なる捨て駒も甚だしいが岸本は明日から自らの足で詐欺行脚をする地方の田舎の住宅地を手持ちのスマートフォンで確認していた。
気候や風土、多少なりとも覚えておけば会話の糸口――ターゲットの気をわずかでも緩ませられるのだ。
なんとしてでも会話を繋ぎ、そしてその会話の主導権を握ってしまえば良い。相手は年寄りか気の弱そうな女。会話で押して押して、思考力を奪ってしまえばいい。
すでに二人とも、顔や手は真っ黒に日焼けしていた。
しかしその腕は……色褪せ、薄汚れた入れ墨があるだけで日焼けはあまりしていない。岸本はその入れ墨を撫でながら明日からの算段をする。上からも期待をされているのだから今回も成果を上げたいところ。しかし組まされたのがまだ新人に毛の生えた程度の小川だった。
小川の見た目は好青年、営業マンとしてなら悪くない。前任者に飛ばれてしまっていた岸本は上からの指示で仕方なく彼を使うことにしたのだが……。
・・・
翌日、平日の昼間。
足で稼ぐしかない、下っ端も下っ端がやるような詐欺に勤しむ岸本とあまり乗り気ではなかった小川の二人組がとある田舎のコンビニの駐車場の端に車を停めた。クーラーの効きが悪い使い古しの商用バンの中、岸本はここまで来る道すがら、ずっとスマホをいじっているだけだった。
この地域には平成の大合併により近隣の市に吸収された村がある。どうやら昔は農業が盛んで、とそれもまたよくある話であるが母屋以外にも納屋や蔵のある大きな家が建っているのを岸本は航空写真で確認していた。
何より平日の昼間ならば住宅地の路地と言えども人っ子ひとりいないような寂れた場所。
――それがかえって田舎では目立つとも知らず、岸本はスマホをポケットにしまいながら長距離運転をしていた小川に休憩をさせずに“仕事”を開始した。
最初はまだ比較的新しい家がある場所から回るが明らかに新造と分かる場所は避ける。昭和か、平成の初期か、と言うくらいの住宅を見つけては先に小川を向かわせて岸本は気楽にも適当にあとからついて回っていた。面倒なアポは見た目の良い小川が適任である、ともっともな理由をつけて。
それにしても暑いな、と岸本は周りに自動販売機すらないと知ると先ほど、車を勝手に停めたコンビニに一度戻るべきかと考える。
小川はどれくらいインターホンを押しただろうか。それでも彼らに収穫はない。まあそんな日もあるし、まだ一日目だ。
本命の場所には明日、向かうことにしているので今日はまだ前哨戦。玄関先でたまに食い下がっている小川の後ろ姿を遠目に見ながら岸本は何もせずに彼を働かせる。自分の方が立場が上なのだから当たり前なのだ。
ビジネスホテルに泊まるカネを惜しんで車中泊の夜。食事は市街地の方に一旦戻り、冷房の効いているひなびたファミレスで済ませ、入浴は商業施設に入っていたコインシャワーを利用した。
彼らがやっているのは不用品買取り業者を名乗り、住宅地を回る『押し買い詐欺』だった。上手くいけば、の話であるが良いカモを見つけることが出来れば一回で十数万は手堅い詐欺行為。
シャワーを浴び終えた二人はそのまま車中泊をしていても咎められない、二十四時間利用が可能な公衆トイレも完備されている休憩施設の駐車場に車を停めて一夜を明かす。
むさくるしいが何より岸本の『倹約』に付き合ってやらなければならない小川は一人、座席を倒した運転席で肩身の狭い思いをしながら瞼をとじる。岸本の方はフラットに座席が倒れる後部座席とトランクルームのお陰で足を伸ばし、寝転がっていた。
こんなことなら別の者と組んだ方がモチベーションが上がる。上手いこと言ってどっかの健康ランドなりなんなり入れば良かったのだが如何せんここは田舎。市街地にコインシャワーがあるだけマシだった。
昼間の熱気がまるで嘘のように周りには田畑しかない田舎のだだっ広い駐車場に夜風が吹き抜ける。車中泊慣れしている岸本のお陰で車載用網戸が車に積んであったので体の窮屈さ以外ではそこまで暑さによるストレスは感じなかった。
駐車場にはキャンピングカーも見受けられるので他にも同じように車中泊をしている者がいるのだろう。小川は目元にアイマスク代わりのタオルを置いて深く呼吸をする。
あと何回、こんな詐欺をして回れば年季が明けるだろうか。それとも岸本のように上に気に入って貰ってぼろ儲けが出来るのだろうか。
それくらい、一度で稼げるのだ。二件ヒットすればどれだけになるだろう。明日は岸本が目を付けている場所への訪問だ、と小川も少しだけ自信を持ちながら寝に入る。
岸本の方は既に缶ビールを幾つか開け、先に眠ってしまっていた。
「ん……?」
それから二時間も経たない夜中。小川は肌寒さに目を覚ます。何か羽織る物でも、と助手席に置いてあった自分のリュックサックの中を探ろうとした時だった。
ここは官民半々で運営している観光施設を兼ねた場所であり、夜中でも駐車場の街灯はついているし公衆トイレの電気もついているので不気味さなどは感じられにくい筈なのだが――小川の鼻腔は水っぽいような青臭さを感じ取る。
この時期の田舎は草刈りが頻繁に行われているので昼間、そう言った匂いを感じることに何も疑問は生じないが今は夜中、十二時を回ったところだ。岸本も寝ている。
風向きが変わって昼間や夕方に刈った草がにおっているのだろうか。小川はもとから都会の生まれであり、そう言った匂いについては異臭に近い感覚を持っていた。反面、岸本は田舎の出で……。
そうは言っても青臭さの中にある生臭い、どこか生き物の血が饐えたような、水分を多く含んだようなイヤな臭いがする。夜にはイノシシやシカが跋扈するような場所とは言え、臭う。
まあ昼間あれだけ回ったのだから疲れて過敏にでもなっているんだろう、と小川は目元にアイマスク代わりに乗せていたタオルを持ってそっと車から抜け出すとトイレに向かう。小さな羽虫たちが集う手洗い場を横目に用を足し、それから手と顔を洗った。
鏡に映る自分の日に焼けた顔はなんだか、化け物のようだった。
日焼けもこれだけ繰り返せば冬でも褪せない。日焼け止めを塗った所で全部が汗で流れてしまう日々。
外を回る時に着ている服はいつも長袖のポロシャツ。腕には十年ほど前に入れた筋彫りだけの入れ墨が少々。肘より上ではあるが日本の社会人生活を送るにあたってそれは酷く重い枷となっていた。
隠していれば問題は無いのだが真夏に男が二人、長袖だ。勘の良い人間ならばその下に何があるかバレてしまう。
墨を入れる時にもカネは掛かったが、それを傷跡程度まで消すには何倍もの時間とカネがかかる。
「クソ……」
悪態をついたって、溜め息をついたって、もうどうにもならない。
入れ墨については細心の注意を払え、と岸本からも言われている。少しでも相手に見えてしまった場合は……である。
そう言えば先ほどまで感じていた青臭いような、でもどこか血の気配があるような妙な悪臭がなくなっていた。今はもう、周りの草木を揺する程度の夜風が吹いているだけ。
車に戻った小川は岸本を起こさぬように出入りをすると持ってきていた着替えの一枚を上半身に乗せ、広くない運転席にて再び眠りにつく。




