16.恋がしたかったな
今日は私がお願いした様に、マクスとワイアットと公爵が揃って離れを訪ねてくれた。
「え……レディ……?」
部屋に入るなり私を視て、ワイアットが驚きの表情をした。
「何で……?何で、そんなに体が薄いの?」
思った通りの反応だった。ワイアットは久し振りに私の元を訪れていた。
「薄い?」
「そうだよ!兄様には分からないの?」
「僕は……もう、レディがあまり視えないんだ」
「そう……なの……」
マクスは私があまり視えていない。だから気が付かなかったのだ。私の体がだんだんと透けていっていた事に。
「揃って来てくれてどうもありがとう。我が儘を言ってごめんなさい」
「レディ!どういう事なの?何で体が透けているの?僕も兄様みたいにもう視えなくなっちゃうの?」
「少し違うと思う。私、成仏するのだと思う」
「え……成仏?」
ここ最近、心が軽くてどこまでも浮いてしまいそうな感覚があった。行った事の無い高く遠い所まで届きそうな感覚だ。
「成仏?」
「えっと、えっとね……父様、レディが成仏するみたい」
「それは、幽霊では無くなるという事か?」
「そうなの?レディ」
ワイアットが公爵に通訳しながらも、慌てていて落ち着かない様子だ。混乱もあるのだろう。それでもこうして公爵にちゃんと伝えられている。二年前はマクスが通訳するのを真似ていただけだった。大きくなったのだなぁと思った。
「以前、マクスが調べてくれた様に、もう未練が無くなって成仏出来る様になったみたい」
自分の未練が何なのか、最初は分からなかった。
哀れな死に方をした事か。もし国王陛下暗殺の疑いを掛けられたまま死んだ事が未練ならば、公爵が裁判で疑いを晴らしてくれた時に成仏出来た筈だ。
もしくはお腹の御子を流産した事か。正直生む事を不安に思っていた。あの時は御子を失った事より、薬を盛られた事の方が私を動揺させていた。国王が崩御した後とはいえ、王位継承権の資格のある御子を墮胎させた犯人を暴くにも、力の無かった私に味方してくれる人は居なかった。無力さに絶望していた。
だから逃げたかった。何もかもから。
後宮から出る事も叶わず、周りに敵しか居ないあの環境から穏やかな場所に抜け出したかった。国王陛下暗殺の疑いを掛けられ塔に幽閉された時も、そう仕向けた者への復讐心は無く、ただ解放されたかった。
きっとそんな気持ちがこの離れに導いてくれたのではないかと思う。一時、ティナーリアと夢見た穏やかな孫と過ごす時間。私の為に準備された居心地の良い場所。
ティナーリアは亡くなってしまったけれど、可愛い孫と過ごす事が出来た。
幽霊になって少し若返っていたのも、きっとボロボロの身体になる前に戻りたい願望があったのかもしれない。陛下に体を求められる様になってから、傷が増える度に何かが変わっていった。ティナーリアと後宮で暮らしていた頃が私の人生の中で一番幸せな時だった様に思う。
「……レディが、未練が無くなって成仏出来るみたいだって」
「……そうか」
公爵には感謝しかない。過ごしやすい環境を維持してくれた。私を受け入れてくれた。孫と過ごす時間を見守ってくれた。そして娘のティナーリアを深く愛してくれた。こんな素晴らしい義理の息子を持てて嬉しかった。
成仏して天国に行けたらティナーリアを探そう。そして公爵の素晴らしさを教えてあげよう。ティナーリアが愛した人は素敵な人だったのよ、と。「そんなこと、知ってるよ」と言われそうだけれど。
「どうして……」
マクスの目には、涙が浮かんで零れそうだった。
「僕の部屋に、ずっと居てって、言ったのに……」
「ごめんね、マクス」
あの時はずっと居るとも、成仏するともまだ言えなかった。気持ちがゆらゆらしていた。ずっと居たい気持ちと、居るべきでは無いと思う気持ちと、不確かな自分に。確実に成仏出来るとの確信が持てなかった。けれど透明になっていく体を見つめて、心の充足感からやっぱりそうなのだろうと思った。集中しても物が掴めなくなっていった。未練だった事が満たされていくのを感じる度にそれは増していく様だった。
「マクス、レディが成仏する事はレディの魂が新しく生まれ変わり新しい生を受ける事だろう?それは素晴らしい事だ。大切な人の旅立ちなのだから引き止めては念を残してしまうだろう」
「父様……」
不思議なものだ。以前マクスが本で幽霊について調べてくれた時は、このまま幽霊でいるのより新しく生まれ変わった方が良いとマクス自身で言っていたのに、今公爵に同じ事を諭されている。
失うと分かった途端に怖くなったからだろうか。それとも義母との関係から私に心の拠り所を求めているからだろうか。
何にしても可愛い孫に引き止められて嬉しい気持ちが強い。申し訳無いとか可哀想とか、そんな気持ちもあるけれど、嬉しいと思ってしまう私はそんな関係性を作る事が出来た事に一段と心が軽くなった。
ああ、もう、本当に満たされている。体が消えていく感覚が増す。
「レディ……もっと薄くなってるよ!もう、今日でお別れなの!?」
「そうだと思う。だから皆様にお別れとお礼を伝えたかったの」
「父様……!レディ、お別れとお礼を伝えたかったって」
「レディ。こちらの方こそ、本当にありがとうございました」
公爵は丁寧に礼を伝えてくれた。本当に誠実な人だ。
「もう……もう、レディには、未練が何も無いの?」
「未練……そうね」
あなた達と過ごせてすっかり未練は無くなったと言いたかったけれど、やめておいた。私の未練が分かってしまったら、私が祖母だという事も知れてしまうかもしれないから。
「一つだけ、小さな未練があるかなぁ。恋がしたかったな。あなた達の父様と母様みたいな恋がしたかったなぁ」
私は結局恋を知らずに生を終えた。義務的な結婚だったから、国王陛下に恋をする事も無かった。ティナーリアが嬉しそうに、でも照れくさそうに、そして幸せそうに公爵の話をしているのを聞いていた時、私は羨ましかった。私には分からない感情だったから。家族愛とは違う、恋愛というもの。公爵が何年経ってもティナーリアを想う夜を過ごしているのを間近で見て、辛い程の愛情を持てるのが羨ましかった。誰かを愛し愛される関係に幽霊なのに憧れたのだ。
「……じゃあ!レディが生まれ変わったら僕と恋をしようよ!僕はレディが大好きだから!」
「マクス……」
なんて可愛らしい事を言ってくれるのだろう。子どもに「ママと結婚する」と言われたらきっとこんな気持ちなんだろう。
現国王陛下には無い王族らしい薄青色の瞳を受け継いだマクスとワイアット。陛下に目を付けられない事を願うだけだ。私の孫と言うだけで、私の実家である侯爵家が利用しようと企む可能性はあるだろう。公爵が裁判で私の汚名を返上した事で、彼の立場が疑われたのではと心配があった。しかし今回の再婚によってそれも回復出来たのではと思う。
今後も公爵が可能な限り二人を守ってくれるだろう。二人が大きくなった時、二人がどう生き、どのような道を選択していくのかは二人次第だ。それが辛く過酷で悲しい道でも、二人の人生であり運命なのだろう。
「ありがとう。ありがとう、マクス」
「きっとレディを見つけるからね!」
「ふふっ。期待しているわ」
マクスに「ありがとう」と言ったら、視界がぼやけた。きっともう幽霊で居なくなるのだ。ちゃんと伝えなければ。
消えてしまう前に。
「皆様、本当にありがとうございました」
そう言った瞬間、ブツンと何かが切れた様に何も見えなくなり、意識も無くなった。
次回、最終話です。




