弐の5 父のようになりたいか
幾夫の名は、母方の祖父が付けたと聴かされている。そのことを幾夫は、ひどく恨んでいる。数学者である祖父は、数学の一分野らしい幾何学から「幾」の字を使って、それに自分の名前の一部である「夫」を合わせ、孫の一生を手中に収めようと画策した。
父は長子となる息子の名前をいくつも考えていたようだ。しかし、岳父の前でそれらは一笑に付された。幾夫は母方の祖父を憎んでいる。
映画を見ることも撮ることも好きだった父は、幾夫が幼いころまだ高価だった八ミリカメラと映写機を買い、幾夫と静子の成長記録を撮影した。一六ミリフィルムの映写技師の免許を持っているとも言っている。しかし、愛用のカメラも映写機も、幾夫のいとこに当たるほかの孫を撮影、上映するため母方の祖父に取り上げられた。幾夫は祖父に対し殺意を覚えた。
テレビで放映される映画作品を、家で父は好んで見ていた。学校の冬休みに当たる年始には深夜、各民放が海外の古い名作映画を流す。
母と静子が寝静まったころ、幾夫は居間で父親と一緒にテレビを見た。スティーブ・マックイーン主演の洋画『大脱走』が流れていた。物語終盤、フランス人を装った脱走兵が、ゲシュタポのわなにはまり英語を発し正体をさらしてしまう。日本語での吹き替えでは表現の難しいシーンだ。
「ばっかだなあ」
脱走兵の間抜けぶりに、幾夫は思わず感想をもらした。
「ほう。幾夫にも分かるか」
隣で見ていた父は、感心したように言った。映画の楽しみを息子と共有できることがうれしそうだった。
中学二年の冬の日、英語の授業で産休明けの女性教師は、「ラジカセ」と呼ばれる取っ手付きのテープレコーダーを手に教室に入ってきた。授業でテープレコーダーを使うことは珍しくないが、その日の英語教師は、最初から表情が沈んでいた。テープを流しながら黒板に筆記体の英文を次々書き、ノートに写し取れと命じる。だから、幾夫は言われるがままにした。
板書を終えると教師は、教壇の小さな丸いすに腰掛け、教卓に置いたテープレコーダーの取っ手に額を当てうつむき、授業中ほとんど口を利かなかった。ノートに写すよう指示されたのはテープから流れる英語の歌詞で、そのうち〈イエスタデイ〉は英単語を知っていたから、幾夫には、なにか「きのう」に関係ある曲なのだろうと想像がついた。
「妹子先生、落ち込んでたろ。くっくくく」
次の社会科の授業で、英語教師、小野貞子より年かさの男の教師が、そこにはいない同僚を、歴史上の人物の名前にかけてからかった。幾夫が入学したときその英語教師はすでに腹が大きかった。小野というのは旧姓ではなかろうが、十二月八日にニューヨークの自宅近くで狂信的なファンに撃たれ死んだ、ロックバンド・ビートルズのメンバーだったジョン・レノンの二番目の妻、オノ・ヨーコと同じ名字なのだと、後になって知った。英語教師は、ジョン・レノンやその妻に親近感を抱いていたに違いない。
「『イエスタデイ』はジョン・レノンの曲じゃないんだよ。作ったのも歌ったのもポール・マッカートニーだ」
洋楽に詳しいクラスメートが休み時間に唾を飛ばした。
母方の祖父にもその娘である自分の実母にも嫌悪感を抱いていたから、幾夫はなるべく自宅で母親と関わらないようにしていた。主要五教科のうち数学が大嫌いかつ極端に苦手で、そのことは、数学者である祖父に対する反抗の表れであり、好ましいと幾夫は自分を評価した。
テレビのある居間にも、母がいるときは極力近寄らないようにしていた。成長とともにそれは顕著になる。母と祖父に対する憎しみの度合いも増す。
ジョン・レノンが死んで年が明け二月になって、二階の自分の部屋からトイレに行くため一階に下り居間のそばを通る時、父と静子がテレビ画面の前にいるのが見えた。母は台所にいるようだ。
テレビには、楽曲『関白宣言』がヒットしたシンガーソングライター、さだまさしが映っている。ピエロの役で出演する実話を元にした映画だ。ストーリー終盤だった。
用を足してもう一度居間をのぞき、映画の主題歌でさだまさしの楽曲『道化師のソネット』を最後まで聴いて、二階の自分の部屋に戻った。
幾夫は早く家を出たかった。母や母方の祖父のいない世界に行きたかった。中学を卒業してよその土地の高校に入学するという選択肢があった。しかし、母と母方の祖父から、それは許されなかった。
父は自分の息子の命名権を与えられず、愛用の八ミリカメラも映写機も取り上げられるありさまで、母と母方の祖父に頭が上がらず役に立たない。
数学者の祖父が教員として勤め、転勤命令をことどとく拒否しそれが定年退職まで通用したことが誇りらしい市内の県立普通科高校に、幾夫は当然のことのように受験を限定された。
父は工業高校を卒業し地元の農協に勤めていた。そのことも、普通科高校から短大まで進んだ母や、数学者の祖父に頭が上がらない要因だ。
「そんなことじゃあ、工業高校にしか行けん。ろくな大学に入れん。農協のようなところにしか勤められん。お父さんのようなみじめな人生を送りたいか」
母と母方の祖父は口をそろえた。それらの愚行は、父がいるところでもお構いなしだ。むしろ、父の学歴や職業に関する不満を、親子そろって父に当てつけているようでさえあった。
父の高校の同級生が、市内で家電販売店を営んでいる。電機メーカー「日立」の商品を専門に扱い、店の看板にも「日立」のマークが入っている。
日立は八ミリカメラや映写機を作っていないからそれらは別のどこかで入手したはずだが、冷蔵庫からテレビ、洗濯機まで、幾夫の家では家電製品は全て日立製だ。
幾夫は中学生のころ、日立のブランド「ローディ」のステレオセットを買い与えられた。しかし、レコードを何枚もそろえるほどの小遣い銭はもらっていない。
市内に相次いで二軒の「貸しレコード店」が開業した。レコードの売り上げで生計を立てる歌い手やその関係者にとって、売り物を使い回す貸しレコードという商売は問題があることを幾夫は認識していたが、あえて気にしないよう自分に言い聴かせ、小遣い銭でやりくりできる範囲で、自分が借りたレコードをテープに録音してクラスメートに配り、クラスメートの買ったり借りたりしたレコードを録音したテープを譲り受けた。
レコードプレーヤーもカセットデッキも幾夫のローディは本格的で高性能だから、クラスメートが借りたレコードと空のカセットテープを預かり、録音を頼まれることもあった。そういうときに幾夫は、自分用にもカセットテープを作って、空のカセットテープ代だけではやりの高音質な楽曲を入手することができた。
(「弐の6 映画音楽珠玉アルバム」に続く)