弐の4 女子が好む折り方
「最初は班長の座、狙ってたんだけどさ」
放課後、有馬が話し掛けてきた。
「だろうな」
その割には芝居が過ぎるんじゃないかと幾夫は言ってやろうと思った。
「校長室は筆頭班長だろ。かっこいいじゃん。でもさ、班長、怒らせちゃったじゃん。おれがやったから、おまえもまねしたわけじゃん。おれ、反省してるんだ」
「分かるよ」
「これから卒業まで一年以上校長室の清掃班なんて、飽きちゃいそうだけどさ」
「うん」
「今の班長も、校長室じゃない班長もそうなんだから、仕方ないわな」
「うん」
有馬の班長就任拒否はどうやら芝居ではなかったようだと、幾夫は納得した。
何日か経って昼の清掃の時間が終わり、遥が副班長と幾夫、有馬を居残らせた。遥は後任人事を把握していた。
「有馬くん。校長室は学校の顔だから、清掃班長として頑張って。谷本くん。どこの清掃班に行っても、班長を補佐して頑張って」
幾夫と有馬に、遥は言った。一緒に残したのは一つ下の学年の二人を平等に扱おうとする遥の思いやりだと、幾夫は一つ上の先輩の配慮に感心した。
次の日から遥は、ほかの班員への指導と並行して、有馬に校長室清掃班班長としての心得のようなものを伝授していた。
卒業式の前の日の二時間目と三時間目の間の休み時間、遥が五年一組の教室の後ろ側の扉に姿を現した。
「有馬くん、谷本くん」
小声で呼び掛けてくる。
「班長」
有馬が扉の方に近づいていった。幾夫は気づかないふりをした。
「谷本くん」
再び遥の声がした。幾夫は聴こえないふりをした。美しい六年生の女子から呼び出されることに照れがあった。最初から有馬と一緒に行くべきだったと後悔した。一歩遅れて遥に近づくことをためらった。
「谷本」
有馬も、幾夫を呼んだ。
「班長がおまえに」
有馬は続ける。
「うん」
幾夫はいすから尻が離れない。
「こっちに来いよ」
「うん」
答えたが、幾夫は動かない。最初に気づかないふりをした手前なのかどうか自分でもよく分からないが、動けなくなった。
そのうちチャイムが鳴って短い休み時間が終わり。遥は姿を消した。
「なんで来ないんだよ。ほら、おまえにって」
折り紙のようなものを有馬は幾夫に渡した。女子同士がこっそり手紙のやり取りをするときに好んで使う、複雑な手法で折った便箋だ。折り方を知らぬ者は、一度折りを解くと元に戻せない。その折り方は何通りもあるらしいが、幾夫はどの折り方も知らない。
「おまえももらったのか」
当たり前のことを幾夫は有馬に確かめてみた。
「うん。折り方はたぶん同じ」
「なにが書いてあった」
「まだ読んでないよ」
「おれのもついでに読んでくれ」
「ばか言うな。おまえ宛てなんだから、おまえが読め」
《五年一組 谷本幾夫くん 六年一組 城崎遥》
複雑に折った表面には整った文字でそう書かれている。遥は一年生から五年生までの校長室清掃班全員に手紙を配って歩いているのだろうかと、幾夫は首をひねった。開いたら自分の手では元に戻せない折りを慎重に開けた。
《谷本くんには最初のころ手を焼かされましたが、校長室の清掃班員として立派に仕事を果たしてくれました。谷本くんのおかげで校長室はいつもぴかぴかです。六年生になっても、いろいろなことに力いっぱい頑張ってください》
そんなことが書かれている。
「有馬」
「なんだ」
「班長からの手紙、なんて書いてあった。見せてみろ」
「おまえが見せたら見せるよ」
「見せない」
「だったらおれも見せない」
だから、有馬への遥の手紙の内容を、幾夫は知らない。
翌日の遥たちの卒業式に、幾夫たち五年生は全児童を代表して出席した。マンモス校だから、主役の卒業生、教職員、来賓、保護者が集う式典会場の体育館に、四年生までの児童が入るスペースはない。
遥はその小学校のこれも伝統で、進学する中学校の制服を着て出席していた。校長が壇上で卒業生一人ひとりに卒業証書を授与するのを、体育館後方から幾夫は眺めた。
幾夫の小学校は複雑な学区の割り振りで、卒業生が三つの中学校に分かれて進学する。遥が進む中学校は、幾夫が進むことになる中学校とも、有馬が進むことになる中学校とも異なる。
もう遥と会うことは一生ないのではないか。幾夫は胸になにかがつっかえたような違和感を覚えた。前の日の清掃に六年生は参加しなかったから、休み時間に遥が手紙を持ってきてから、話をする機会はない。気づかないふり、聴こえないふりをしたことを、幾夫は激しく後悔した。
(「弐の5 父のようになりたいか」に続く)