02. 王女殿下のお茶会(1)
穏やかな風が草木を優しくなでる、華やかで広い庭園。ロの字に並べられた美しい長机の奥に、本日のお茶会の主催者が座っていた。
「まあフィアマ、わたしの招待状をちゃんと届けてくれたのね」
「もちろんですわ、ベルフール殿下」
背に流れ落ちる金の細い髪は絹よりも艶やかで、木漏れ日の下では微かに発光しているような錯覚を覚える。小柄で美しいベルフール王女殿下は、いつお会いしても地に降り立った妖精のように思えるから不思議だ。ベルフール殿下の後ろには、緊張した面持ちの護衛騎士が二人、背筋を伸ばして立っている。
テーブルを挟んでベルフール殿下と向かい合った私は、スカートの裾をつまんでお辞儀を送った。
「お申し付けどおり、本日はノービル様をエスコートさせていただきました」
茶会の席にずらりと並んだ同い年の級友たちは、それに呼応するように小声でざわめく。
「やっぱり、あの方が王立騎士団の?」
「最初からそういう話だったでしょ。逆になんだと思ってらしたの?」
「フィアマ様がおっしゃったとおり、たくましい方ね」
「ねえ、結構ハンサムじゃない?」
「ばかねえ、フィアマ様に敵うわけないじゃない。憧れるだけ無駄よ」
小鳥のさえずりのように可憐な声が、静かだった庭園に満ちる。ベルフール殿下のお茶会に呼ばれているのは、みな今年で十六歳になる貴族令嬢ばかり。華やかに着飾った令嬢たちを前にしているというのに、ノービル様は眉根を寄せて疲れた顔をしていた。
「ベルフール殿下、質問をお許しいただいてもよろしいですかね」
「ええ、どうぞ。ノービル騎士団長」
「俺はどうしてこの場に呼ばれたんでしょうか。見たところ、ここにいるお嬢さん方の社交デビューは来週でしょう? 男を呼ぶのはどうかと思うんですが」
ノービル様の言葉は間違っていない。この国では初夏に、王都に各地の貴族が集まる。国政のための議会が開かれるからだ。国王陛下の主催する大きなパーティも開かれ、その年に十六歳になる令嬢のデビュタントもまとめて行われる。デビュタントまでは、異性と会う時は保護者同伴が貴族社会の暗黙のルール。
ノービル様の主張が間違っているわけではない。でもベルフール殿下は、つぼみが開くようなやわらかい笑みで流した。
「このお茶会は社交の場ではなく、昨年まで共に過ごしたわたしの級友たちを集めた同窓会でしてよ。それにあなたは、わたしの護衛として国王陛下からお借りしたのです。護衛なら問題ないでしょう?」
「俺が護衛なら、俺の立ち位置は最初から殿下の後ろだと思うんですよ。フィアマ嬢の迎えで来るのではなく」
「わたしは主催ですもの。ゲスト皆の期待に応える必要がありますわ」
「俺の希望は聞いていただけないんですかね」
「あなたは護衛であって、ゲストではありませんので。さ、フィアマもノービル騎士団長も、座ってちょうだい」
ロの字の形に要された座席のうち、空いている席はベルフール殿下の向かいの二つだけ。仏頂面のノービル様がこれみよがしなため息とともに腰を下ろしたので、私もその隣に座った。
とたんにざわめきが引いてゆき、皆の視線がベルフール殿下に集まる。静まり返った中、殿下がにこやかに笑って両の手のひらを合わせた。
「今日はわたしの誘いに応じて集まってくださって、どうもありがとう。まずは皆でゆっくりお話を、と……言いたいところなのですけれど。わたし、今日の公演を楽しみにしていましたの。皆もそうでしょう?」
並んで座る皆の顔が、ぱあっと明るくなる。ノービル様だけが周囲を見回して不思議そうにしていた。
「さあ、フィアマ。さっそく始めてくださるかしら?」
「もちろんでございますわ! さあセバスチャン、出番でしてよ!」
私がぱちんと指を鳴らすと、私たちから三歩ぶん離れた場所で待機していたセバスチャンが前に進み出る。彼が小脇に抱えていた包みを芝生の上で開くと、今日のために用意した画板の束が姿を現した。
「……なにが始まるんだ?」
「ノービル様と私の出会いを描いた物語ですわ」
「は????????」
目を点にしたノービル様の口元に、そっと人差し指を添える。
「静かにしていらして。殿下の御前でしてよ」
「いや……はあ?????」
ベルフール殿下の背後に控えていた騎士二人が、さっと画板を掲げる。一枚目の木の板には、小さな女の子が描かれていた。あからさまにノービル様に視線を向けまいとしている騎士二人の隣に立ったセバスチャンが、口を開く。
「あれはフィアマ様が六歳の時でございました」
セバスチャンは今年で四十九歳だ。聞くところによると、彼は若い頃から使用人たちの間で「声がいい」と評判だったらしい。歳をとった彼の声は、枯れることなく深みを増した。その彼に、教師を雇ってボイストレーニングを課したのだ。声だけなら劇団に貸し出せるレベルまで仕上がっている。
「初夏の季節、旦那様とともにフィアマ様がこの王都に滞在していたある日のことです」
話し始めたセバスチャンを見て、令嬢たちから小さな歓声が上がる。どや、と言いたくなった口は扇で隠しておこう。うちのお抱え画家が描いた油絵もぜひ堪能してほしい。
騎士の一人が、別の画板を掲げる。その板に描かれているのは、真っ黒に塗りつぶされた人間に抱えられた女の子。
「城下町の見学に出ていたフィアマ様が誘拐されるという事件が起きました」
次の絵は暗い部屋に座る女の子。そして一番力を入れてもらった絵画、輝かしい騎士が剣を掲げる絵が続く。
「震えていたフィアマ様のもとに駆けつけた騎士がおりました。そう、それが若かりしノービル騎士団長様でございます!」
わぁ、と皆から歓声が上がる。ノービル様をとびきりかっこよく描いてもらった絵にイイ反応をもらえて満足だ。「誰だよ、あのキラキラした野郎は」という呟きが隣から聞こえたことは気にしない。
また画板が入れ替わる。次は立つ女の子と、彼女に向かってひざまずく騎士の姿だ。
「瞬く間に誘拐犯を制圧されたノービル様に、フィアマ様は聞かれました。『お礼をしたいのだけど、なにがいいかしら?』ノービル様は答えられました。『俺は俺の仕事をしたまでだ、気にすんな』――と」
渋いイケボで語られた決め台詞に、きゃあと再び歓声が上がる。口を片手で隠す方もいれば、両頬に手を添えている方もいる。
「フィアマ様がノービル様を生涯の伴侶としたいと思われたのはその時でございました。――以上が、お二人の馴れ初めでございます」
騎士の一人が最後の画板を下げ、セバスチャンが深くお辞儀をすると、皆から拍手が巻き起こった。皆の笑顔と反応を堪能してから、隣で頭を抱えていたノービル様に顔を向ける。
「いかがでした、ノービル様?」
「ひでぇ冗談だ……」
「あら、そんなに照れなくても」
「照れじゃねぇ! だいたい、事実と違うだろうが。あの場に〝震える子ども〟なんていなかったんだが」
「そうでしたかしら? 怖かったのは事実でしてよ」
「そうかい……」
げんなりした顔でため息を吐くノービル様に笑いかける。次の質問に、ノービル様ならきっと肯定を返してくれる。
「そんな反応をされていても、私がまた危ない目にあったら助けてくださるのでしょう?」
ノービル様はちょっと黙ってから、頬杖をついて私を見る。榛色の目が放つ優しい光。皆の前だというのに、つい釘づけになってしまう。
「〝護る〟のが俺の仕事だ。危ない目にあってんだったら、そりゃ何度でも助けに行くさ」
ぽん、と大きな手が頭に乗せられる。頬が熱をもったせいで、ちょっとすぐには動けなかった。肯定を想定した問いではあったけれど、そんな台詞と手は想定外だ。触れられた頭が熱い。
周囲から、きゃあきゃあと黄色い歓声が上がる。「聞かれまして?」「私も守られてみたいですわ……」という女性陣の声は前から。「さすが団長」「オレ、あんな台詞は逆立ちしても言えないっス……」という男性陣の声は後ろから。ノービル様が〝しまった〟と言わんばかりの表情でさっと手をどけたので、固まっていた体がようやく自由を取り戻した。
強く脈打った心臓を押さえ、ぐっと手を握る。
「そっ、そうでしょう? 実は私、近々さらわれる予定がありまして。きっと助けに来てくださいませね」
「そんな予定があるか。茶番に付き合うとは言ってない」
「真面目な予定ですわ?」
ふふっと笑って見せると、ノービル様は私たちの後ろにいたセバスチャンを振り返った。うちの執事は微妙な顔つきで首を横に振っている。
ベルフール殿下に目配せすると、殿下はにこりと笑ってうなずいてくれた。
「素敵なエピソードをありがとう、フィアマ。それじゃ、お茶会を始めましょうか」
殿下がそう宣言すると、少し離れた場所に控えていたメイドの一人がさっと片手を上げた。ほどなくして、お菓子やポットを乗せたカートが運ばれてくる。
でも、お茶会の場に現れたのは、ティーセットだけではなくて。
屋敷の方がざわついたかと思ったら、黄金に輝く髪をもつ青年が姿を見せる。
バラのアーチのそばに、ユニベール国の第一王子、デューベン殿下が立っていた。















